花てぼさんのところのコメント欄で
疎開した人のつらい思い出のことが書いてあった
わたしは疎開した記憶はほとんどない
私の父方の父の義母(実のお母さんは亡くなっておじいさんが再婚したその相手のこと)は
埼玉県の小川町出身で
それを頼りに私を預けたらしい
でも 赤ちゃんの扱いがひどいと
母が連れ戻した という話は前に書いたが
それが疎開と言えば言える
目に覚えている農家の家の中というのはある
別に私に辛い思い出はない
武蔵は母方の故郷のこの田舎に疎開した
お父さんが生きていて
東京からいろいろ送ってきたりするときは
お母さんも肩身は広く
この小貫家の長女として威張ってたみたい
(この長女が偉いという感覚 わかんない)
然し途中でお父さんが死んじゃった
警視庁に勤めていたのだけれどその死因はかなり怪しく
武蔵は色々妄想している
武蔵の母は立派な殉職とされて
ほいほいされて
なんの疑問も抱かない
そういう人だ
ところが ここから武蔵家族の疎開者の悲話が始まる
後ろ盾のなくなったお母さんは
田舎では厄介者扱い
居候扱いをされたようだ
このあたりに お母さんとおばさんの確執の根っこがあるのだ
然し 武蔵は幼い子供で疎開者で
どうしたか
もう 子供仲間に入れてもらうのに 大車輪で奮闘したらしい
疎開者と差別される立場というのは
幼心にわきまえて必死で仲間入りしていったらしい
健気だねえ
で
武蔵のお母さんは生前私にこんこんと言って聞かせた
武蔵は老後田舎に帰りたがるだろう
(見通し確かだったなあ)
絶対いうことを聞いてはいけない
田舎になんか行っちゃいけないというのだ
・・・
来ちゃったけど
・・・
その意味というのは 分かる
気の強いお母さんだから疎開時代の屈辱は
もう 私にもその気配を感じさせたくなかったのだろう
だいいち
この小難しい田舎で愚かな私が凌いでいけるわけがない
そう心配したのだろうよ
然し 自分の子供がどうか
把握はしてなかったね
武蔵を見ると そういう陰は 全くない
気が強いゆえの屈託
プライドが高いゆえの屈託
そういうものは全くなくて まあ 日々
同級生やら後輩やらと面白おかしく 助けられたり助けたりして
遊んでいる
武蔵とってつらかった記憶は
なんか人々との連帯へのエネルギーに変換したんだよ
わたしなんか
人間の出来が違うから
頭にきた記憶は みんなやけくそに変換した