2012. 10/21 1168
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その8
「『忍びたることとても、御心より起こりてありしことならず。親にて、なきのちに聞き給へりとも、いとやさしき程ならぬを、ありのままに聞えて、かくいみじくおぼつかなきことどもさへ、かたがた思ひ惑ひ給ふさまは、すこしあきらめさせたてまつらむ。亡くなり給へる人とても、骸を置きてもてあつかふこそ世の常なれ、世づかぬけしきにて日ごろも経ば、さらに隠れあらじ。なほ聞こえて、今は世の聞えをだにつくろはむ』と語らひて、忍びてありしさまを聞ゆるに」
――(二人は)「匂宮との御事が秘密であるといっても、姫君の方から望んで起こったことではありません。親として、死後に聞かれたならば、そんなに恥かしいことではないでしょうから、ありのままに母君に申し上げて、悲しみの上に、どうしたわけで姫君が行方知れずになられたのかまであれこれ悩んでおられるのに、少しでも分かっていただけるようにしてはどうでしょう。亡くなられた方としても、亡きがらを前にしてお葬式の用意をするのが、世間の常識ですのに、このような常ならぬ有様で幾日も経っては、とても隠してはおけませんもの」と話し合って、母君にそっと申し上げます――
「言ふ人も消え入り、え言ひやらず。聞く心地も惑ひつつ、さば、このいと荒らましと思ふ河に、流れ亡せ給ひける、と思ふに、いとどわれも落ち入りぬべき心地して、『おはしましけむ方をたづねて、骸をだにはかばかしくをさめむ』とのたまへど」
――申し上げる方も気が遠くなるようで、言葉も途切れがちです。聞く方もいっそう心が乱れて、それでは、この荒々しい宇治川に流れてお亡くなりになったかと思いますと、いよいよ自分も水に落ちてしまいそうな気がして、「流れていらっしゃった行方を尋ねて、亡骸だけでもちゃんと葬って差し上げましょう」と言うのですが――
「『さらに何の甲斐侍らじ。行方も知らぬ大海の原にこそおはしましにけめ。さるものから、人の言ひ伝へむことは、いとど聞きにくし』と聞こゆれば、とざまかくざまに思ふに、胸のせきのぼる心地して、いかにもいかにもすべき方もおぼえ給はぬを…」
――(右近たちが)「お捜しになっても、それはもう甲斐のないことでございます。果てしない大海に流れ入ってしまわれたでしょう。それですから、世間の評判になりますと、たいそう聞きにくいことになりましょう」と申し上げます。母君はあれこれ思うにつけ、胸がこみ上げて来て、本当にどうしてよいのか皆目分からないのでした――
「この人々二人して、車寄せさせて、御座ども、けじかう使ひ給ひし御調度ども、皆ながら脱ぎおき給へる御衾などやうのものを取り入れて、乳母子の大徳、それが叔父の阿闇梨、その弟子のむつまじきなど、もとより知りたる老法師など、御忌に籠るべきかぎりして、人の亡くなりたるけはひに真似びて、出だし立つるを、乳母、母君は、いとゆゆしくいみじ、と臥し転ぶ」
――右近と侍従が二人で車を寄せさせて、お茵(しとね)や、身近でお使いになったお道具類、そのまま脱ぎ捨てていらした、お夜着のような物を取り納めて、乳母子(めのとご)の大徳(だいとこ)、その叔父の阿闇梨、その弟子のごく親しい者など、前々から親しく出入りしている老法師など、忌中に詰めて供養するべき関係者だけが付き添って、いかにも人が亡くなった様子を装って車を送りだすのを、乳母や母君は、これではあまりにも不吉だと言って、臥せったままで泣くばかりです――
◆御座ども(おましども)=座布団の類、寝る時下に敷く物。茵(しとね)
では11/23に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その8
「『忍びたることとても、御心より起こりてありしことならず。親にて、なきのちに聞き給へりとも、いとやさしき程ならぬを、ありのままに聞えて、かくいみじくおぼつかなきことどもさへ、かたがた思ひ惑ひ給ふさまは、すこしあきらめさせたてまつらむ。亡くなり給へる人とても、骸を置きてもてあつかふこそ世の常なれ、世づかぬけしきにて日ごろも経ば、さらに隠れあらじ。なほ聞こえて、今は世の聞えをだにつくろはむ』と語らひて、忍びてありしさまを聞ゆるに」
――(二人は)「匂宮との御事が秘密であるといっても、姫君の方から望んで起こったことではありません。親として、死後に聞かれたならば、そんなに恥かしいことではないでしょうから、ありのままに母君に申し上げて、悲しみの上に、どうしたわけで姫君が行方知れずになられたのかまであれこれ悩んでおられるのに、少しでも分かっていただけるようにしてはどうでしょう。亡くなられた方としても、亡きがらを前にしてお葬式の用意をするのが、世間の常識ですのに、このような常ならぬ有様で幾日も経っては、とても隠してはおけませんもの」と話し合って、母君にそっと申し上げます――
「言ふ人も消え入り、え言ひやらず。聞く心地も惑ひつつ、さば、このいと荒らましと思ふ河に、流れ亡せ給ひける、と思ふに、いとどわれも落ち入りぬべき心地して、『おはしましけむ方をたづねて、骸をだにはかばかしくをさめむ』とのたまへど」
――申し上げる方も気が遠くなるようで、言葉も途切れがちです。聞く方もいっそう心が乱れて、それでは、この荒々しい宇治川に流れてお亡くなりになったかと思いますと、いよいよ自分も水に落ちてしまいそうな気がして、「流れていらっしゃった行方を尋ねて、亡骸だけでもちゃんと葬って差し上げましょう」と言うのですが――
「『さらに何の甲斐侍らじ。行方も知らぬ大海の原にこそおはしましにけめ。さるものから、人の言ひ伝へむことは、いとど聞きにくし』と聞こゆれば、とざまかくざまに思ふに、胸のせきのぼる心地して、いかにもいかにもすべき方もおぼえ給はぬを…」
――(右近たちが)「お捜しになっても、それはもう甲斐のないことでございます。果てしない大海に流れ入ってしまわれたでしょう。それですから、世間の評判になりますと、たいそう聞きにくいことになりましょう」と申し上げます。母君はあれこれ思うにつけ、胸がこみ上げて来て、本当にどうしてよいのか皆目分からないのでした――
「この人々二人して、車寄せさせて、御座ども、けじかう使ひ給ひし御調度ども、皆ながら脱ぎおき給へる御衾などやうのものを取り入れて、乳母子の大徳、それが叔父の阿闇梨、その弟子のむつまじきなど、もとより知りたる老法師など、御忌に籠るべきかぎりして、人の亡くなりたるけはひに真似びて、出だし立つるを、乳母、母君は、いとゆゆしくいみじ、と臥し転ぶ」
――右近と侍従が二人で車を寄せさせて、お茵(しとね)や、身近でお使いになったお道具類、そのまま脱ぎ捨てていらした、お夜着のような物を取り納めて、乳母子(めのとご)の大徳(だいとこ)、その叔父の阿闇梨、その弟子のごく親しい者など、前々から親しく出入りしている老法師など、忌中に詰めて供養するべき関係者だけが付き添って、いかにも人が亡くなった様子を装って車を送りだすのを、乳母や母君は、これではあまりにも不吉だと言って、臥せったままで泣くばかりです――
◆御座ども(おましども)=座布団の類、寝る時下に敷く物。茵(しとね)
では11/23に。