永子の窓

趣味の世界

蜻蛉物語を読んできて(18)(19)

2015年04月26日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (18) 2015.4.26

「かくありつつき絶えずは来れども、心のとくる世なきに、離れまさりつつ、来ては気色あしければ、『倒るるに立ち山』とたち帰るときもあり。近き隣にこころばへしれる人、出づるにあはせてかく言へり。
<藻塩焼く煙の空にたちぬるはふすべやしつるくゆるおもひに>
など、隣さかしらするまでふすべかはして、このごろはことと久しう見えず。」
――こんなふうに、絶えるというのでもなくあの人は来るけれど、私は不安な心の休まらない日を過ごしていました。訪ねてくる日が間遠になりながらも、来たら来たで、私の機嫌が悪いので、「まったく、困ったなあ」と言って、引き返してしまうこともありました。隣人で私たちの内情を知る人が、兼家が帰るときに、こんなふうに言いました。
(隣人の歌)「藻塩草を焼く煙が空に立ちのぼった(兼家が帰った)のは、あなたがくすぶらせた(嫉妬してすねた)からか」
などと、隣人がいかにもお節介なことを言うので、この頃はまた、ますますもって訪ねてきません。――

■ありつつき=意味不詳。「有り続き」か「ありきつつ」か。


蜻蛉日記  上巻 (19) 2015.4.26

「ただなりし折はさしもあらざりしを、かく心あくがれて、いかなる物もとどめぬ癖なんありける。かくて止みぬらん、そのものと思ひ出づべき便りだになくぞありけるかしと思ふに、十日ばかりありて文あり。」
――普通の折はそんなこともなかったのに、町の小路の女に夢中になってからは、あの人のちょっとした物も、心静かに見られないほど穏やかでなくなっていました。そのうち私たちの間もこうして終わりになってしまうのだろうか。なにか思い出になるようなものは無いかしらと思っていると、十日ほど経ってから手紙がきました。――


「なにくれと言ひて、『張の柱に結ひ付けたりし小弓の矢とりて』とあれば、これぞありけるかしと思ひて、解きおろして、
<思ひいづる時もあらじとおもへども矢といふにこそおどろかれぬれ>
とてやりつ。
――文面になにやかにやとあって、「寝所の柱に結い付けてあった小弓の矢をよこせ」とあったので、ああ、そんなものがまだあったのかしらと、降ろして持たせてやったこともありました。悔しさに、
(道綱母の歌)「あなたのことを思い出す折などあるまいと思っていましたが、矢を寄こせというので、(やっ)はっとして思い出しましたよ(矢に「や」という呼びかけをひびかす)」
と言ってやったのでした。――


■張(ちょう・とばり)=部屋に垂れ下げる布。たれぎぬ。張台におなじ。ここでは母屋に畳二枚を敷き、四隅に柱を立て、天井を設けて周囲に張を垂らす。寝所。

■小弓(こゆみ)=遊戯用の小型の弓。矢は魔除けとして寝所に置いたものか。