蜻蛉日記 上巻 (16) 2015.4.22
「おほかたの世のうちあはぬことはなければ、ただ人のこころの思はずなるを、われのみならず、年ごろのところにも絶えにたなりと聞きて、文などかよふことありければ、五月三四日のほどにかく言ひやる。
<そこにさへかるといふなる真菰草いかなる沢に根をとどむらん>
かへし、
<真菰草かるとは淀の沢なれや根をとどむてふ沢はそことか>
――普段の暮らしには別に困ることもないので、それはそれで良いのですが、あの兼家の浮気が不満でならないのも、私だけでなく、年来の妻(時姫)のところにも音沙汰が無くなったと聞きまして、普段から文などのやり取りもあった五月の三日か四日にこのように申し上げたのでした。
(道綱母の歌)「あなたの許をさえ離れていったと聞く兼家(真菰草)という人は、一体何処に居ついたのでしょう」
お返事は
(時姫の歌)「兼家(真菰草)が夜離れをするのは私の処(淀の沢)、留まっているのはあなたのところではありませんか」
■真菰草(まこもぐさ)=草の名。水辺に生える。線形の葉は刈り取ってむしろなどに編む。また、実を食用とする。「菰(こも)」「真菰草」「かつみ草」とも。◆「ま」は接頭語。[季語] 夏。
ここでは、水辺(だれかの所)に居座っている…か。
蜻蛉日記 上巻 (17) 2015.4.22
「六月になりぬ。ついたちかけて長雨いたうす。見出してひとりごとに、
<わが宿のなげきの下葉いろふかく移ろひにけりながめふるまに>
などいふほどに、七月になりぬ。絶えぬと見ましかば、かりに来るにはまさりなましなど、思ひつづくるをりに、ものしたる日あり。」
――六月になりました。この月のはじめにかけて長雨が続いていました。外を眺めながら一人言に、
(道綱母の歌)「わが家の庭木の下葉は、この長雨ですっかり色づき、私も物思いで心の中いっぱいに嘆きが深まったことだ」
などと、つぶやいているうちに七月になりました。あの人とはもうすっかり絶えてしまったのだとしたら、もう来ることはないだろうと思い続けていたとき、あの人がひょっこりと来た日がありました。――
「ものも言はねばさうざうしがなるに、まへなる人、ありし下葉のことを、もののついでに、言ひ出でたれば、聞きてかく言ふ。
<折ならでいろづきにけるもみぢばは時にあひてぞ色まさりける>
とあれば、硯ひきよせて、
<秋にあふ色こそましてわびしけれ下葉をだにもなげきしものを>
とぞ、書き付くる。」
――私は腹も立ち、すねて話もせずにいますと、あの人はとりつくしまもなく手持ち無沙汰の態で居ますのを、侍女が、いつぞやの歌の「わが宿のなげきの下葉…」を話題にして言い出しますと、あの人はそれを聞いてこう言います。
(兼家の歌)「秋になる前(六月)から色づいていた紅葉は、秋になって一段と美しくなったものだ」
私は硯を引き寄せて、
(道綱母の歌)「秋ならぬあなたの飽きに逢わされてほんとうに心細い。それでなくても嘆きの多い思いをしてきているのに」
と、思いのたけを書き付けてやりました。――
「おほかたの世のうちあはぬことはなければ、ただ人のこころの思はずなるを、われのみならず、年ごろのところにも絶えにたなりと聞きて、文などかよふことありければ、五月三四日のほどにかく言ひやる。
<そこにさへかるといふなる真菰草いかなる沢に根をとどむらん>
かへし、
<真菰草かるとは淀の沢なれや根をとどむてふ沢はそことか>
――普段の暮らしには別に困ることもないので、それはそれで良いのですが、あの兼家の浮気が不満でならないのも、私だけでなく、年来の妻(時姫)のところにも音沙汰が無くなったと聞きまして、普段から文などのやり取りもあった五月の三日か四日にこのように申し上げたのでした。
(道綱母の歌)「あなたの許をさえ離れていったと聞く兼家(真菰草)という人は、一体何処に居ついたのでしょう」
お返事は
(時姫の歌)「兼家(真菰草)が夜離れをするのは私の処(淀の沢)、留まっているのはあなたのところではありませんか」
■真菰草(まこもぐさ)=草の名。水辺に生える。線形の葉は刈り取ってむしろなどに編む。また、実を食用とする。「菰(こも)」「真菰草」「かつみ草」とも。◆「ま」は接頭語。[季語] 夏。
ここでは、水辺(だれかの所)に居座っている…か。
蜻蛉日記 上巻 (17) 2015.4.22
「六月になりぬ。ついたちかけて長雨いたうす。見出してひとりごとに、
<わが宿のなげきの下葉いろふかく移ろひにけりながめふるまに>
などいふほどに、七月になりぬ。絶えぬと見ましかば、かりに来るにはまさりなましなど、思ひつづくるをりに、ものしたる日あり。」
――六月になりました。この月のはじめにかけて長雨が続いていました。外を眺めながら一人言に、
(道綱母の歌)「わが家の庭木の下葉は、この長雨ですっかり色づき、私も物思いで心の中いっぱいに嘆きが深まったことだ」
などと、つぶやいているうちに七月になりました。あの人とはもうすっかり絶えてしまったのだとしたら、もう来ることはないだろうと思い続けていたとき、あの人がひょっこりと来た日がありました。――
「ものも言はねばさうざうしがなるに、まへなる人、ありし下葉のことを、もののついでに、言ひ出でたれば、聞きてかく言ふ。
<折ならでいろづきにけるもみぢばは時にあひてぞ色まさりける>
とあれば、硯ひきよせて、
<秋にあふ色こそましてわびしけれ下葉をだにもなげきしものを>
とぞ、書き付くる。」
――私は腹も立ち、すねて話もせずにいますと、あの人はとりつくしまもなく手持ち無沙汰の態で居ますのを、侍女が、いつぞやの歌の「わが宿のなげきの下葉…」を話題にして言い出しますと、あの人はそれを聞いてこう言います。
(兼家の歌)「秋になる前(六月)から色づいていた紅葉は、秋になって一段と美しくなったものだ」
私は硯を引き寄せて、
(道綱母の歌)「秋ならぬあなたの飽きに逢わされてほんとうに心細い。それでなくても嘆きの多い思いをしてきているのに」
と、思いのたけを書き付けてやりました。――