永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1252)

2013年05月11日 | Weblog
2013. 5/11    1252

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その44

「『いかでさる所に、よき人をしも取りて行きけむ。さりとも、今は知られぬらむ』など、この宰相の君ぞ問ふ。『知らず。さもた語らひ侍らむ。まことにやむごとなき人ならば、何か、隠れも侍らじをや。田舎人の女も、さるさましたるこそは侍らめ。竜の中より、仏生まれ給はずはこそ侍らめ、ただ人にては、いと罪軽きさまの人になむ侍りける』など聞え給ふ」
――(小宰相の君が)「どうしてまたそのような恐ろしい所へ、わざわざ美しい人をさらって行ったのでしょう。でも、今では、その人の素性もおわかりなのでしょうね」などと、聞きます。「それが、さっぱり分かりません。しかし妹の尼には語ったかも知れません。ほんとうに高貴なお方なら、いつまでも隠しおおせるものではないでしょう。田舎者の娘でも、そのような優れた容姿の者はありましょう。竜の腹から仏が生まれないのならいざ知らず、竜女が成仏した例がないでもありませんし。しかし平人としてはきっと前世の罪が軽くて、あのように美しく生まれたものでしょう」などと、申し上げます(中宮もいらっしゃるので)――

「その頃、かのわたりに消え失せにけむ人を思し出づ。この御前なる人も、姉君のつたへに、あやしくて亡せたる人とは聞き置きてれば、それにやあらむ、とは思ひけれど、さだめなきことなり、僧都も、『かの人、世にあるものとも知られじ、と、よくもあらぬ敵だちたる人もあるやうにおもむけて、隠し忍び侍るを、事のさまのあやしければ、啓し侍るなり』と、なま隠すけしきなれば、人にも語らず」
――明石中宮は、丁度その時分、宇治で行方が知れなくなったという人(浮舟)のことを思い出されました。お側にいる宰相の君も、浮舟の姉君(中の君)からの聞き伝えで、不思議な死に方をした人だとは聞いていましたので、もしや、その人ではとは思いましたが、不確かなことでもありますし、僧都も、「その人は、生きていることを人に知られまいと、まるで、良くない仇のような人でもいるかのような口ぶりで、身分を隠しぬいていましたが、どうにも事情が腑に落ちないので、お話申し上げたのでございます」と、何となくそれ以上は隠したい様子ですので、小宰相の君は、誰にも語らないことにしたのでした――

「宮は、『それにもこそあれ。大将に聞かせばや』と、この人にぞのたまはすれど、いづかたにも隠すべきことを、さだめてさなむとも知らずながら、はづかしげなる人に、うち出でのたまはせむもつつましくおぼして、やみにけり」
――中宮も、「あの人のことかも知れない。薫大将にお聞かせしたいが…」と、宰相の君に仰せになりましたが、薫も浮舟もどちらも隠していることを、確かにそうだとも分からぬ事を、あの生真面目な薫へのお話は遠慮されて、そうそうそのままになってしましました――

「姫宮はおこたり果てさせ給ひて、僧都も上り給ひぬ。かしこに寄り給へれば、いみじううらみて、『なかなか、かかる御ありさまにて、罪も得ぬべきことを、のたまひもあはせずなりにけることをなむ。いとあやしき』などのたまへど、かひもなし」
――姫宮(一品の宮)は、すっかり快復なさいましたので、僧都も山へ上られました。道すがら小野にお立ちよりになりますと、尼君は大そう恨んで、「こんなお若い身で出家されては、却って罪を作るに違いありませんのに、私にご相談くださらなかったなんて、まあ、本当にひどいこと」などとおっしゃいますが、今更どうしようもありません――

では5/13に。

源氏物語を読んできて(1251)

2013年05月09日 | Weblog

2013. 5/9    1251

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その43

「御もののけの執念きこと、さまざまに名のるがおそろしきことなど、のたまふついでに、『いとあやしう稀有のことをなむ見給へし。この三月に、年老いて侍る母の、願ありて長谷に詣でて侍りし、帰へさの中宿りに、宇治の院といひ侍る所にまかり宿りしを、かくのごと、人住まで年経ぬるおほきなる所は、よからぬもの必ず通ひ棲みて、重き病者のためあしきことどもや、と思う給へしもしるく』とて、かの見つけたりしことどもを語りきこえ給ふ」
――(一品の宮の)御物の怪の執念深いことや、さまざまに名乗り出る模様の恐ろしかったことなどを御物語しますついでに、僧都が、「そういえば、まことに不思議なめったにない事を経験しました。この三月に、老母が願解き(がんほどき)のために、初瀬に参詣いたしました。その帰りの中宿りに、宇治の院と申すところに泊りましたが、あのように人も住まずに年を経た大きな家には、性の悪い狐、木霊などのようなものが必ず出入りし住みついて、重病の母のため悪い事でも起こりはしないかと思いましたら、案の定…」と言って、あの、浮舟を発見した時の事情を一部始終お話申し上げます――

「『げにいとめづらかなることかな』とて、近くさぶらふ人々皆寝入りたるを、おそろしく思されて、おどろかさせ給ふ。大将の語らひ給ふ宰相の君しも、このことを聞きけり。おどろかさせ給ひける人々は、何とも聞かず、僧都、怖じさせ給へる御けしきを、心もなきこと啓してけり、と思ひて、くはしくもその程のことをば言ひさしつ」
――(中宮は)「それはほんとうに珍しい話ですね」と仰せになり、また恐ろしくお思いになって、お側に控える女房達の寝入っているのを、皆お起しになります。薫が親しくしておられる宰相の君が、うとうととしていて、良く寝ていなかったので、僧都の話を聞いてしまったのでした。中宮がお起しになった他の女房達は、何のことか分からずにいます。僧都は中宮が怖がっておいでになるご様子に、心ないことを申し上げてしまったと思い、その時の詳しい事を言わずに、話を打ち切ってしまったのでした――

「『その女人、このたびまかり出で侍りつるたよりに、小野に侍りつる尼どもあひ訪ひ侍らむとて、まかり寄りたりしに、泣く泣く、出家の本意深き由、ねんごろに語らひ侍りしかば、頭おろし侍りにき。なにがしが妹、故衛門の督の妻に侍りし尼なむ、亡せにし女子の代わりにと、思ひよろこび侍りて、随分にいたはりかしづき侍りけるを、かくなりにたれば、うらみ侍るなり。げにぞ、容貌はいとうるはしくけうらにて、行ひやつれむもいとほしげになむ侍りし。何びとにか侍りけむ』と、ものよく言ふ僧都にて、語り続け申し給へば」
――(僧都は)「その女人(浮舟)は、今回山を下りましたついでに、小野に住んでおります尼たち(母尼君や妹の尼君)の様子を見舞いがてら、立ち寄りましたところ、出家の志の深い事を泣く泣く申し、熱心に頼みますので、髪を下ろしてやりましした。私の妹で、亡き衛門の督の妻でございました尼が、亡くした娘の身代わりだと喜んで、出来る限り大事に面倒をみておりましたところ、こんなことになりましたので、私を恨んでいるようでございます。なるほどそれも道理でございまして、顔立ちはたいそう綺麗で、様子も美しく、この先修行でやつれて行くと思えば、いかにも不憫な心地がいたしました。どのような素性の人だったのでしょう」と、話上手に、僧都が申されますと――

では5/11に。