永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1165)

2012年10月15日 | Weblog
2012. 10/15    1165

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その5

乳母が続けて、

「『うち棄て給ひて、かく行方も知らせ給はぬこと。鬼神もあが君をばえ領じたてまつらじ。人のいみじく惜しむ人をば、帝釈も返し給ふなり。あが君を取りたてまつりたらむ、人にまれ鬼にまれ、返したてまつれ。なき御骸をも見たて待つらむ』と言ひ続くるが」
――この乳母をお見棄てになって、こうして行く先もお知らせ下さらないなんて。鬼も神も、私の姫君をわが物にすることは出来ますまい。人がたいそう惜しむ方は、帝釈天もお返しになると申します。人であれ、鬼であれ、さあ、お返し申せ。せめて御亡骸でも拝みたい」と言い続けているのが――

「心得ぬことどもまじるを、あやしと思ひて、『なほのたまへ。もし人の隠し聞こえ給へるか。確かに聞き召さむ、と、御身のかはりに出だし立てさせ給へる御使ひなり。今は、とてもかくてもかひなきことなれど、のちにも聞こし召し合はすることの侍らむに、たがふことまじらば、参りたらむ御使ひの罪になるべし…』」
――(死骸を返せなどと)合点のゆかぬ言葉が混じっていますのを、妙だと思って、「本当のことをおっしゃってください。もしや、どなたかがお隠しになったのですか。匂宮は確かなことをお知りになろうと、ご自身の代わりに私を使者にお遣わしになったのですよ。今となっては仕方が無いことですが、後日、宮が真相をお聞き合わせになられて、それが今日のご報告と違う点があっては、参上しました使者の私の罪となるでしょう…」――

 さらに、

「『また、さりともと頼ませ給ひて、君たちに対面せよ、と仰せられつる、御心ばへも、かたじけなし、とは思されずや。女の道にまどひ給ふことは、人の御門にも、古き例どもありけれど、まだかかること、この世にあらじ、となむ見たてまつる』といふに」
――「その上、宮様が、まさか亡くなられたというようなことはあるまいと、一縷の望みを抱かれて、あなた達に会って、事情を確かめて来いとお言い付けになられたそのお気持も、勿体ないとはおもわれませんか。女の道にお迷いになることは、異朝(支那)にも、古い例はいくつかありますが、まだこれほどまでのご執心は、この世にはあるまいと存じます」と言うので――

「げにいとあはれなる御使ひにこそあれ、隠すとも、かくて例ならぬことのさま、おのづから聞こえなむ、と思ひて、『などか、いささかにても、人や隠いたてまつり給ふらむ、と思ひ寄るべきことあらむには、かくしもあるかぎりまどひ給ふらむ、と思ひ寄るべきことあらむには、かくしもあるかぎりまどひ侍らむ…』」
――(侍従も)これはまことに畏れ多いお使いに違いなく、このような例のないような事というのは、隠そうとしても自然評判になることであろうと、「少しでも、誰かがお隠し申されたのかと心当たりがありますならば、どうしてこんなに、皆の者が慌て惑いましょう…」――

では10/17に。