2013. 5/13 1253
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その45
「『今はただ御おこなひをし給へ。老いたる若き、さだめなき世なり。はかなきものに思しとりたるも、ことはりなる御身をや』とのたまふにも、いとはづかしうなむ覚えける。『御法服あたらしくし給へ』とて、綾、うすもの、絹、などいふもの、奉りおき給ふ」
――(僧都は)「今はただ、お勤めをなさい。老若不定(ろうにゃくふじょう)、どちらが先立つとも分からないのがこの世です。世の中を、はかないものと悟られたのも、もっともなお身の上ですものな」と仰ることも、浮舟は、宇治で発見された当時を思って、たいそう恥かし気がなさるのでした。僧都は、「御法服をお作りになるように」と言って、綾、羅(うすもの)、絹などをお贈りになります――
「『なにがしが侍らむかぎりは、仕うまつりなむ。なにか思しわづらふべき。常の世に生ひ出でて、世間の栄華に願ひまつはるるかぎりなむ、ところせく棄てがたく、われも人も思すべかめる。かかる林の中に行ひ勤め給はむ身は、何ごとかはうらめしくもはづかしくも思すべき。このあらむ命は、葉の薄きがごとし』と言ひ知らせて、『松門に暁到りて月俳徊す』と、法師なれど、いと由由しくはづかしげなるさまにて、のたまふことどもを、思ふやうにも言ひ聞かせ給ふかな、と聞き居たり」
――(僧都は)「私が生きております間は、お世話いたしましょう。何のご心配があるものですか。無常なこの世に生まれ出でて、世間の栄華に執着している限りは、差し障りが多く、棄てにくく、誰しも世を棄てることは難しいと考えるようです。このような静かな山奥で勤行しておられるあなたは、何一つ恨めしくも恥かしくもお思いになることはありません。この世の命は草木の葉のように薄いものです」と言い聞かせて、「松門に暁到りて月俳徊す」と白氏文集の句を、法師ながらも、たいそう趣き深く、奥ゆかしげにおっしゃることどもを、浮舟は、私の望み通りに教え訓してくださることと思って聞いているのでした――
「今日は、ひねもすに吹く風の音もいと心細きに、おはしたる人も、『あはれ山伏しは、かかる日にぞねは泣かるなるかし』と言ふを聞きて、われも今は山伏ぞかし、ことわりにとまらぬ涙なりけり、と思ひつつ、端の方に立ち出でて見れば、遥かなる軒端より、狩衣姿いろいろ立ち交じりて見ゆ」
――今日は一日中、吹きつのる風の音も心細く、立ち寄られたお客様の僧都も、「ああ、こういう日こそ、山住みの修行僧は声を立てて泣きたくなるそうですよ」と仰っていますのを聞きますにつけても、浮舟はお心の中で、私も今はその山伏と同じですもの、涙が止まらないのも、尤もなことだと思いながら、遠く見渡せる軒端に出てみますと、向こうの方に、色とりどりの狩衣姿の人影が入り交じって見えます――
「山へのぼる人なりとても、こなたの道には、通ふ人もいとたまさかなり。黒谷とかいふ方より歩く法師の跡のみ、まれまれは見ゆるを、例の姿見つけたるは、あいなくめづらしきに、このうらみわびし中将なりけり」
――比叡のお山に上る人々といいましても、小野から上る道を行く人はめったにいません。黒谷とかいう所から来る法師の一行が、ごくたまに見えるだけですのに、俗界の人の姿を見つけたのは、何と珍しい事と思って見ていますと、それは、言っても仕方のない恨みわびた、あの中将なのでした――
では5/15に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その45
「『今はただ御おこなひをし給へ。老いたる若き、さだめなき世なり。はかなきものに思しとりたるも、ことはりなる御身をや』とのたまふにも、いとはづかしうなむ覚えける。『御法服あたらしくし給へ』とて、綾、うすもの、絹、などいふもの、奉りおき給ふ」
――(僧都は)「今はただ、お勤めをなさい。老若不定(ろうにゃくふじょう)、どちらが先立つとも分からないのがこの世です。世の中を、はかないものと悟られたのも、もっともなお身の上ですものな」と仰ることも、浮舟は、宇治で発見された当時を思って、たいそう恥かし気がなさるのでした。僧都は、「御法服をお作りになるように」と言って、綾、羅(うすもの)、絹などをお贈りになります――
「『なにがしが侍らむかぎりは、仕うまつりなむ。なにか思しわづらふべき。常の世に生ひ出でて、世間の栄華に願ひまつはるるかぎりなむ、ところせく棄てがたく、われも人も思すべかめる。かかる林の中に行ひ勤め給はむ身は、何ごとかはうらめしくもはづかしくも思すべき。このあらむ命は、葉の薄きがごとし』と言ひ知らせて、『松門に暁到りて月俳徊す』と、法師なれど、いと由由しくはづかしげなるさまにて、のたまふことどもを、思ふやうにも言ひ聞かせ給ふかな、と聞き居たり」
――(僧都は)「私が生きております間は、お世話いたしましょう。何のご心配があるものですか。無常なこの世に生まれ出でて、世間の栄華に執着している限りは、差し障りが多く、棄てにくく、誰しも世を棄てることは難しいと考えるようです。このような静かな山奥で勤行しておられるあなたは、何一つ恨めしくも恥かしくもお思いになることはありません。この世の命は草木の葉のように薄いものです」と言い聞かせて、「松門に暁到りて月俳徊す」と白氏文集の句を、法師ながらも、たいそう趣き深く、奥ゆかしげにおっしゃることどもを、浮舟は、私の望み通りに教え訓してくださることと思って聞いているのでした――
「今日は、ひねもすに吹く風の音もいと心細きに、おはしたる人も、『あはれ山伏しは、かかる日にぞねは泣かるなるかし』と言ふを聞きて、われも今は山伏ぞかし、ことわりにとまらぬ涙なりけり、と思ひつつ、端の方に立ち出でて見れば、遥かなる軒端より、狩衣姿いろいろ立ち交じりて見ゆ」
――今日は一日中、吹きつのる風の音も心細く、立ち寄られたお客様の僧都も、「ああ、こういう日こそ、山住みの修行僧は声を立てて泣きたくなるそうですよ」と仰っていますのを聞きますにつけても、浮舟はお心の中で、私も今はその山伏と同じですもの、涙が止まらないのも、尤もなことだと思いながら、遠く見渡せる軒端に出てみますと、向こうの方に、色とりどりの狩衣姿の人影が入り交じって見えます――
「山へのぼる人なりとても、こなたの道には、通ふ人もいとたまさかなり。黒谷とかいふ方より歩く法師の跡のみ、まれまれは見ゆるを、例の姿見つけたるは、あいなくめづらしきに、このうらみわびし中将なりけり」
――比叡のお山に上る人々といいましても、小野から上る道を行く人はめったにいません。黒谷とかいう所から来る法師の一行が、ごくたまに見えるだけですのに、俗界の人の姿を見つけたのは、何と珍しい事と思って見ていますと、それは、言っても仕方のない恨みわびた、あの中将なのでした――
では5/15に。