今年に入ってから
かなり朝鮮半島のことを
日本のルーツと絡めて考えた
それまでは
ま 朝鮮半島は 他所でしかなく
友だちや 生徒や そういう自分につながる人たちの苦悩に触れても
いわば 他人事だったが
さあ
今や領土問題などで 煽られて新大久保あたりのヘイトデモの話を聞いたりしても
ひどくやるせない
朝鮮半島を自分の原風景と絡めて考える
そういう授業は必要だよなあ
と思い
ブログ界で 山里教授に出会えたのは 感謝だった
原風景 とくると私には田舎がない というコンプレックスがあって
余計に考えたくなるのだろう
まして
今や田舎の住人だもの
都会の子だったころは田舎の人はかたくなな人に見えた
その世界には入りにくい
そういう思い込みはあった
父は戦地で食物のことで田舎出身の兵隊さんとの暮らし
そこで相いれない食習慣に 自分基準の苦情をよく語っていた
母方の叔母は田舎にお嫁に行ったが
逃げ帰ってきた
わたしは 田舎に対する偏見を持って育った
と言える
これはなぜか
都会人は多くが田舎を捨てて都会に出てきた人の裔だからだ
原風景は捨てて出てきた
農家は相続するもの以外は冷や飯食いだもの
仕事のある都会に出てきたんだよ
同じように 朝鮮半島から来た人たち
(うんと古代の話)
これも 故郷は捨てて出てきた
そういう人々の裔がわれらなわけだ
もっと近いところだと
もっとはっきりわかってたりする
友人の医師は鎌倉時代に朝鮮から来た
もともと半島でも医者だった人だ
それは 家族の歴史として語り継がれている
もっと近くでは日本が植民地にしてしまった
強制的に日本に連れてきた
そういう経緯の人たちもいる
また それも家族の中では語り継がれている歴史があるはずだ
田舎に来てみると
東京にいる時よりは
そういう古いつながりの話が残っている
かたくなに見える風習のなかにもそれもある
東京というのは そういうものを捨てちゃった人たちの集まりだったか
というのは 田舎にきて 初めて持った視点だ
だから 原風景というのは 都会にいるより
田舎にいるほうが見えてくる風景
って何も 田園風景というだけではないのだ
ここから一番最寄駅は「黒子駅」だ
大昔 黒い人が海からやってきて開いた土地
という言い伝えがある
黒い人って ええ!?南の島から来たのかなあ?
先代の黒子駅