LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

喫茶文化

2006-07-17 | その他
密かに陶芸でも勉強しようと思っている。
製作は無理だろうが、鑑賞はできるようになりたいと思っている。
あの渋さが実に良い。

そう言えば、陶芸に関する本の中でこんな記述があった。
時代は1579年。
イエズス会宣教師が茶の文化をキリスト教布教に利用したが、茶の湯の味はとても飲めるものではないと言い、
茶道具の魅力がどこにあるのかも分からないとも言ってる。
その価値観の相違は、西洋と日本における茶道具の素材にも現れていった。
同じ中国からの喫茶の風習は、様々に多様化するのだ。
日本人は地味で見苦しい茶碗で茶を飲み、一方ヨーロッパでは、金銀の器や白磁や色絵の器で茶を飲む方向に発展する。

うーん。個人的にはどちらも良いなぁ。
陶芸の持つ渋さも良いし、マイセンやロイヤルコペンハーゲンなども味わい深いものがある。
一点豪華主義で、数脚のティーカップも集めた時期もあったぐらいだ。

著書では、日本人の茶の心入れに及ぶ。(名品茶碗の見方  矢部 良明著)
日本人の茶に対する心入れは、快適に茶を飲むことにあるのではなく、一見抵抗を覚える苦い茶をあえて見苦しい茶碗で飲み、
そこに精神の浄化を求めようとしている。
精神の支えなくして日本の茶碗は成立しなかった。
ここに日本文化の奥行きの深さがあり、ヨーロッパの人々の求める精神の有り様と大きな溝を感じざぜるを得ないと言っている。

茶碗を例にとって、なぜ日本においてかくも長い間、多様な創作活動を進めてきたかという問題の原点は、
即そのまま日本人の模索する、深い精神性を求めえてやまない文化活動として理解できるわけで、茶碗はまさに精神史の申し子なのであると説いている。

深い精神性を求めてのやまない文化活動かぁ。
あまりにも奥が深そうだ。
少しでも自分なりに模索しながら追求していってみたい.....。