永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1086)

2012年03月23日 | Weblog
2012. 3/23     1086

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(57)

「かの人形の願ものたまはで、ただ、『おぼえなきもののはざまより見しより、すずろに恋しきこと、さるべきにやあらむ、あやしきまでぞ思ひ聞こゆる』とぞかたらひ給ふべき。人のさまいとらうたげにおほどきたれば、見おとりもせず、いとあはれとおぼしけり」
――(薫は)あの亡き御方の身代わりというようなことはおっしゃらず、ただ「思いがけない物陰からあなたを見て以来、分けもなく恋しいのは、何かの因縁でしょう。ただ事とは思われずお慕い申しています」とでもお話なさったことでしょうか。浮舟のご様子が大そう可愛らしくおっとりとしていますので、思ったよりも見劣りすることもなく、心からいとしいと思うのでした――

「程もなう明けぬる心地するに、鶏などは鳴かで、大路近き所に、おほどれたる声して、いかにとか聞きも知らぬ名のりをして、うち群れて行くなぞきこゆる。かやうの朝ぼらけに見れば、物いただきたる者の、鬼のやうなるぞかし、と聞き給ふも、かかる蓬のまろ寝にならひ給はぬ心地もをかしくもありけり」
――間もなく夜があけたようですが鶏などは鳴かず、大通りに近いので、締りのない声で何と言っているのか聞いた事もない妙な声を張り上げて、群がって行くのが見えます。こうした朝早くに見ますと、物を頭に載せて行く者たちは、まるで鬼のように見えるものだとお聞きになるにつけても、このような蓬の宿の転び寝(まろびね)に馴れておいでにならないお気持には、面白くも思われるのでした――

「宿直人も門あけて出づる音す。おのおの入りて臥しなどするを聞き給ひて、人召して、車妻戸に寄せさせ給ふ。かき抱きて乗せ給ひつ。誰も誰も、あやしう、あへなきことを思ひ騒ぎて、『九月にもありけるを、心憂のわざや、いかにしつることぞ』と嘆けば…」
――宿直人も門を開けて帰っていく音がします。めいめい自分の寝所に入って休むらしい様子をお聞きになって、薫は人を召して車を妻戸に寄せさせ、浮舟をかき抱いて車にお乗せになりました。誰もが皆あまりのことにお止め立てする術もなく、ただうろたえて、「今月は縁組を忌む九月でもありますのに、困ったことですね。どうしましょう」と歎き合っています――

 弁の君も、浮舟がお気の毒で、意外な事の成り行きとは思いますが、

「『おのづから思すやうあらむ。うしろめたうな思ひ給ひそ。九月は明日こそ節分と聞きしか]と言ひなぐさむ。今日は十三日なりけり」
――「きっと薫の君には、何かお考えがおありなのでございましょう。九月といっても明日がその季節に入る日だと聞きましたよ」と言って慰めています。今日は十三日なのでした――

◆おほどれたる声=締りがない声、乱れた声。

◆まろ寝=転び寝(まろびね)

では3/25に。