2011. 11/17 1027
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(88)
「尼君は、この殿の御方にも、御消息きこえいだしたりけれど、『御心地なやましとて、今の程うちやすませ給へるなり』と、御供の人々心しらひて言ひたりければ、この君をたづねまほしげにのたまひしかば、」
――弁の君は、薫の所へもご挨拶を申し上げましたが、「ご気分が悪いとおっしゃって、今お寝みになっております」と、お供の者が気を利かせて言いますので、さてはこの君(浮舟)にお逢いしたいとおっしゃっておいででしたので――
「かかるついでに物いひ触れむ、と思ほすによりて、日くらし給ふにや、と思ひて、かくのぞき給ふらむとは知らず、例の御庄のあづかりどもの参れる、破籠や何やと、こなたにも入れたるを、東人などにも食はせなど、事どもおこなひおきて、うち化粧じて、客人の方に来たり」
――きっと、こうした機会に近づいてお話でもしたいと思われて、日暮れまでいらっしゃるおつもりかしら、と思って、まさか薫がこうして覗き見をなさっているとは知るよしもありません。例の薫の荘園の管理人たちが大将のために調進した破子(わりご=弁当)やそのほかの物を、弁の方にも寄こしたものを、東の人々にも食べさせたりして、いろいろもてなしの指図をしてから、ちょっと身仕舞をして客人(浮舟)のところへやって来ました――
「ほめつる装束、げにいとかはらかにて、みめもなほよしよししくきよげにぞある。『昨日おはしつきなむと待ちきこえさせしを、などか今日も日たけては』といふめれば、この老人、『いとあやしく苦しげにのみせさせ給へば、昨日はこの泉川のわたりにとどまりて、今朝も無期に御心地ためらひてなむ』といらへて、おこせば今ぞ起き居たる」
――なるほど先刻ほめていたとおり、尼君の衣裳はさっぱりとして、顔かたちも由ありげで小ぎれいです。「昨日ご到着になられますかと、お待ち申し上げておりましたのに。今日はまたどうして、こんなに日が高くなってからいらしたのでしか」と言いますと、年のいった女房が、「姫君が何ともひどく苦しそうにしていらっしゃいましたので、昨日はあの泉川のあたりに泊まり、今朝もいつまでもご気分がはっきりしませんでしたので」と答えてお起こししますと、やっと初めて起き上がられました――
「尼君をはぢらひて、そばみたるかたはらめ、これよりはいとよく見ゆ。まことによしあるまみの程、かんざしのわたり、かれをも、くはしくつくづくとしも見給はざりし御顔なれど、これを見るにつけて、ただそれと思ひ出でらるるに、例の、涙おちぬ。尼君のいらへうちする声けはひ、宮の御方にもいとよく似たりときこゆ」
――尼君がいらっしゃるので、恥ずかしそうに横を向いているお顔が、(薫の方から)よく見えます。まことに品のある目もと、お髪のかかり具合などが、亡き大君のお顔もしみじみとは御覧になったことはないけれども、この人(浮舟)を見るにつけて、まったく亡き御方とそっくりだと思い出されますので、またいつものように、涙がこぼれるのでした。尼君に答えたりする声や物腰は、宮の御方(中の君)にもよく似ているようだとお思いになるのでした――
◆げにいとかはらかにて=かはらか=さっぱりしているさま。
◆みめもなほよしよししく=眉目も一層・よしよししく=由由し=由緒ありげである。
では11/19に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(88)
「尼君は、この殿の御方にも、御消息きこえいだしたりけれど、『御心地なやましとて、今の程うちやすませ給へるなり』と、御供の人々心しらひて言ひたりければ、この君をたづねまほしげにのたまひしかば、」
――弁の君は、薫の所へもご挨拶を申し上げましたが、「ご気分が悪いとおっしゃって、今お寝みになっております」と、お供の者が気を利かせて言いますので、さてはこの君(浮舟)にお逢いしたいとおっしゃっておいででしたので――
「かかるついでに物いひ触れむ、と思ほすによりて、日くらし給ふにや、と思ひて、かくのぞき給ふらむとは知らず、例の御庄のあづかりどもの参れる、破籠や何やと、こなたにも入れたるを、東人などにも食はせなど、事どもおこなひおきて、うち化粧じて、客人の方に来たり」
――きっと、こうした機会に近づいてお話でもしたいと思われて、日暮れまでいらっしゃるおつもりかしら、と思って、まさか薫がこうして覗き見をなさっているとは知るよしもありません。例の薫の荘園の管理人たちが大将のために調進した破子(わりご=弁当)やそのほかの物を、弁の方にも寄こしたものを、東の人々にも食べさせたりして、いろいろもてなしの指図をしてから、ちょっと身仕舞をして客人(浮舟)のところへやって来ました――
「ほめつる装束、げにいとかはらかにて、みめもなほよしよししくきよげにぞある。『昨日おはしつきなむと待ちきこえさせしを、などか今日も日たけては』といふめれば、この老人、『いとあやしく苦しげにのみせさせ給へば、昨日はこの泉川のわたりにとどまりて、今朝も無期に御心地ためらひてなむ』といらへて、おこせば今ぞ起き居たる」
――なるほど先刻ほめていたとおり、尼君の衣裳はさっぱりとして、顔かたちも由ありげで小ぎれいです。「昨日ご到着になられますかと、お待ち申し上げておりましたのに。今日はまたどうして、こんなに日が高くなってからいらしたのでしか」と言いますと、年のいった女房が、「姫君が何ともひどく苦しそうにしていらっしゃいましたので、昨日はあの泉川のあたりに泊まり、今朝もいつまでもご気分がはっきりしませんでしたので」と答えてお起こししますと、やっと初めて起き上がられました――
「尼君をはぢらひて、そばみたるかたはらめ、これよりはいとよく見ゆ。まことによしあるまみの程、かんざしのわたり、かれをも、くはしくつくづくとしも見給はざりし御顔なれど、これを見るにつけて、ただそれと思ひ出でらるるに、例の、涙おちぬ。尼君のいらへうちする声けはひ、宮の御方にもいとよく似たりときこゆ」
――尼君がいらっしゃるので、恥ずかしそうに横を向いているお顔が、(薫の方から)よく見えます。まことに品のある目もと、お髪のかかり具合などが、亡き大君のお顔もしみじみとは御覧になったことはないけれども、この人(浮舟)を見るにつけて、まったく亡き御方とそっくりだと思い出されますので、またいつものように、涙がこぼれるのでした。尼君に答えたりする声や物腰は、宮の御方(中の君)にもよく似ているようだとお思いになるのでした――
◆げにいとかはらかにて=かはらか=さっぱりしているさま。
◆みめもなほよしよししく=眉目も一層・よしよししく=由由し=由緒ありげである。
では11/19に。