蜻蛉日記 下巻 (202) 2017.7.4
「九月ついたちにおこたりぬ。
八月二十余日より降りそめにし雨、この月もやまず、降り暗がりて、この中川も大川もひとつにゆきあひぬべく見ゆれば、今や流るるとさへおぼゆ。世の中いとあはれなり。門の早稲田もいまだ刈り集めず。たまさかなる雨間には焼米ばかりぞわづかにしたる。」
◆◆九月の上旬に助の病気は治りました。
八月二十日過ぎから降り始めた雨が、九月になっても降りやまず、あたり一帯が薄暗く、家の前の中川も、大川も一つに合流してしまいそうな様子なので、私の家も流されるのではないかと思われました。世の中はこんな風でなんとも暗いのでした。門の前の早稲田もまだ刈り集めていないし、たまの晴れ間に稲を刈り、焼米ぐらい作るのがやっとでした。◆◆
「皰瘡、世界にも盛りにて、この一条の太政の大殿の少将二人ながら、その月の十六日に亡くなりぬと言ひさわぐ。思ひやるもいみじきことかぎりなし。これを聞くも、おこたりにたる人ぞゆゆしき。かくてあれど、ことなることなければ、まだありきもせず。」
◆◆天然痘が、世界中に広がって、この一条の太政大臣の御子息の二人そろって、九月十六日に亡くなったと大騒ぎです。お察しするだけでもお気の毒でなりません。それらを聞くにつけても快癒した助はなんと不思議なほど幸運でした。こうして回復しましたが、これといって用事もないので、まだ外出もしていません。◆◆
■大川=賀茂川
■早稲田(わさだ)=早稲を植えている田。
■焼米(やいごめ)=新米を炒って食べる。
■一条の太政の大殿の少将二人ながら=一条の太政大臣(兼家の兄・伊尹)の息子たちで、左少将挙賢(たかかた)はあしたに失せ、右少将義孝(よしたか)は夕べに隠れたりと。
「九月ついたちにおこたりぬ。
八月二十余日より降りそめにし雨、この月もやまず、降り暗がりて、この中川も大川もひとつにゆきあひぬべく見ゆれば、今や流るるとさへおぼゆ。世の中いとあはれなり。門の早稲田もいまだ刈り集めず。たまさかなる雨間には焼米ばかりぞわづかにしたる。」
◆◆九月の上旬に助の病気は治りました。
八月二十日過ぎから降り始めた雨が、九月になっても降りやまず、あたり一帯が薄暗く、家の前の中川も、大川も一つに合流してしまいそうな様子なので、私の家も流されるのではないかと思われました。世の中はこんな風でなんとも暗いのでした。門の前の早稲田もまだ刈り集めていないし、たまの晴れ間に稲を刈り、焼米ぐらい作るのがやっとでした。◆◆
「皰瘡、世界にも盛りにて、この一条の太政の大殿の少将二人ながら、その月の十六日に亡くなりぬと言ひさわぐ。思ひやるもいみじきことかぎりなし。これを聞くも、おこたりにたる人ぞゆゆしき。かくてあれど、ことなることなければ、まだありきもせず。」
◆◆天然痘が、世界中に広がって、この一条の太政大臣の御子息の二人そろって、九月十六日に亡くなったと大騒ぎです。お察しするだけでもお気の毒でなりません。それらを聞くにつけても快癒した助はなんと不思議なほど幸運でした。こうして回復しましたが、これといって用事もないので、まだ外出もしていません。◆◆
■大川=賀茂川
■早稲田(わさだ)=早稲を植えている田。
■焼米(やいごめ)=新米を炒って食べる。
■一条の太政の大殿の少将二人ながら=一条の太政大臣(兼家の兄・伊尹)の息子たちで、左少将挙賢(たかかた)はあしたに失せ、右少将義孝(よしたか)は夕べに隠れたりと。