九一 職の御曹司におはしますころ、西の廂に (104)その8 2019.1.19
さて二十日まゐりたるにも、まづこの事を御前にても言ふ。「みな消えつ」とて、蓋のかぎりひきさげて持て来たりつる法師のやうにて、すなはちまうで来たりしが、あさましかりし事、物の蓋に小山うつくしう作りて、白き紙に歌いみじく書きてまゐらせむとせし事など啓すれば、いみじく笑はせたまふ。御前なる人々も笑ふに、「かう心に入れて思ひける事をたがへたれば、罪得らむ。まことに、四日の夕さり、侍どもやりて取り捨てさせしぞ。返事に言ひ当てたりしこそ、いとをかしかりしか。その翁出で来て、いみじうてをすりて言ひけれど、『仰せ言ぞ。彼の里より来たらむ人に、かう聞かすな。さらば、屋うちこぼたせむ』と言ひて、左近のつかひ、南の築地の外にみな取り捨てて、『いとたかくておほくなむありつる』と言ふなりしかば、げに二十日までも待ちつけ、ようせずは、今年の初雪にも降り添ひなまし。うへも聞こしまして、『いと思ひよりがたくあらがひたり』と、殿上人などにも仰せられけり。さてもそのうたを語れ。今は、かく言ひあらはしつれば、同じ事、勝ちにたり。語れ」など、御前にものたまはせ、人々ものたまへど、「何せむにか、さばかりの事をうけたまはりながらは啓しはべらむ」など、まめやかに憂く、心憂くがれば、うへのわたらせたまひて、「まことに年ごろは、おぼえの人なンめりを見つるを、あやしと思ひし」など仰せらるるに、いとつらく、うちも泣きぬべき心地ぞする。「いで、あはれ。いみじき世ノ中ぞかし。後に降り積みたりし雪をうれしと思ひしを、『それあいなし』、とて『かき捨てよ』など候ひし」と申せば、「げに勝たせじとおぼしけるならむ」と、うへも笑はせおはします。
◆◆そうして、二十日に参内した時にも、真っ先にこの事を中宮様の御前ででも言う。「みな消えてしまった」と言って、蓋だけを引き下げて持って来てしまった法師のような格好で、すぐにこちらに参って来たのが意外であったこと、物の蓋に雪で小山を美しく作って、白い紙に歌を立派に書いて差し上げようとしたことなど申し上げると、中宮様はたいへんお笑いあそばす。回りの女房たちも笑うと、「こんなに心に入れて思ったことを、違わせてしまったのだから、きっと私は仏罰を受けているだろう。ほんとうに十四日の夕方、侍どもを行かせて取り捨てさせたのだよ。そなたの返事にそれを言い当てていたのこそ、たいへん面白かった。その庭木番が出て来て、一生懸命手をすり合せて言ったのだけれど、『これはお言いつけ事なのだよ。あちらの里からやってくる人に、言ってはならないぞ。もし言ったなら、家を壊させよう』と言って、左近の使いが、南の土塀の外に雪をみな取って捨てて、『たいそう高く、量も多かった』と言ったそうだから、まことに二十日まで待ってもそこにあって、悪くすると、今年の新春の初雪でも降って一段と積もってしまったかもしれない。主上もお聞きあぞばされて、『だれも考えつかないほど言い争ったね』と、殿上人などにも仰せられたのだった。それにしても、その歌を披露しなさい。今は、こう打ち明け話をしてしまったのだから、そなたが勝ってしまっているのど同じ事だ。さあ話しなさい」などと、御前におかれても仰せあそばし、女房たちも仰るけれど、「いったいどうしてこれほどのことを承っておきながら、申し上げましょうか」などと、全く芯から憂鬱で、情けなく思っていると、主上も渡御あそばされて、「年来、宮の気に入りの人であるようなのに、これでは変だなと思ったよ」などと仰せになるので、とても辛く、泣いてしまいそうであった。「全く本当に、なんて辛い世の中ですね。『それは無意味だ』ということで、『掻き捨てろ』などと仰せがございましたよ」と申すと、それをお聞きになって、「いかにも宮は勝たせまいとお思いになったのだろう」と、主上もお笑いあそばしていらっしゃる。◆◆
■四日=中の四日。すなわち十四日。
さて二十日まゐりたるにも、まづこの事を御前にても言ふ。「みな消えつ」とて、蓋のかぎりひきさげて持て来たりつる法師のやうにて、すなはちまうで来たりしが、あさましかりし事、物の蓋に小山うつくしう作りて、白き紙に歌いみじく書きてまゐらせむとせし事など啓すれば、いみじく笑はせたまふ。御前なる人々も笑ふに、「かう心に入れて思ひける事をたがへたれば、罪得らむ。まことに、四日の夕さり、侍どもやりて取り捨てさせしぞ。返事に言ひ当てたりしこそ、いとをかしかりしか。その翁出で来て、いみじうてをすりて言ひけれど、『仰せ言ぞ。彼の里より来たらむ人に、かう聞かすな。さらば、屋うちこぼたせむ』と言ひて、左近のつかひ、南の築地の外にみな取り捨てて、『いとたかくておほくなむありつる』と言ふなりしかば、げに二十日までも待ちつけ、ようせずは、今年の初雪にも降り添ひなまし。うへも聞こしまして、『いと思ひよりがたくあらがひたり』と、殿上人などにも仰せられけり。さてもそのうたを語れ。今は、かく言ひあらはしつれば、同じ事、勝ちにたり。語れ」など、御前にものたまはせ、人々ものたまへど、「何せむにか、さばかりの事をうけたまはりながらは啓しはべらむ」など、まめやかに憂く、心憂くがれば、うへのわたらせたまひて、「まことに年ごろは、おぼえの人なンめりを見つるを、あやしと思ひし」など仰せらるるに、いとつらく、うちも泣きぬべき心地ぞする。「いで、あはれ。いみじき世ノ中ぞかし。後に降り積みたりし雪をうれしと思ひしを、『それあいなし』、とて『かき捨てよ』など候ひし」と申せば、「げに勝たせじとおぼしけるならむ」と、うへも笑はせおはします。
◆◆そうして、二十日に参内した時にも、真っ先にこの事を中宮様の御前ででも言う。「みな消えてしまった」と言って、蓋だけを引き下げて持って来てしまった法師のような格好で、すぐにこちらに参って来たのが意外であったこと、物の蓋に雪で小山を美しく作って、白い紙に歌を立派に書いて差し上げようとしたことなど申し上げると、中宮様はたいへんお笑いあそばす。回りの女房たちも笑うと、「こんなに心に入れて思ったことを、違わせてしまったのだから、きっと私は仏罰を受けているだろう。ほんとうに十四日の夕方、侍どもを行かせて取り捨てさせたのだよ。そなたの返事にそれを言い当てていたのこそ、たいへん面白かった。その庭木番が出て来て、一生懸命手をすり合せて言ったのだけれど、『これはお言いつけ事なのだよ。あちらの里からやってくる人に、言ってはならないぞ。もし言ったなら、家を壊させよう』と言って、左近の使いが、南の土塀の外に雪をみな取って捨てて、『たいそう高く、量も多かった』と言ったそうだから、まことに二十日まで待ってもそこにあって、悪くすると、今年の新春の初雪でも降って一段と積もってしまったかもしれない。主上もお聞きあぞばされて、『だれも考えつかないほど言い争ったね』と、殿上人などにも仰せられたのだった。それにしても、その歌を披露しなさい。今は、こう打ち明け話をしてしまったのだから、そなたが勝ってしまっているのど同じ事だ。さあ話しなさい」などと、御前におかれても仰せあそばし、女房たちも仰るけれど、「いったいどうしてこれほどのことを承っておきながら、申し上げましょうか」などと、全く芯から憂鬱で、情けなく思っていると、主上も渡御あそばされて、「年来、宮の気に入りの人であるようなのに、これでは変だなと思ったよ」などと仰せになるので、とても辛く、泣いてしまいそうであった。「全く本当に、なんて辛い世の中ですね。『それは無意味だ』ということで、『掻き捨てろ』などと仰せがございましたよ」と申すと、それをお聞きになって、「いかにも宮は勝たせまいとお思いになったのだろう」と、主上もお笑いあそばしていらっしゃる。◆◆
■四日=中の四日。すなわち十四日。