2013. 5/19 1256
五
十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その48
「尼なりとも、かかるさましたらむ人はうたても覚えじ、など、なかなか見どころまさりて心苦しかるべきを、忍びたるさまに、なほ語らひとりてむ、と思へば、まめやかに語らふ。『世の常のさまには思しはばかることもありけむを、かかるさまになり給ひにたるなむ、心やすう聞えつべく侍る。さやうに教へ聞こへ給へ。来し方の忘れがたくて、かやうに参り来るに、また今ひとつ志を添へてこそ』などのたまふ」
――尼姿であっても、これほどの美人なら厭な感じはしない。帰って俗体より見栄えがして、心は怪しく燃えてくるのでした。中将はこっそりと、やはり自分の手に入れていまいたいと、尼君にねんごろに相談するのでした。中将が、「あの方が俗体の頃は対面を遠慮なさる事情もあったでしょうが、尼姿におなりになった今は、却って気楽にお話もできると存じます。そのようにお教えになってください。亡き妻を忘れかねて、こうしてお伺いして参りましたが、これからは
その上に浮舟への愛情を加えて、もうひとつの志を添えさせてください」などとおっしゃる――
「『いと行く末心細く、うしろめたきさまに侍るめるに、まめやかなるさまに思し忘れず訪はせ給はむ、いとうれしくこそ思う給へ置かめ。侍らざらむのちなむ、あはれに思う給へらるべき』とて、泣き給ふに、この尼君も離れぬ人なるべし、誰ならむ、と心得がたし」
――(尼君が)「行く末のことがまことに心細く、心配でなりませんが、あなたさまがまめやかにお心にかけてくださるならば、どんなにか安心なことでしょう。私が亡くなりました後の、この方のが、どうなりますか、不憫におもわれまして」と言ってお泣きになります。中将は、この尼君もあのお方の縁につながる人らしいけれど、あの姫君は一体誰なのだろうと思うものの、心当たりがないのでした――
「『行く末の御後見は、命も知り難くたのもしげなき身なれど、さ聞えそめ侍りなば、さらにかはり侍らじ。たづねきこえ給ふべき人は、まことにものし給はぬか。さやうのことのおぼつかなきになむ、はばかるべきことには侍らねど、なほへだてある心地し侍るべき』とのたまへば、」
――(中将が)「将来のお世話は、私もいつ死ぬか分からない頼りない身ですが、一旦そう申し上げた上は、決して変ることはありますまい。その方の行方をお探しする筈の人は、本当にいらっしゃらないのですか。その辺の事がはっきりいたしませんのが、何もそれで遠慮すべきではありませんが、やはりどうも、しっくりしない気持ちがいたしますが」とおっしゃると、――
「『人に知らるべきさまにて世に経給はば、さもやたづね出づる人も侍らむ。今はかかる方に、思ひ限りつるありさまになむ。心のおもむけもさのみ見え侍るを』など語らひ給ふ」
――(尼君は)「人に知られてもよい風に過ごしておられるならば、そのように探しに来る人もおりましょう。今はこのように出家して、この世を諦めた状態ですからね。それはまた、ご本人のご意志のようでもございますし」などとお話になります――
「こなたにも消息し給へり。『おほかたの世をそむきける君なれど厭ふによせて身こそつらけれ』ねんごろに深く聞え給ふことなど、多く言ひ伝ふ。『兄弟と思しなせ。はかなき世の物語なども聞えて、なぐさめむ』など言ひ続く」
――中将は浮舟にも挨拶をなさる。(歌)「憂き世を厭うて出家なさったとは存じますが、なにか私を嫌ってなさったようで、この身が辛くてなりません」このような心をこめて、思いやり深くおっしゃることなどを、尼君は細々とお取り次ぎをして、「兄弟とお思いになってください。はかない浮世の物語など申し上げて、お慰めしましょう」などと、中将の言葉を、取り次ぎの者はなおも続けるのでした――
では5/21に。
五
十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その48
「尼なりとも、かかるさましたらむ人はうたても覚えじ、など、なかなか見どころまさりて心苦しかるべきを、忍びたるさまに、なほ語らひとりてむ、と思へば、まめやかに語らふ。『世の常のさまには思しはばかることもありけむを、かかるさまになり給ひにたるなむ、心やすう聞えつべく侍る。さやうに教へ聞こへ給へ。来し方の忘れがたくて、かやうに参り来るに、また今ひとつ志を添へてこそ』などのたまふ」
――尼姿であっても、これほどの美人なら厭な感じはしない。帰って俗体より見栄えがして、心は怪しく燃えてくるのでした。中将はこっそりと、やはり自分の手に入れていまいたいと、尼君にねんごろに相談するのでした。中将が、「あの方が俗体の頃は対面を遠慮なさる事情もあったでしょうが、尼姿におなりになった今は、却って気楽にお話もできると存じます。そのようにお教えになってください。亡き妻を忘れかねて、こうしてお伺いして参りましたが、これからは
その上に浮舟への愛情を加えて、もうひとつの志を添えさせてください」などとおっしゃる――
「『いと行く末心細く、うしろめたきさまに侍るめるに、まめやかなるさまに思し忘れず訪はせ給はむ、いとうれしくこそ思う給へ置かめ。侍らざらむのちなむ、あはれに思う給へらるべき』とて、泣き給ふに、この尼君も離れぬ人なるべし、誰ならむ、と心得がたし」
――(尼君が)「行く末のことがまことに心細く、心配でなりませんが、あなたさまがまめやかにお心にかけてくださるならば、どんなにか安心なことでしょう。私が亡くなりました後の、この方のが、どうなりますか、不憫におもわれまして」と言ってお泣きになります。中将は、この尼君もあのお方の縁につながる人らしいけれど、あの姫君は一体誰なのだろうと思うものの、心当たりがないのでした――
「『行く末の御後見は、命も知り難くたのもしげなき身なれど、さ聞えそめ侍りなば、さらにかはり侍らじ。たづねきこえ給ふべき人は、まことにものし給はぬか。さやうのことのおぼつかなきになむ、はばかるべきことには侍らねど、なほへだてある心地し侍るべき』とのたまへば、」
――(中将が)「将来のお世話は、私もいつ死ぬか分からない頼りない身ですが、一旦そう申し上げた上は、決して変ることはありますまい。その方の行方をお探しする筈の人は、本当にいらっしゃらないのですか。その辺の事がはっきりいたしませんのが、何もそれで遠慮すべきではありませんが、やはりどうも、しっくりしない気持ちがいたしますが」とおっしゃると、――
「『人に知らるべきさまにて世に経給はば、さもやたづね出づる人も侍らむ。今はかかる方に、思ひ限りつるありさまになむ。心のおもむけもさのみ見え侍るを』など語らひ給ふ」
――(尼君は)「人に知られてもよい風に過ごしておられるならば、そのように探しに来る人もおりましょう。今はこのように出家して、この世を諦めた状態ですからね。それはまた、ご本人のご意志のようでもございますし」などとお話になります――
「こなたにも消息し給へり。『おほかたの世をそむきける君なれど厭ふによせて身こそつらけれ』ねんごろに深く聞え給ふことなど、多く言ひ伝ふ。『兄弟と思しなせ。はかなき世の物語なども聞えて、なぐさめむ』など言ひ続く」
――中将は浮舟にも挨拶をなさる。(歌)「憂き世を厭うて出家なさったとは存じますが、なにか私を嫌ってなさったようで、この身が辛くてなりません」このような心をこめて、思いやり深くおっしゃることなどを、尼君は細々とお取り次ぎをして、「兄弟とお思いになってください。はかない浮世の物語など申し上げて、お慰めしましょう」などと、中将の言葉を、取り次ぎの者はなおも続けるのでした――
では5/21に。