多面体の巨人・・・・建築家 丹下健三である。
丹下健三は、努めて無色であろうとした。
そして、向き合う相手の長所を自分に取組み、様々な色に染まっていった。
そして、多面体の建築家が形成されていった。
日経アーキテクチャーでは、丹下健三の追想録「時代を映した多面体の巨人」として冒頭そんな記述をしていた。
丹下健三というと、勿論業界で知らない人はいないだろう。
東京都庁やフジテレビ本社ビルの設計では特に有名だ。
その追想録の中に、磯崎新との対談が掲載されていた。
磯崎新は、ポストモダニズムを提唱し、水戸芸術館やつくばセンタービル等の設計をしている。
磯崎新は、丹下氏もポストモダンの時代に所属していると発言しているが、丹下氏はポストモダンには批判的のようだ。
丹下健三は、ポストモダンは非常に短期的な現象だとし、個人的なポストモダンを抜け出て、情報化社会の建築を目指さなければ良い建築や都市は生まれない。
また、個人の単純な表現だけで建築という社会的な存在が成り立つわけがない、としている。
そういった丹下氏の批判に、磯崎氏はこう答えている。
社会的にも客観的にも評価がなされるような共通の様式を失い、パーソナルな表現からスタートせざるを得なかったポストモダンの世代が明らかに存在する。
それで、一度ゼロに戻って、磯崎氏自身が学んだ建築とパーソナルな感覚の中から、客観的評価基準に頼らないものを作っていってみてはどうかと考え、実行に移していった。
うーん。ポストモダンの意図とするものが丹下氏の感覚とは異なるのだろう。
ポストモダンの定義も個人差があるだろうし、また単純な理解では解決できないのだろう。
しかし、いずれにしても、両者の建築感とは程遠い所にいる自分が見えた.....。
丹下健三は、努めて無色であろうとした。
そして、向き合う相手の長所を自分に取組み、様々な色に染まっていった。
そして、多面体の建築家が形成されていった。
日経アーキテクチャーでは、丹下健三の追想録「時代を映した多面体の巨人」として冒頭そんな記述をしていた。
丹下健三というと、勿論業界で知らない人はいないだろう。
東京都庁やフジテレビ本社ビルの設計では特に有名だ。
その追想録の中に、磯崎新との対談が掲載されていた。
磯崎新は、ポストモダニズムを提唱し、水戸芸術館やつくばセンタービル等の設計をしている。
磯崎新は、丹下氏もポストモダンの時代に所属していると発言しているが、丹下氏はポストモダンには批判的のようだ。
丹下健三は、ポストモダンは非常に短期的な現象だとし、個人的なポストモダンを抜け出て、情報化社会の建築を目指さなければ良い建築や都市は生まれない。
また、個人の単純な表現だけで建築という社会的な存在が成り立つわけがない、としている。
そういった丹下氏の批判に、磯崎氏はこう答えている。
社会的にも客観的にも評価がなされるような共通の様式を失い、パーソナルな表現からスタートせざるを得なかったポストモダンの世代が明らかに存在する。
それで、一度ゼロに戻って、磯崎氏自身が学んだ建築とパーソナルな感覚の中から、客観的評価基準に頼らないものを作っていってみてはどうかと考え、実行に移していった。
うーん。ポストモダンの意図とするものが丹下氏の感覚とは異なるのだろう。
ポストモダンの定義も個人差があるだろうし、また単純な理解では解決できないのだろう。
しかし、いずれにしても、両者の建築感とは程遠い所にいる自分が見えた.....。