2013. 5/27 1260
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その52
「かのわたりの親しき人なりけり、と見るにも、さすがにおそろし。『あやしく、やうのものと、かしこにてしも亡せ給ひけること。昨日もいとふびんに侍りしかな。川近き所にて、水をのぞき給ひて、いみじう泣き給ひき。上にのぼり給ひて、柱に書きつけ給ひし、『見し人はかげもとまらぬ水の上に落ちそふなみだいとどせきあへず、となむ侍りし』
――(浮舟はお心の中で)さては、この紀伊守は、あの御あたりへ親しく出入りしている、薫の従者だったのだ、と思いますに、もしや今の身の上を知られはすまいかと、さすがに恐ろしくてなりません。紀伊守は続けて、「不思議にも御姉妹がこともあろうに、同じ宇治で亡くなられました。昨日も大そうお気の毒なご様子でした。殿は宇治の川辺に降り立たれて、水面をお覗きになって、ひどく泣いていらっしゃいました。やがてお部屋にお上りになって、柱にお書きつけになったお歌は、「かつて愛した浮舟は、面影も映さぬ水に上に、落ちては流れる私の涙は、抑えようにも抑えられない」と、ございました――
さらにつづけて、
「『言にあらはしてのたまふことは少なけれど、ただけしきには、いとあはれなる御さまになむ見え給ひし。女は、いみじくめでたてまつりぬべくなむ。若く侍りし時よりも、優におはすと見たてまつりしみにしかば、世の中の一の所も、何とも思ひ侍らず、ただこの殿を頼みきこえさせたなむ、過ぐし侍りめる』と語るに、殊に深き心もなげなるかやうの人だに、御ありさまは見知りにけり、と思ふ」
――「お言葉にお出しになるわけではありませんが、ただご様子はいかにも悲しげにお見えでした。殿は世にも類いない御方ですから、女ならばさぞかしお慕いしない者はいおりますまい。私も若い頃から、薫の君をご立派な方だと思い込んでおりますので、天下第一の権勢家も何とも思わずに、ただこの殿をお頼り申して参りました」と話しています。浮舟は、ことさら考え深そうなこの種の人でさえ、薫のご立派さは、よく分かったのであろうと思うのでした――
「尼君、『光君と聞こえけむ故院の御ありさまには、えならび給はじ、と覚ゆるを、ただ今の世に、この御族ぞめでられ給ふなる。右の大殿と』とのたまへば、」
――尼君が、「光の君とか申し上げた、故六条院の御有様には、とても比べられまいと存じますが、今の世では、あの御一族だけがもてはやされておいでだそうですね。左大臣殿とはいかがでしょう」とおっしゃると――
「『それは、容貌もいとうるはしうけうらに、宿徳にて、際ことなるさまぞし給へる。兵部卿の宮ぞいといみじうおはするや。女にてなれ仕うまつらばや、たなむ覚え侍る』など、教へたらむやうに言ひつづく。あはれにもをかしくも聞くに、身の上もこの世のこととも覚えず。とどこほることなく語り置きて出でぬ」
――「それはそれは、ご容姿もすぐれてご立派で美しく、貫録もおありになって、見るからに高徳でご身分も格別のご様子です。お美しい点では、兵部卿の宮が実に大したものでございますよ。女になってお側近くにお仕えしたいほどの心地がしますよ」などと、まるで浮舟に聞かせるために、だれかが教えでもしたように話つづけています。しみじみと悲しくも面白くも聞いていますと、浮舟はわが身の上の出来事が、この世のこととも思えないのでした。紀伊守は、よどみなく話してしまうと、帰って行きました――
◆おとり腹=劣り腹=妾腹
◆右の大殿=夕霧のことで、左大臣になっているはず。
では5/29に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その52
「かのわたりの親しき人なりけり、と見るにも、さすがにおそろし。『あやしく、やうのものと、かしこにてしも亡せ給ひけること。昨日もいとふびんに侍りしかな。川近き所にて、水をのぞき給ひて、いみじう泣き給ひき。上にのぼり給ひて、柱に書きつけ給ひし、『見し人はかげもとまらぬ水の上に落ちそふなみだいとどせきあへず、となむ侍りし』
――(浮舟はお心の中で)さては、この紀伊守は、あの御あたりへ親しく出入りしている、薫の従者だったのだ、と思いますに、もしや今の身の上を知られはすまいかと、さすがに恐ろしくてなりません。紀伊守は続けて、「不思議にも御姉妹がこともあろうに、同じ宇治で亡くなられました。昨日も大そうお気の毒なご様子でした。殿は宇治の川辺に降り立たれて、水面をお覗きになって、ひどく泣いていらっしゃいました。やがてお部屋にお上りになって、柱にお書きつけになったお歌は、「かつて愛した浮舟は、面影も映さぬ水に上に、落ちては流れる私の涙は、抑えようにも抑えられない」と、ございました――
さらにつづけて、
「『言にあらはしてのたまふことは少なけれど、ただけしきには、いとあはれなる御さまになむ見え給ひし。女は、いみじくめでたてまつりぬべくなむ。若く侍りし時よりも、優におはすと見たてまつりしみにしかば、世の中の一の所も、何とも思ひ侍らず、ただこの殿を頼みきこえさせたなむ、過ぐし侍りめる』と語るに、殊に深き心もなげなるかやうの人だに、御ありさまは見知りにけり、と思ふ」
――「お言葉にお出しになるわけではありませんが、ただご様子はいかにも悲しげにお見えでした。殿は世にも類いない御方ですから、女ならばさぞかしお慕いしない者はいおりますまい。私も若い頃から、薫の君をご立派な方だと思い込んでおりますので、天下第一の権勢家も何とも思わずに、ただこの殿をお頼り申して参りました」と話しています。浮舟は、ことさら考え深そうなこの種の人でさえ、薫のご立派さは、よく分かったのであろうと思うのでした――
「尼君、『光君と聞こえけむ故院の御ありさまには、えならび給はじ、と覚ゆるを、ただ今の世に、この御族ぞめでられ給ふなる。右の大殿と』とのたまへば、」
――尼君が、「光の君とか申し上げた、故六条院の御有様には、とても比べられまいと存じますが、今の世では、あの御一族だけがもてはやされておいでだそうですね。左大臣殿とはいかがでしょう」とおっしゃると――
「『それは、容貌もいとうるはしうけうらに、宿徳にて、際ことなるさまぞし給へる。兵部卿の宮ぞいといみじうおはするや。女にてなれ仕うまつらばや、たなむ覚え侍る』など、教へたらむやうに言ひつづく。あはれにもをかしくも聞くに、身の上もこの世のこととも覚えず。とどこほることなく語り置きて出でぬ」
――「それはそれは、ご容姿もすぐれてご立派で美しく、貫録もおありになって、見るからに高徳でご身分も格別のご様子です。お美しい点では、兵部卿の宮が実に大したものでございますよ。女になってお側近くにお仕えしたいほどの心地がしますよ」などと、まるで浮舟に聞かせるために、だれかが教えでもしたように話つづけています。しみじみと悲しくも面白くも聞いていますと、浮舟はわが身の上の出来事が、この世のこととも思えないのでした。紀伊守は、よどみなく話してしまうと、帰って行きました――
◆おとり腹=劣り腹=妾腹
◆右の大殿=夕霧のことで、左大臣になっているはず。
では5/29に。