永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1274)

2013年07月01日 | Weblog
2013. 7/1    1274

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その8

「小野には、いと深く繁りたる青葉の山に向かひて、まぎるることなく、遣水の蛍ばかりを、昔おぼゆるなぐさめにて、ながめ居給へるに、例の、遥かに見やらるる谷の軒端より、前駆心ことに追ひて、いと多く燈したる火の、のどかならぬ光を見るとて、尼君たちも端に出で居たり」
――小野では、浮舟は深々と繁った青葉の山を前にして、気の紛れることもなく、遣水のあたりの蛍ばかりを、宇治の昔を偲ぶ慰めに眺めていますと、いつもの軒端から遠く見渡される谷合いに、前駆を特別に用心深くして、数多く灯した松明の光が山坂の上り下りに、高く低く揺れ動くのを、尼君たちも端近くに出て眺めています――

「『誰がおはするにかあらむ。御前などいと多くこそ見ゆれ。昼、あなたにひきぼし奉れたりつる返りごとに、大将殿おはしまして、御饗応のことにはかにするを、いとよき折、とこそありつれ』『大将殿とは、この女二の宮の御夫にやおはしつらむ』など言ふも、いとこの世遠く、田舎びにたりや」
――(妹尼が)「どなたがお通りになるのでしょう。御前駆(ごぜん=前駆ばらい)の人数も随分多いようですね。そういえば、昼間、僧都のところに引干しを差し上げましたら、源氏の大将殿がお出でになって、急におもてなしをするところなので、丁度良かった、というお返事がありました」他の尼たちが「大将殿とは、帝の二番目の内親王の婿君でいらっしゃったかしら」などと話してしるのも、いかにも浮世離れがして田舎じみていることよ――

「まことにさにやあらむ、時々かかる山路分けおはせし時、いとしるかりし随身の声も、うちつけにまじりて、聞ゆ。月日の過ぎ行くままに、昔のことのかく思ひ忘れぬも、今はなににすべきことぞ、と心憂ければ、阿弥陀仏に思ひまぎらはして、いとどものも言はで居たり。横川に通ふ人のみなむ、このわたりには近きたよりなりける」
――本当に薫かも知れない。昔、時々こうした山路を分けて来訪されたとき、すぐにあの人だと分かった随身の声も、そっくり聞き分けられます。月日を添えて忘れる筈の昔のことが、かえって心に蘇ってくるというのも、出家した今となっては、何の益にもならないこと、と浮舟はわれながら疎ましく、阿弥陀の念仏を唱えるのに心を紛らわして、いつもよりも一層何も言わずに居ります。わずかに横川に通ふ者のほかには、人影などみることもないこの辺りでは、山道を行き来する人たちにも、里を恋しく思わされるのでした――

◆しばらく夏休みとします。その間「宇治十条の旅」として、
 ブログに写真などを載せますのでよろしく。訳文の次回は7/21(日)から。