2012. 3/27 1088
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(59)
「君も見る人はにくからねど、空のけしきにつけても、来し方の恋しさまさりて、山深く入るままにも、霧立ちわたる心地し給ふ。うちながめてより居給へる、袖のかさなりながら、長やかに出でたりけるが、川霧に濡れて、御衣のくれにゐなるに、御直衣の花のおどろおどろしう移りたるを、おとしがけの高きところに見つけて、引き入れ給ふ」
――薫も目の前の浮舟をいとしくはありますが、昔ながらの空の景色を見るにつけても、過ぎし日々が恋しくて、山深く分け入るにつれて目の前が涙でかすむ心地がなさいます。物思いに沈んで物に寄りかかっておられるその袖が、御衣に重なって長々と外にこぼれ出ていますのが川霧で濡れて、その御衣が紅なので、御直衣の縹色(はなだいろ)が喪服のようにひどく色変わりして見えますのを、車が道の窪みから急に登るときに見つけられて、内に引き入れなさる――
「薫の(歌)『かたみにぞ見るにつけてはあさつゆのところせきまでぬるる袖かな』と、心にもあらずひとりごち給ふを聞きて、いとどしぼるばかり、尼君の袖も泣きぬらすを、若き人、あやしう見ぐるしき世かな、心ゆく道に、いとむつかしきこと添ひたる心地す」
―薫の歌「浮舟を大君の形見と思いつつ行く道すがら、この袖は川霧と涙でしっとりを濡れることよ」と、思わずひとり言をおっしゃいます。それを聞いて尼君の袖もひとしお絞るばかりに濡れるのでした。若い侍従は訳が分からず、良き門出だというのに、縁起の悪いことと思っているようで、気の晴れる旅なのに、何か厄介なことが加わったような気がするのでした――
「しのびがたげなる鼻すすりを聞き給ひて、われもしのびやかにうちかみて、いかが思ふらむ、といとほしければ、『あまたの年ごろ、この道を行き交ふ度かさなるを思ふに、そこはかなくものあはれなるかな。すこし起き上がりて、この山の色も見給へ。いとうもれたりや』としひてかき起し給へば、をかしき程にさし隠して、つつましげに見出だしたるまみなどは、いとよく思ひ出でらるれど、おいらかにあまりおほどき過ぎたるぞ、心もとなかめる」
――弁の君が堪え難そうに鼻をすするのをお聞きになりますと、薫もこっそりと鼻をかみながら、浮舟はこの様子をどう思っているのかと可哀そうなので、『長い年月を、この道を何度も行ったり来たりしたことを思いますと、何ということもなく物のあわれを感じるのですよ。少し起き上がって、この山の景色を御覧なさい。たいそう沈み込んでいますね』と言って、無理にもお起しになりますと、ほどほどに扇でお顔を隠して、恥かしそうに外を眺めている目もとなどが、実によく亡き大君に似ていると思い出されるのでした。けれども一方では、この浮舟は、穏かすぎて鷹揚でもあり、それが頼りなく思われるのでした――
「いといたう児めいたるものから、用意の浅からずものし給ひしはや、となほゆく方なき悲しさは、むなしき空にも満ちぬべかめり」
――(大君は)非常に幼げなところもおありになったけれど、お心遣いは奥ゆかしいまでに行き届いていらっしゃったことだった、などと、持って行き場のない悲しさは、今にも果てしない虚空に満ちてしまいそうな気がするのでした――
◆むなしき空にも満ちぬ=古今集「わが恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれども行く方もなし」
では3/29に。
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(59)
「君も見る人はにくからねど、空のけしきにつけても、来し方の恋しさまさりて、山深く入るままにも、霧立ちわたる心地し給ふ。うちながめてより居給へる、袖のかさなりながら、長やかに出でたりけるが、川霧に濡れて、御衣のくれにゐなるに、御直衣の花のおどろおどろしう移りたるを、おとしがけの高きところに見つけて、引き入れ給ふ」
――薫も目の前の浮舟をいとしくはありますが、昔ながらの空の景色を見るにつけても、過ぎし日々が恋しくて、山深く分け入るにつれて目の前が涙でかすむ心地がなさいます。物思いに沈んで物に寄りかかっておられるその袖が、御衣に重なって長々と外にこぼれ出ていますのが川霧で濡れて、その御衣が紅なので、御直衣の縹色(はなだいろ)が喪服のようにひどく色変わりして見えますのを、車が道の窪みから急に登るときに見つけられて、内に引き入れなさる――
「薫の(歌)『かたみにぞ見るにつけてはあさつゆのところせきまでぬるる袖かな』と、心にもあらずひとりごち給ふを聞きて、いとどしぼるばかり、尼君の袖も泣きぬらすを、若き人、あやしう見ぐるしき世かな、心ゆく道に、いとむつかしきこと添ひたる心地す」
―薫の歌「浮舟を大君の形見と思いつつ行く道すがら、この袖は川霧と涙でしっとりを濡れることよ」と、思わずひとり言をおっしゃいます。それを聞いて尼君の袖もひとしお絞るばかりに濡れるのでした。若い侍従は訳が分からず、良き門出だというのに、縁起の悪いことと思っているようで、気の晴れる旅なのに、何か厄介なことが加わったような気がするのでした――
「しのびがたげなる鼻すすりを聞き給ひて、われもしのびやかにうちかみて、いかが思ふらむ、といとほしければ、『あまたの年ごろ、この道を行き交ふ度かさなるを思ふに、そこはかなくものあはれなるかな。すこし起き上がりて、この山の色も見給へ。いとうもれたりや』としひてかき起し給へば、をかしき程にさし隠して、つつましげに見出だしたるまみなどは、いとよく思ひ出でらるれど、おいらかにあまりおほどき過ぎたるぞ、心もとなかめる」
――弁の君が堪え難そうに鼻をすするのをお聞きになりますと、薫もこっそりと鼻をかみながら、浮舟はこの様子をどう思っているのかと可哀そうなので、『長い年月を、この道を何度も行ったり来たりしたことを思いますと、何ということもなく物のあわれを感じるのですよ。少し起き上がって、この山の景色を御覧なさい。たいそう沈み込んでいますね』と言って、無理にもお起しになりますと、ほどほどに扇でお顔を隠して、恥かしそうに外を眺めている目もとなどが、実によく亡き大君に似ていると思い出されるのでした。けれども一方では、この浮舟は、穏かすぎて鷹揚でもあり、それが頼りなく思われるのでした――
「いといたう児めいたるものから、用意の浅からずものし給ひしはや、となほゆく方なき悲しさは、むなしき空にも満ちぬべかめり」
――(大君は)非常に幼げなところもおありになったけれど、お心遣いは奥ゆかしいまでに行き届いていらっしゃったことだった、などと、持って行き場のない悲しさは、今にも果てしない虚空に満ちてしまいそうな気がするのでした――
◆むなしき空にも満ちぬ=古今集「わが恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれども行く方もなし」
では3/29に。