蜻蛉日記 下巻 (171) 2017.2.24
「朝廷には、例の、そのころ八幡の祭になりぬ。つれづれなるをとて、いのびやかに立てれば、ことにはなやかにていみじう追ひ散らすもの来。たれならむと見れば、御前どもの中に例みゆる人などあり。さなりけりと思ひて見るにも、まして我身いとほしき心ちす。簾まきあげ、下簾押し挟みたれば、おぼつかなきこともなし。この車を見つけて、ふと扇をさし隠して渡りぬ。」
◆◆朝廷では、例年通り、そのころ岩清水八幡の臨時の祭の時期となりました。何のする事もないので、こっそりと出かけて車を止めて見ていると、特別に華やかに先払いをしてくる者がいます。誰だろうと見ると、先払いの者の中に、我が家にいつも来ている者がいます。そうかあの人の行列かと思って見るにつけ、(その華やかな兼家と比べて)自分自身が惨めに思えてならない。あの人の車は簾を巻き上げ、下簾を左右に推し挟んで開けてあるので、全部丸見えです。私の車を見つけると、さっと扇で顔を隠して通り過ぎました。◆◆
「御文ある返りごとの端に、『<昨日はいとまばゆくて渡りためひにき>と語るは、などかは、さはせでぞなりけん、若若しう』と書きたりけり。返りごとには、『老いのはづかしさにこそありけめ。まばゆきさまに見なしけん人こそにくけれ』などぞある。
又かき絶えて十よ日になりぬ。日ごろの絶え間よりは久しき心ちすれば、またいかになりぬらんとぞ思ひける。」
◆◆あの人から手紙がきたその返事の紙の端に、「侍女たちが<昨日はお殿様はとても恥ずかしそうにお顔をそむけてお通りなさいました。>と話していましたが、あれはどうしてなのでしょうか。そんなことをなさらなくてもよろしいのに。年甲斐もなく」と書きましたっけ。その返事には「年寄りの気恥ずかしさだったのだろうよ。それを顔を背けた様に見た人が憎らしいね」などと書いてありました。またすっかり耐えて十日あまりになってしまいました。いつもより訪問のない感覚が長いような気がするけれども、またどうしてしまったのかなどと思うのでした。◆◆
【解説】蜻蛉日記(下)上村悦子著より
「以前は祭を見物するときも桟敷を無理に都合してくれた(中略)ちょっとも知らせてくれない。道綱も作者に言わなかったのだろうか。時間と体を持て余してした作者なのに。そこで堂々と華やかに先払いをさせて、やってくる一行を認めて、「誰ならむ」と書いたのである。兼家だと気づいたとき、彼の社会的地位の高さ、官人としての権勢を目のあたりに見て、その北の方である自分の置かれた立場のみじめさ、哀れさがしみじみ感じられて、やりきれない思いに駆られたのであろう。(中略)しかし手紙だけはよこしてくれたので、作者もそう気を悪くせず、気軽に兼家の振る舞いを「…若々しう」としたためて送った。また、音さたが絶えて十日余りにもなったので、いったいどうなっているのだろうと案じているが、多妻下の、本邸に迎え入れられなかった上流夫人の、片時も気の休まらない苦しい心情がうかがえる」
「朝廷には、例の、そのころ八幡の祭になりぬ。つれづれなるをとて、いのびやかに立てれば、ことにはなやかにていみじう追ひ散らすもの来。たれならむと見れば、御前どもの中に例みゆる人などあり。さなりけりと思ひて見るにも、まして我身いとほしき心ちす。簾まきあげ、下簾押し挟みたれば、おぼつかなきこともなし。この車を見つけて、ふと扇をさし隠して渡りぬ。」
◆◆朝廷では、例年通り、そのころ岩清水八幡の臨時の祭の時期となりました。何のする事もないので、こっそりと出かけて車を止めて見ていると、特別に華やかに先払いをしてくる者がいます。誰だろうと見ると、先払いの者の中に、我が家にいつも来ている者がいます。そうかあの人の行列かと思って見るにつけ、(その華やかな兼家と比べて)自分自身が惨めに思えてならない。あの人の車は簾を巻き上げ、下簾を左右に推し挟んで開けてあるので、全部丸見えです。私の車を見つけると、さっと扇で顔を隠して通り過ぎました。◆◆
「御文ある返りごとの端に、『<昨日はいとまばゆくて渡りためひにき>と語るは、などかは、さはせでぞなりけん、若若しう』と書きたりけり。返りごとには、『老いのはづかしさにこそありけめ。まばゆきさまに見なしけん人こそにくけれ』などぞある。
又かき絶えて十よ日になりぬ。日ごろの絶え間よりは久しき心ちすれば、またいかになりぬらんとぞ思ひける。」
◆◆あの人から手紙がきたその返事の紙の端に、「侍女たちが<昨日はお殿様はとても恥ずかしそうにお顔をそむけてお通りなさいました。>と話していましたが、あれはどうしてなのでしょうか。そんなことをなさらなくてもよろしいのに。年甲斐もなく」と書きましたっけ。その返事には「年寄りの気恥ずかしさだったのだろうよ。それを顔を背けた様に見た人が憎らしいね」などと書いてありました。またすっかり耐えて十日あまりになってしまいました。いつもより訪問のない感覚が長いような気がするけれども、またどうしてしまったのかなどと思うのでした。◆◆
【解説】蜻蛉日記(下)上村悦子著より
「以前は祭を見物するときも桟敷を無理に都合してくれた(中略)ちょっとも知らせてくれない。道綱も作者に言わなかったのだろうか。時間と体を持て余してした作者なのに。そこで堂々と華やかに先払いをさせて、やってくる一行を認めて、「誰ならむ」と書いたのである。兼家だと気づいたとき、彼の社会的地位の高さ、官人としての権勢を目のあたりに見て、その北の方である自分の置かれた立場のみじめさ、哀れさがしみじみ感じられて、やりきれない思いに駆られたのであろう。(中略)しかし手紙だけはよこしてくれたので、作者もそう気を悪くせず、気軽に兼家の振る舞いを「…若々しう」としたためて送った。また、音さたが絶えて十日余りにもなったので、いったいどうなっているのだろうと案じているが、多妻下の、本邸に迎え入れられなかった上流夫人の、片時も気の休まらない苦しい心情がうかがえる」