四七 木は (60) その2 2018.6.5
この世近くも見え聞こえず、御嶽に詣でて帰る人など、しか持てありくめる、枝さしなどの、いと手触れにくげに荒々しけれど、何の心ありて、あすは檜の木とつけけむ、あぢきなきかねごとなりや。たれにたのめたるにかあらむと思ふに、知らまほしうをかし。ねずもちの木、人のなみなみなるべきさまにもあらねど、葉のいみじうこまかに小さきが、をかしきなり。楝の木。山橘。山梨の木。椎の木は、常盤にいづれもあるを、それしも、葉がへせぬためしに言はれたるもをかし。
◆◆「あすは檜の木」は、この近辺では見られず、ただ御嶽に参詣して帰ってくる人などは、手ぢかに持って回るようである。その枝ぶりなどが、とても手で触れないような荒っぽいものだけれど、どうしてまた、「明日は檜の木」と名付けたのだろうか、当てにもならない約束事よ。だれに頼みにさせているのだろうかと思うと、その相手を知りたくておもしろい。ねずみもちの木は、一人前に他の木なみに扱うべきものでもないけれど、葉がとても細かくて小さいのが面白いのである。楝の木。山橘。山梨の木。これらもおもしろい。椎の木は、常磐木はどれも落葉しないものであるのに、椎の木に限って、葉をかえない例として歌に詠まれているのもおもしろい。◆◆
■御嶽(みたけ)=吉野の金峰山。修験道の霊地。
■あすは檜の木=あすなろ
■ねずもちの木=ねずみもちの木
■山橘(やまたちばな)=やぶこうじ。正月の祝儀用。
白樫などいふもの、まして深山木の中にもいとけどほくて、三位二位の上の衣染むるをりばかりぞ、葉をだに人の見るめる。めでたき事、をかしき事に申すべくもあらねど、いつとなく雪の降りたるに見まがへられて、須佐之男命の、出雲の国におはしける御供にて、人麻呂よみたる歌などを見るに、いみじうあはれなり。いひ事にても、をりにつけても、一ふしあはれともをかしとも聞きおきつる物は、草も木も鳥虫も、おろかにこそおぼえね。
◆◆白樫などと言う木は、まして深山の木の中でも、たいへん親しみの薄いもので、せいぜい三位や二位の袍を染める折ぐらいに、葉をだけを人は見るようである。素晴らしいこと、おもしろいこととして申してよいことでもないけれど、(白樫の様が)時季の分かちなく雪が降っているのに見間違えられて、
須佐之男命が、出雲の国にお出かけになったお供をして、人麻呂が詠んだ歌などを見ると、たいへんしみじみとした感じがする。◆◆
■人麻呂よみたる歌=人麻呂の「足引きの山路も知らず白樫の枝にも葉にも雪の降れれば」(『万葉集』の原歌は第四句「枝もとををに」)を『綺語抄』『和歌童蒙抄』では須佐之男命の作とする。歌語り的伝説であったか。
この世近くも見え聞こえず、御嶽に詣でて帰る人など、しか持てありくめる、枝さしなどの、いと手触れにくげに荒々しけれど、何の心ありて、あすは檜の木とつけけむ、あぢきなきかねごとなりや。たれにたのめたるにかあらむと思ふに、知らまほしうをかし。ねずもちの木、人のなみなみなるべきさまにもあらねど、葉のいみじうこまかに小さきが、をかしきなり。楝の木。山橘。山梨の木。椎の木は、常盤にいづれもあるを、それしも、葉がへせぬためしに言はれたるもをかし。
◆◆「あすは檜の木」は、この近辺では見られず、ただ御嶽に参詣して帰ってくる人などは、手ぢかに持って回るようである。その枝ぶりなどが、とても手で触れないような荒っぽいものだけれど、どうしてまた、「明日は檜の木」と名付けたのだろうか、当てにもならない約束事よ。だれに頼みにさせているのだろうかと思うと、その相手を知りたくておもしろい。ねずみもちの木は、一人前に他の木なみに扱うべきものでもないけれど、葉がとても細かくて小さいのが面白いのである。楝の木。山橘。山梨の木。これらもおもしろい。椎の木は、常磐木はどれも落葉しないものであるのに、椎の木に限って、葉をかえない例として歌に詠まれているのもおもしろい。◆◆
■御嶽(みたけ)=吉野の金峰山。修験道の霊地。
■あすは檜の木=あすなろ
■ねずもちの木=ねずみもちの木
■山橘(やまたちばな)=やぶこうじ。正月の祝儀用。
白樫などいふもの、まして深山木の中にもいとけどほくて、三位二位の上の衣染むるをりばかりぞ、葉をだに人の見るめる。めでたき事、をかしき事に申すべくもあらねど、いつとなく雪の降りたるに見まがへられて、須佐之男命の、出雲の国におはしける御供にて、人麻呂よみたる歌などを見るに、いみじうあはれなり。いひ事にても、をりにつけても、一ふしあはれともをかしとも聞きおきつる物は、草も木も鳥虫も、おろかにこそおぼえね。
◆◆白樫などと言う木は、まして深山の木の中でも、たいへん親しみの薄いもので、せいぜい三位や二位の袍を染める折ぐらいに、葉をだけを人は見るようである。素晴らしいこと、おもしろいこととして申してよいことでもないけれど、(白樫の様が)時季の分かちなく雪が降っているのに見間違えられて、
須佐之男命が、出雲の国にお出かけになったお供をして、人麻呂が詠んだ歌などを見ると、たいへんしみじみとした感じがする。◆◆
■人麻呂よみたる歌=人麻呂の「足引きの山路も知らず白樫の枝にも葉にも雪の降れれば」(『万葉集』の原歌は第四句「枝もとををに」)を『綺語抄』『和歌童蒙抄』では須佐之男命の作とする。歌語り的伝説であったか。