永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(284)

2009年01月31日 | Weblog
09.1/31   284回

【常夏(とこなつ)】の巻】  その(9)

「いと然おりたちて薪拾ひ給はずとも、参り給ひなむ。(……)」
――それ程までに身を落して、手ずから薪(たきぎ)拾いまでもなさらないでも、女御の御前に参上なさい。(その早口さえ直ればね)――

 と、おっしゃる内大臣のご冗談にも気が回らず、また内大臣という地位は、普通の人はお目にかかるのも恥ずかしいご様子であるのにも気も止めずに、遠慮なく話します。
 内大臣は、つとお立ちになって、四位、五位の者たちを従えてお帰りになりますのを、近江の君はお見送りしながら、

「いで、あなめぢたのわが親や。かかりける種ながら、あやしき小家に生ひ出でけること」
――まあ、なんとご立派な私の御父上でしょう。こんなお方の子でありながら、貧しい小家に生まれ出たなんて――

 若い女房の五節は、
「あまりことごとしく、はづかしげにぞおはする。よろしき親の思ひかしづかむにぞ、たづね出でられ給はまし」
――あのようではあまりにもご立派すぎて気が引けますでしょう。ごく普通の親御で、大事にしてくださるような方に、見つけ出してもらえばよかったのに――
 
 と、ひどいことを言います。

 近江の君は「そら、また私の言うことにけちをつけて、不愉快だわ。もう友達のような口は利かないでよ。私はれっきとした訳のある身なんですからね」とふざけている様子は、それはそれで、面白く愛嬌があって、可愛くないこともない。ただ、田舎じみた下賤の人の中に生い育ったので、ものの言い方を知らないのです。

 特別深みのない言葉でも、落ち着いておうように申せば、内容はそれほどでなくても良く感じられるものなのに、あのように早口では、思慮深くは思われない。ただ、

「いと言ふかひなくはあらず、三十一文字あまり。本末あはぬ歌、口疾くうち続けなどし給ふ」
――そう捨てたものでもなく、三十一文字(みそひともじ)の歌は、上下の句がちぐはぐの腰折れではあるものの、即座に詠んだりはされるのでした。――

 近江の君としては、女御殿に参上せよと内大臣がおっしゃいましたので、気が進まぬように思われては、と、今夜伺うことにします。御父がいくら愛しく思ってくださっても、女御殿などから冷淡にされては、この邸にいたたまれない、と、こんな心配をしなければならないとは、近江の君は何と軽い存在なのでしょう。

ではまた。