◆(宇治を訪ねて) 2 2013.7.5
紫式部の筆になる「源氏物語」の時代、宇治は貴族の山荘が営まれた勝境でした。 「源氏物語」五十四帖の最後の十帖は、主に宇治を舞台にしており、世に「宇治十帖」として知られています。「紫式部」も宇治を訪れたことがあるからこそ「宇治十帖」の風光を描くことができたのでしょう。
写真:宇治橋
阿闍梨の住む山寺と浮舟の父八宮の山荘の位置
八宮の山荘は、宇治川の瀬音が聞こえる宇治川右岸にあり、山寺は鐘の音が微かに届く山中とありますので、 現在地でいえば、八宮山荘は宇治橋下流、山寺は三室戸寺と考えられています。
では7/7に。
紫式部の筆になる「源氏物語」の時代、宇治は貴族の山荘が営まれた勝境でした。 「源氏物語」五十四帖の最後の十帖は、主に宇治を舞台にしており、世に「宇治十帖」として知られています。「紫式部」も宇治を訪れたことがあるからこそ「宇治十帖」の風光を描くことができたのでしょう。
写真:宇治橋
阿闍梨の住む山寺と浮舟の父八宮の山荘の位置
八宮の山荘は、宇治川の瀬音が聞こえる宇治川右岸にあり、山寺は鐘の音が微かに届く山中とありますので、 現在地でいえば、八宮山荘は宇治橋下流、山寺は三室戸寺と考えられています。
では7/7に。