2011. 11/27 1032
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(3)
「若うより、さる東の方の、遥かなる世界にうづもれて、年経ければにや、声などほとほとうち歪みぬべく、物うち言ふ、すこしだみたるやうにて、豪家のあたり恐ろしくわづらはしきものに憚りおぢ、すべていと全く透き間なき心もあり」
――(常陸の介は)若いころから東国の辺鄙な田舎に埋もれて、長年暮らしてきたせいか、声も濁声で、何か物を言うのにも田舎なまりで、都の権門のあたりに近づくのは、ひどく億劫がって怖気づいてはいますが、万事抜け目のない処世術は心得ているようです――
「をかしきさまに琴笛の道端遠う、弓をなむいとよく引きける。直々しきあたりとも言はず、勢ひにひかされて、よき若人どもつどひ、装束ありさまはえならずととねひつつ、腰折れたる歌合せ物語、庚申をし、まばゆく見ぐるしく、遊びがちに好めるを、この懸想の君達、『らうらうじくこそあるべけれ、容貌なむいみじかなる』など、をかしき方に言ひなして、心をつくしあへるなかに」
――琴や笛の道には縁遠いけれども、弓にかけては大そうな名人です。たかだか受領風情の家柄ではありますが、若くて美しい女房たちも集まり、衣裳や扮装を並み以上に飾って、腰折れのような下手な歌合わせを催し、物語や庚申待ちなどもして、目にあまるほど派手派手しく遊びごとにふけっています。それを、この娘に思いを寄せている公達は、「きっと、姫は才気煥発であろうよ。器量もたいしたものだそうだ」と、浮舟を美人として取り沙汰している中に――
「左近の少将とて、年二十二、三ばかりの程にて、心ばせしめやかに、才ありといふ方はゆるされたれど、きらきらしう今めいてなどは、えあらぬにや、通ひし所なども絶えて、いとねんごろに言ひわたりけり」
――左近の少将といって、年のころは二十二、三歳で、性質もゆったりとした、学才のあるという点では、人にも認められている人がありました。きらびやかに当世風には生活できないせいか、前に通った女などとも縁が切れて、ずっと浮舟に言い寄っているのでした――
「この母君、あまたかかることいふ人々の中に、この君は人柄もめやすかなり、心定まりて物思ひ知りぬべかなるを、人もあてなりや、これよりまさりて、ことごとしき際の人はた、かかるあたりを、さいへど尋ね寄らじ、と思ひて、この御方に取り次ぎて、さるべき折々は、をかしきさまに返りごとなどせさせたてまつる。心ひとつに思ひ設く」
――母君は、多くの浮舟に求婚してくる男たちの中でも、左近の少将は人柄も穏やかそうですし、気持ちもしっかりしていて、分別もあるにちがいないし、人品もまんざらでもない、この人以上に重々しい身分の人が、またこの程度の家を、いくら何でも尋ね寄っては来ますまい、と思って、この文を浮舟に取り次ぎ、しかるべき機会にふさわしい返事などをおさせして、母君は自分の一存で婚礼のことを計画しておりました――
◆庚申をし=庚申の夜眠ると体内の「さんし」という虫が天に昇って祟りをするとの信仰から、一晩起きていて、いろいろな遊びをする。
では11/29に。
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(3)
「若うより、さる東の方の、遥かなる世界にうづもれて、年経ければにや、声などほとほとうち歪みぬべく、物うち言ふ、すこしだみたるやうにて、豪家のあたり恐ろしくわづらはしきものに憚りおぢ、すべていと全く透き間なき心もあり」
――(常陸の介は)若いころから東国の辺鄙な田舎に埋もれて、長年暮らしてきたせいか、声も濁声で、何か物を言うのにも田舎なまりで、都の権門のあたりに近づくのは、ひどく億劫がって怖気づいてはいますが、万事抜け目のない処世術は心得ているようです――
「をかしきさまに琴笛の道端遠う、弓をなむいとよく引きける。直々しきあたりとも言はず、勢ひにひかされて、よき若人どもつどひ、装束ありさまはえならずととねひつつ、腰折れたる歌合せ物語、庚申をし、まばゆく見ぐるしく、遊びがちに好めるを、この懸想の君達、『らうらうじくこそあるべけれ、容貌なむいみじかなる』など、をかしき方に言ひなして、心をつくしあへるなかに」
――琴や笛の道には縁遠いけれども、弓にかけては大そうな名人です。たかだか受領風情の家柄ではありますが、若くて美しい女房たちも集まり、衣裳や扮装を並み以上に飾って、腰折れのような下手な歌合わせを催し、物語や庚申待ちなどもして、目にあまるほど派手派手しく遊びごとにふけっています。それを、この娘に思いを寄せている公達は、「きっと、姫は才気煥発であろうよ。器量もたいしたものだそうだ」と、浮舟を美人として取り沙汰している中に――
「左近の少将とて、年二十二、三ばかりの程にて、心ばせしめやかに、才ありといふ方はゆるされたれど、きらきらしう今めいてなどは、えあらぬにや、通ひし所なども絶えて、いとねんごろに言ひわたりけり」
――左近の少将といって、年のころは二十二、三歳で、性質もゆったりとした、学才のあるという点では、人にも認められている人がありました。きらびやかに当世風には生活できないせいか、前に通った女などとも縁が切れて、ずっと浮舟に言い寄っているのでした――
「この母君、あまたかかることいふ人々の中に、この君は人柄もめやすかなり、心定まりて物思ひ知りぬべかなるを、人もあてなりや、これよりまさりて、ことごとしき際の人はた、かかるあたりを、さいへど尋ね寄らじ、と思ひて、この御方に取り次ぎて、さるべき折々は、をかしきさまに返りごとなどせさせたてまつる。心ひとつに思ひ設く」
――母君は、多くの浮舟に求婚してくる男たちの中でも、左近の少将は人柄も穏やかそうですし、気持ちもしっかりしていて、分別もあるにちがいないし、人品もまんざらでもない、この人以上に重々しい身分の人が、またこの程度の家を、いくら何でも尋ね寄っては来ますまい、と思って、この文を浮舟に取り次ぎ、しかるべき機会にふさわしい返事などをおさせして、母君は自分の一存で婚礼のことを計画しておりました――
◆庚申をし=庚申の夜眠ると体内の「さんし」という虫が天に昇って祟りをするとの信仰から、一晩起きていて、いろいろな遊びをする。
では11/29に。