永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(165)

2017年02月02日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (165) 2017.2.2

「若き人こそかやうに言ふめれ、我ははるのよのつね、秋のつれづれ、いとあはれに深きながめをするよりは、残らん人の思ひ出にも見よとて、絵をぞかく。さるうちにも今やけふやとまたがるる命、やうやう月たちて日もゆけば、さればよ、よも死なじものを、さいはいある人こそ命はつづむれと思ふに、うべもなく九月もたちぬ。」

◆◆若き人たちはこんな風に歌のやりとりをしているようでした。私は決まって春の夜だとか、また秋の所在無い折々に、ひどく深い物思いに沈んでいるよりは、私の亡きあとに残る人たちの思い出として見てもと思って絵を描いています。そうしているうちにも、今に死ぬのか、今日死ぬのかと待たれる命が、そんな気配もなく、死ぬと言われた八月に入り、日が過ぎてゆくので、ほらやっぱり、まさか死ぬことはあるまいに、幸せな人こそ命が短くなるのだけれど(私は不幸だから短命ではない)、と思っていると、やはりそのとおりで異常なこともなく九月になったのでした。◆◆



「廿七八日のほどに、土犯すとてほかなる夜しも、めづらしきことありけるを、人告げにきたるも、なにごともおぼえねば、憂くてやみぬ。」

◆◆二十七、八日のころに、土を犯すというので、他に移った丁度そのころに、あの人からめづらしいこともあるもの、使いが来たと留守居の者が来たけれど、何もおもいうかばないことなので、もの憂いまま返事もせずにしてしまったのでした。◆◆

■土犯すとて=陰陽道で、「土公」のいる方角で工事、造作をすること。その邸の住人は、「土忌み」として他所へ移る。