永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(解説)

2016年07月06日 | Weblog
「解説」

蜻蛉日記(中)上村悦子著より抜粋。 2016.7.6

今回の初瀬詣では初度の場合とだいぶ趣が異なる。初度の場合は超子の入内という事実に刺激されて、ぜひ子宝を授かりたい願いをもってしゃにむに出かけた。また兼家を「三十日三十夜はわがもとに」と彼の訪れを十分得ることをねがってもいるころであったし、東三条邸入りの夢も膨らんでいた。

ところが今回は右の希求がどれもこれも破れてしまったあとである。しかし再度の初瀬詣での作者はけっして暗いどうしようもない憂鬱な気持ちは感じられない。父倫寧といっしょであったことも関係あろうが、摂関家子息の北の方の一人としてしょせん夫の訪れを毎夜得ることが不可能なことも身に沁みて悟り得て諦めの気持ちも持つようになっていたであろう。しかも鳴滝参籠で作者はやはり兼家の北の方として兼家はもちろん、すべての人に遇されてしることもはっきり知り得る機会を持ちえて、その意味では心も落ち着いたであろう。
(中略)

再度の初瀬詣で全般の印象は決して暗くなくかなり軽妙な感じすら受ける。(中略)しかも天候はきわめて悪く、激しい風雨に見舞われている最中である。いつも孤独のこの人が同行の人たちに溶け込んでいて、(中略)鵜飼を夢中に見物して侍女から促されてようやく帰途につく始末である。
再度の初瀬詣では天候にはあまりめぐまれなかったが作者にとっては楽しい、心身ともに苦悩から、一時開放された旅であった。