2013. 7/21 1275
五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その9
「かの殿は、この子をやがてやらむ、と思しけれど、人目多くてびんなければ、殿に帰り給ひて、またの日、ことさらにぞ出だし立て給ふ。むつまじく思す人の、ことごとしからぬ二三人、送りにて、昔も常につかはしし随身添へ給へり。人聞かぬ間に呼び寄せ給ひて、『あこが亡せにしいもうとの顔はおぼゆや。今は世に亡き人と思ひ果てにしを、いとたしかにこそものし給ふなれ。うとき人には聞かせじ、と思ふを、往きてたづねよ。母には、まだしきに言ふな。なかなかおどろき騒がむ程に、知るまじき人も知りなむ。その親のみ思ひのいとほしさにこそ、かくもたづぬれ』と、まだきにいと口がため給ふを、をさなき心地にも、兄弟は多かれど、この君の容貌をば、似るものなし、と思ひしみたりしに、亡せ給ひにけり、と聞きて、いと悲しと思ひわたるに、かくのたまへば、うれしきにも涙の落つるを、はづかしと思ひて、まぎらはしに、『をを』と荒らかに聞え居たり」
――薫は、小君をここからすぐに小野に遣ろうと思われましたが、大勢の供人の手前も具合が悪いので、一旦自邸にお戻りになってから、翌日、改めて小君を小野へ使いにお出しになります。薫が親しくしておられる人で、身分も大して重くもない二、三人が送り役で、あの頃も始終浮舟の所へお遣わしになった随身を添えておやりになります。薫は密かに小君をお側に召し寄せて、「お前は、行方知れずになった姉君の顔を覚えているか。今は世に亡い人と諦めていたところ、間違いなく生きているということだ。他人には聞かせまいと思うのだがね、行って調べて来い。母君には、まだ確かめぬうちから言うな。かえって驚き騒ぐうちに、知ってはならぬ人まで知ってしまうからね。母君のそのお嘆きが気の毒だからこそ、これ程までしてしらべるのだから」と、事前に固く口止めなさるのを、小君は子供心にも、大勢の兄や姉の中で、この姉の容貌を、及ぶ人も無いほど美しいと思い込んでいましたのに、亡くなったと聞いてたいそう悲しく思いつづけていたのでした。それを、突然こう仰せられますので、うれしさもひとしおで、われ知らず涙の落ちるのも気まりが悪く、「はい」と凛々しくお答え申し上げるのでした――
「かしこには、まだつとめて、僧都の御許より、『よべ大将殿の御使ひにて、小君やまうで給へりし。ことのこころ承りしに、あぢきなく、かへりて臆し侍りてなむ、と、姫君に聞え給へ。みづから聞えさすべきことも多かれど、今日明日過ぐしてさぶらふべし』と書き給へり」
――小野の尼君の所へは、早朝に僧都の許からお手紙で、「昨夜、薫の君のお使いとして、小君が参上されましたか。薫の君から事情を伺いましたが、どうも出家をおさせしたことが、気後れしておりまして、今になって恐縮していますと姫君にお伝え申し上げてください。私自身で申し上げたい事がありますが、今日明日を過ごしてから、お伺いいたしましょう」と書いてあります――
「これはなにごとぞ、と尼君おどろきて、こなたへもてわたりて見せたてまつり給へば、おもてうち赤みて、もののきこえのあるにや、と苦しう、もの隠ししけり、と恨みられむを思ひ続くるに、いらへむかたなくて居給へるに、『なほのたまはせよ。心憂く思し隔つること』といみじくうらみて、ことの心を知らねば、おわただしきまで思ひたる程に、『山より、僧都の御消息にて、参りたる人なむある』と言ひ入れたり」
――これはどうしたことであろうと、妹尼はおどろいて、浮舟のお部屋にその手紙を持ってきて、お見せ申しますと、尼姫君はお顔を赤らめて、さては自分の事が評判になったのかしら、隠しごとをいていたと、この尼たちにもさぞかし恨まれることだろうと思いつづけますと、何とお返事をしてよいか、途方にくれて黙っていらっしゃる。尼君が、「お隠しにならずに仰ってくださいまし。分けヘだてなさるとは情けない」と、ひどく恨みながら、それにしても事情が分かりませんので、ただただうろたえております。そこへ小君が、「山から、僧都のお手紙を頂いて参上した者でございます」と案内を乞うてきました――
◆ひきぼし(引干し)=海草の干したもの
では7/23に。
五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その9
「かの殿は、この子をやがてやらむ、と思しけれど、人目多くてびんなければ、殿に帰り給ひて、またの日、ことさらにぞ出だし立て給ふ。むつまじく思す人の、ことごとしからぬ二三人、送りにて、昔も常につかはしし随身添へ給へり。人聞かぬ間に呼び寄せ給ひて、『あこが亡せにしいもうとの顔はおぼゆや。今は世に亡き人と思ひ果てにしを、いとたしかにこそものし給ふなれ。うとき人には聞かせじ、と思ふを、往きてたづねよ。母には、まだしきに言ふな。なかなかおどろき騒がむ程に、知るまじき人も知りなむ。その親のみ思ひのいとほしさにこそ、かくもたづぬれ』と、まだきにいと口がため給ふを、をさなき心地にも、兄弟は多かれど、この君の容貌をば、似るものなし、と思ひしみたりしに、亡せ給ひにけり、と聞きて、いと悲しと思ひわたるに、かくのたまへば、うれしきにも涙の落つるを、はづかしと思ひて、まぎらはしに、『をを』と荒らかに聞え居たり」
――薫は、小君をここからすぐに小野に遣ろうと思われましたが、大勢の供人の手前も具合が悪いので、一旦自邸にお戻りになってから、翌日、改めて小君を小野へ使いにお出しになります。薫が親しくしておられる人で、身分も大して重くもない二、三人が送り役で、あの頃も始終浮舟の所へお遣わしになった随身を添えておやりになります。薫は密かに小君をお側に召し寄せて、「お前は、行方知れずになった姉君の顔を覚えているか。今は世に亡い人と諦めていたところ、間違いなく生きているということだ。他人には聞かせまいと思うのだがね、行って調べて来い。母君には、まだ確かめぬうちから言うな。かえって驚き騒ぐうちに、知ってはならぬ人まで知ってしまうからね。母君のそのお嘆きが気の毒だからこそ、これ程までしてしらべるのだから」と、事前に固く口止めなさるのを、小君は子供心にも、大勢の兄や姉の中で、この姉の容貌を、及ぶ人も無いほど美しいと思い込んでいましたのに、亡くなったと聞いてたいそう悲しく思いつづけていたのでした。それを、突然こう仰せられますので、うれしさもひとしおで、われ知らず涙の落ちるのも気まりが悪く、「はい」と凛々しくお答え申し上げるのでした――
「かしこには、まだつとめて、僧都の御許より、『よべ大将殿の御使ひにて、小君やまうで給へりし。ことのこころ承りしに、あぢきなく、かへりて臆し侍りてなむ、と、姫君に聞え給へ。みづから聞えさすべきことも多かれど、今日明日過ぐしてさぶらふべし』と書き給へり」
――小野の尼君の所へは、早朝に僧都の許からお手紙で、「昨夜、薫の君のお使いとして、小君が参上されましたか。薫の君から事情を伺いましたが、どうも出家をおさせしたことが、気後れしておりまして、今になって恐縮していますと姫君にお伝え申し上げてください。私自身で申し上げたい事がありますが、今日明日を過ごしてから、お伺いいたしましょう」と書いてあります――
「これはなにごとぞ、と尼君おどろきて、こなたへもてわたりて見せたてまつり給へば、おもてうち赤みて、もののきこえのあるにや、と苦しう、もの隠ししけり、と恨みられむを思ひ続くるに、いらへむかたなくて居給へるに、『なほのたまはせよ。心憂く思し隔つること』といみじくうらみて、ことの心を知らねば、おわただしきまで思ひたる程に、『山より、僧都の御消息にて、参りたる人なむある』と言ひ入れたり」
――これはどうしたことであろうと、妹尼はおどろいて、浮舟のお部屋にその手紙を持ってきて、お見せ申しますと、尼姫君はお顔を赤らめて、さては自分の事が評判になったのかしら、隠しごとをいていたと、この尼たちにもさぞかし恨まれることだろうと思いつづけますと、何とお返事をしてよいか、途方にくれて黙っていらっしゃる。尼君が、「お隠しにならずに仰ってくださいまし。分けヘだてなさるとは情けない」と、ひどく恨みながら、それにしても事情が分かりませんので、ただただうろたえております。そこへ小君が、「山から、僧都のお手紙を頂いて参上した者でございます」と案内を乞うてきました――
◆ひきぼし(引干し)=海草の干したもの
では7/23に。