2011. 11/9 1025
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(86)
「『例の御こと。こなたはさきざきもおろし籠めてのみこそは侍れ。さてはいづこのあらはなるべきぞ』と、心をやりて言ふ。つつましげに下るるを見れば、先づかしらつき様体細やかにあてなる程は、いとよくもの思ひ出でられぬべし。扇をつとさし隠したれば、顔は見えぬ程こころもとなくて、胸うちつぶれつつ見給ふ。車は高く、下るるところはくだりたるを、この人々はやすらかに下りなしつれど、いと苦しげに、ややみて、ひさしく下りてゐざり入る」
――女房が、「またいつものことを。こちらはいつお出でになっても、格子が全部下ろしてございます。それなのに、どころか見られるとおっしゃるのですか」と、心得顔で言っています。浮舟が恥ずかしそうに降りてくるのを見ますと、まず頭の形から体つきが細っそりとして上品なところは、あの亡き大君にそっくりです。扇をかざしたままですので、お顔が見えないのが気が気ではなく、薫は旨をときめかしながら御覧になっています。車は高く、降りるところは低いのですが、女房たちはさっと降りましたが、この方はひどく辛そうに手間どって、長いことかかってやっと降りて、奥の方へゐざり入るのでした――
「濃き袿に、撫子とおぼしき細長、若苗色の小袿着たり。四尺の屏風を、この障子に添へて立てたるが、上より見ゆる孔なれば、残るところなし。こなたをばうしろめたげに思ひて、あなたざまに向きてぞ、添ひ臥しぬる」
――(浮舟は)濃い紅の袿(うちぎ)に、撫子(なでしこ=表紅、裏青又は薄紫)色かと思える細長(ほそなが)を襲ね、若苗色(わかなえいろ)の小袿を着ておられます。四尺の屏風がその障子に添えて立ててあるものの、穴はその上なので、何もかもすっかり見えるのでした。その人は障子を気にしながら、あちら向きに添い臥しています――
「『さも苦しげに思したりつるかな。泉川の船わたりも、まことに今日はいと恐ろしくこそありつれ。この二月には、水の少なかりしかばよかりしなりけり。いでや、ありくは、東路思へば、いづこか恐ろしからむ』など、二人して、苦しとも思ひたらず言ひ居たるは、主は音もせでひれ臥したり」
――「(姫君は)随分お辛らそうでございましたね。泉川(現在の木津川)の渡し船も、まことに今日は怖うございました。この二月には水が少なかったのでよろしうございましあたが、でもまあ、旅も東国のことを思えば、何の恐ろしいことがございましょう」などと、二人の女房が、さして苦しそうにもなく話をしていますが、当の主人は疲れて口もきかず、ぐったりと臥せっております――
「腕をさし出でたるが、まろらかにをかしげなる程も、常陸殿などいふべくは見えず、まことにあてなり」
――その手枕にしている腕が、ふっくらと美しく見えますのも、常陸介殿の娘という東国育ちには見えず、まことに上品です――
◆5日間お休みします。では11/15に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(86)
「『例の御こと。こなたはさきざきもおろし籠めてのみこそは侍れ。さてはいづこのあらはなるべきぞ』と、心をやりて言ふ。つつましげに下るるを見れば、先づかしらつき様体細やかにあてなる程は、いとよくもの思ひ出でられぬべし。扇をつとさし隠したれば、顔は見えぬ程こころもとなくて、胸うちつぶれつつ見給ふ。車は高く、下るるところはくだりたるを、この人々はやすらかに下りなしつれど、いと苦しげに、ややみて、ひさしく下りてゐざり入る」
――女房が、「またいつものことを。こちらはいつお出でになっても、格子が全部下ろしてございます。それなのに、どころか見られるとおっしゃるのですか」と、心得顔で言っています。浮舟が恥ずかしそうに降りてくるのを見ますと、まず頭の形から体つきが細っそりとして上品なところは、あの亡き大君にそっくりです。扇をかざしたままですので、お顔が見えないのが気が気ではなく、薫は旨をときめかしながら御覧になっています。車は高く、降りるところは低いのですが、女房たちはさっと降りましたが、この方はひどく辛そうに手間どって、長いことかかってやっと降りて、奥の方へゐざり入るのでした――
「濃き袿に、撫子とおぼしき細長、若苗色の小袿着たり。四尺の屏風を、この障子に添へて立てたるが、上より見ゆる孔なれば、残るところなし。こなたをばうしろめたげに思ひて、あなたざまに向きてぞ、添ひ臥しぬる」
――(浮舟は)濃い紅の袿(うちぎ)に、撫子(なでしこ=表紅、裏青又は薄紫)色かと思える細長(ほそなが)を襲ね、若苗色(わかなえいろ)の小袿を着ておられます。四尺の屏風がその障子に添えて立ててあるものの、穴はその上なので、何もかもすっかり見えるのでした。その人は障子を気にしながら、あちら向きに添い臥しています――
「『さも苦しげに思したりつるかな。泉川の船わたりも、まことに今日はいと恐ろしくこそありつれ。この二月には、水の少なかりしかばよかりしなりけり。いでや、ありくは、東路思へば、いづこか恐ろしからむ』など、二人して、苦しとも思ひたらず言ひ居たるは、主は音もせでひれ臥したり」
――「(姫君は)随分お辛らそうでございましたね。泉川(現在の木津川)の渡し船も、まことに今日は怖うございました。この二月には水が少なかったのでよろしうございましあたが、でもまあ、旅も東国のことを思えば、何の恐ろしいことがございましょう」などと、二人の女房が、さして苦しそうにもなく話をしていますが、当の主人は疲れて口もきかず、ぐったりと臥せっております――
「腕をさし出でたるが、まろらかにをかしげなる程も、常陸殿などいふべくは見えず、まことにあてなり」
――その手枕にしている腕が、ふっくらと美しく見えますのも、常陸介殿の娘という東国育ちには見えず、まことに上品です――
◆5日間お休みします。では11/15に。