九二 めでたきもの (105)その2 2019.1.25
御むすめの女御、后おはします、また、姫君など聞こゆるも、御使にてまゐりたるに、御文取り入るるよりうち始め、褥さし出づる袖口など、明け暮れ見し者ともおぼえず。
◆◆御娘である女御や后がおいであそばす所、また姫君などと申し上げる場合も、蔵人が主上のお使いとして参上していると、主上のお手紙を御簾の内に取り入れるのから始めて、敷物を差し出す女房の立派な袖口など、それに対する待遇ぶりは、今まで明け暮れ見知っていた者とも思われない。◆◆
下襲の尻引き散らして、衛府なるは、いますこしをかしう見ゆ。みづから杯さしなどしたまふを、わが心にもおぼゆらむ。いみじうかしこまり、べちにゐし家の子の君達をも、けしきばかりこそかしこまりたれ、同じやうにうち連れてありく。うへの近く使はせたまふさまなど見るは、ねたくさへこそおぼゆれ。御文書かせたまへば、御硯の墨磨り、御団扇などまゐり、ただまつはれつかうまつるに、三年ばかりのほどを、なりあしく、物の色わろく、薫物、香などよろしうて、まじろはむは、言ふかひなきものなり。
◆◆下襲の裾を無造作に長く引いて衛府を兼ねている蔵人は、もう少しすぐれて見える。その家の主人みずから杯をさしなどなさるのを、蔵人自身の心にも、それは素晴らしいと感じられていることだろう。ひどく畏まって、かつてはその御傍から離れて自分は別の所に控えていた名家の若君に対しても、今は形ばかりはかしこまってはいるけれど、その若君たちと対等に連れ立って歩きまわる。主上が御身近くにお使いあそばす様子などを見るときは、ねたましく思うほどだ。主上がお手紙をお書きあそばすと、御硯に墨を磨り、御団扇などでおあおぎ申し上げ、ひたすらお傍に親しくお仕え申し上げるのに、その三年くらいの間を、身なりが悪く、衣服などの色が劣っていて、薫物や香などが普通の状態で、殿上の人の中に交わっているのは、言う甲斐もないものだ。◆◆
■べちにゐし=君達とは同席を避けて座った。
■三年ばかり=六位蔵人の任期は六年。「六」の誤写か。一説に、当時は三年ぐらいで叙爵退下するのが普通だった。」
かうぶり得て、おりむ事近くならむだに、命よりはまさりてをかるべき事を、臨時にその御給はりなど申して、まどひをるこそいとくちをしけれ。昔の蔵人は、今年の春よりこそ泣きたちけれ、今の世の事走りくらべをなむするとか。
◆◆
■かうぶり得て=六位蔵人は任期が満ちると五位に叙せられる。除爵。なお蔵人は六位でも昇殿できるが、蔵人を辞すると四位以上でなければ昇殿できない。
才ある人、いとめでたしといふもおろかなり。顔もいとにくげに、下郎なれども、ことなる事なけれども、世にやんごとなきものにおぼされ、かしこき人の御前に近づきまゐり、さるべき事など問はせたまふ御文の師にて候ふは、めでめでたくこそおぼゆれ。願文もさるべき物の序作り出だしてほめらるる、いとめでたし。
◆◆才学のある人はとても立派だというのは当然である。顔がとても憎らしげで、身分も低い者で、これといって特筆するものはないけれども、世の中で尊重すべきものと高貴な人がおぼしめして、その御前に近く参上して、しかるべきことなどおたずねあそばされる御侍読として伺候するのは、とても素晴らしいと感じられる。願文も、またしかるべき詩歌の序を作り出して褒められるのは、とてもすばらしい。◆◆
御むすめの女御、后おはします、また、姫君など聞こゆるも、御使にてまゐりたるに、御文取り入るるよりうち始め、褥さし出づる袖口など、明け暮れ見し者ともおぼえず。
◆◆御娘である女御や后がおいであそばす所、また姫君などと申し上げる場合も、蔵人が主上のお使いとして参上していると、主上のお手紙を御簾の内に取り入れるのから始めて、敷物を差し出す女房の立派な袖口など、それに対する待遇ぶりは、今まで明け暮れ見知っていた者とも思われない。◆◆
下襲の尻引き散らして、衛府なるは、いますこしをかしう見ゆ。みづから杯さしなどしたまふを、わが心にもおぼゆらむ。いみじうかしこまり、べちにゐし家の子の君達をも、けしきばかりこそかしこまりたれ、同じやうにうち連れてありく。うへの近く使はせたまふさまなど見るは、ねたくさへこそおぼゆれ。御文書かせたまへば、御硯の墨磨り、御団扇などまゐり、ただまつはれつかうまつるに、三年ばかりのほどを、なりあしく、物の色わろく、薫物、香などよろしうて、まじろはむは、言ふかひなきものなり。
◆◆下襲の裾を無造作に長く引いて衛府を兼ねている蔵人は、もう少しすぐれて見える。その家の主人みずから杯をさしなどなさるのを、蔵人自身の心にも、それは素晴らしいと感じられていることだろう。ひどく畏まって、かつてはその御傍から離れて自分は別の所に控えていた名家の若君に対しても、今は形ばかりはかしこまってはいるけれど、その若君たちと対等に連れ立って歩きまわる。主上が御身近くにお使いあそばす様子などを見るときは、ねたましく思うほどだ。主上がお手紙をお書きあそばすと、御硯に墨を磨り、御団扇などでおあおぎ申し上げ、ひたすらお傍に親しくお仕え申し上げるのに、その三年くらいの間を、身なりが悪く、衣服などの色が劣っていて、薫物や香などが普通の状態で、殿上の人の中に交わっているのは、言う甲斐もないものだ。◆◆
■べちにゐし=君達とは同席を避けて座った。
■三年ばかり=六位蔵人の任期は六年。「六」の誤写か。一説に、当時は三年ぐらいで叙爵退下するのが普通だった。」
かうぶり得て、おりむ事近くならむだに、命よりはまさりてをかるべき事を、臨時にその御給はりなど申して、まどひをるこそいとくちをしけれ。昔の蔵人は、今年の春よりこそ泣きたちけれ、今の世の事走りくらべをなむするとか。
◆◆
■かうぶり得て=六位蔵人は任期が満ちると五位に叙せられる。除爵。なお蔵人は六位でも昇殿できるが、蔵人を辞すると四位以上でなければ昇殿できない。
才ある人、いとめでたしといふもおろかなり。顔もいとにくげに、下郎なれども、ことなる事なけれども、世にやんごとなきものにおぼされ、かしこき人の御前に近づきまゐり、さるべき事など問はせたまふ御文の師にて候ふは、めでめでたくこそおぼゆれ。願文もさるべき物の序作り出だしてほめらるる、いとめでたし。
◆◆才学のある人はとても立派だというのは当然である。顔がとても憎らしげで、身分も低い者で、これといって特筆するものはないけれども、世の中で尊重すべきものと高貴な人がおぼしめして、その御前に近く参上して、しかるべきことなどおたずねあそばされる御侍読として伺候するのは、とても素晴らしいと感じられる。願文も、またしかるべき詩歌の序を作り出して褒められるのは、とてもすばらしい。◆◆