永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(宇治を訪ねて)4

2013年07月09日 | Weblog
◆(宇治を訪ねて) 4  2013.7.9

浮舟の古跡
「宇治十帖」にちなみ古来より「宇治十帖の古跡」が設けられ、多くの人々が「源氏物語宇治十帖」を偲びながら、ゆかりの地として巡るようになりました三室戸寺鐘楼脇に「浮舟古跡」と刻まれた古碑がありますが、これは二百五十年前の寛保年間「浮舟古跡社」を石碑に改めたものです。

その折古跡社のご本尊「浮舟観音」は当山に移され、今に浮舟念持仏として、伝えられています。

源氏物語を読んできて(宇治を訪ねて) 3

2013年07月07日 | Weblog
◆(宇治を訪ねて) 3  2013.7.7

宇治山の阿闍梨と三室戸寺
光源氏の異母弟「八宮」はもとより「薫君」も「宇治山の阿闍梨」を仏道の師として深く帰依していました。

当時、宇治には山寺として知られた寺は三室戸寺のみで当寺の僧をモデルとして描いたのではないでしょうか。 因みにやや時代が下りますが「宇治拾遺物語」には藤原一門の三室戸僧正隆明が名声高き僧として記されており、 当寺が藤原期に有名寺院であったことが知られています。

源氏物語を読んできて(宇治を訪ねて)2

2013年07月05日 | Weblog
◆(宇治を訪ねて) 2  2013.7.5

 紫式部の筆になる「源氏物語」の時代、宇治は貴族の山荘が営まれた勝境でした。 「源氏物語」五十四帖の最後の十帖は、主に宇治を舞台にしており、世に「宇治十帖」として知られています。「紫式部」も宇治を訪れたことがあるからこそ「宇治十帖」の風光を描くことができたのでしょう。
 
写真:宇治橋

 阿闍梨の住む山寺と浮舟の父八宮の山荘の位置
八宮の山荘は、宇治川の瀬音が聞こえる宇治川右岸にあり、山寺は鐘の音が微かに届く山中とありますので、 現在地でいえば、八宮山荘は宇治橋下流、山寺は三室戸寺と考えられています。

では7/7に。

源氏物語を読んできて(宇治を訪ねて)1

2013年07月03日 | Weblog
(宇治を訪ねて)1  2013.7.3

◆宇治上神社

元は下社の宇治神社と一体で平等院の鎮守社ともいわれる。 本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築であります。
八の宮と大君、中の君が住んでいたというモデルの地。

では7.5に。

源氏物語を読んできて(1274)

2013年07月01日 | Weblog
2013. 7/1    1274

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その8

「小野には、いと深く繁りたる青葉の山に向かひて、まぎるることなく、遣水の蛍ばかりを、昔おぼゆるなぐさめにて、ながめ居給へるに、例の、遥かに見やらるる谷の軒端より、前駆心ことに追ひて、いと多く燈したる火の、のどかならぬ光を見るとて、尼君たちも端に出で居たり」
――小野では、浮舟は深々と繁った青葉の山を前にして、気の紛れることもなく、遣水のあたりの蛍ばかりを、宇治の昔を偲ぶ慰めに眺めていますと、いつもの軒端から遠く見渡される谷合いに、前駆を特別に用心深くして、数多く灯した松明の光が山坂の上り下りに、高く低く揺れ動くのを、尼君たちも端近くに出て眺めています――

「『誰がおはするにかあらむ。御前などいと多くこそ見ゆれ。昼、あなたにひきぼし奉れたりつる返りごとに、大将殿おはしまして、御饗応のことにはかにするを、いとよき折、とこそありつれ』『大将殿とは、この女二の宮の御夫にやおはしつらむ』など言ふも、いとこの世遠く、田舎びにたりや」
――(妹尼が)「どなたがお通りになるのでしょう。御前駆(ごぜん=前駆ばらい)の人数も随分多いようですね。そういえば、昼間、僧都のところに引干しを差し上げましたら、源氏の大将殿がお出でになって、急におもてなしをするところなので、丁度良かった、というお返事がありました」他の尼たちが「大将殿とは、帝の二番目の内親王の婿君でいらっしゃったかしら」などと話してしるのも、いかにも浮世離れがして田舎じみていることよ――

「まことにさにやあらむ、時々かかる山路分けおはせし時、いとしるかりし随身の声も、うちつけにまじりて、聞ゆ。月日の過ぎ行くままに、昔のことのかく思ひ忘れぬも、今はなににすべきことぞ、と心憂ければ、阿弥陀仏に思ひまぎらはして、いとどものも言はで居たり。横川に通ふ人のみなむ、このわたりには近きたよりなりける」
――本当に薫かも知れない。昔、時々こうした山路を分けて来訪されたとき、すぐにあの人だと分かった随身の声も、そっくり聞き分けられます。月日を添えて忘れる筈の昔のことが、かえって心に蘇ってくるというのも、出家した今となっては、何の益にもならないこと、と浮舟はわれながら疎ましく、阿弥陀の念仏を唱えるのに心を紛らわして、いつもよりも一層何も言わずに居ります。わずかに横川に通ふ者のほかには、人影などみることもないこの辺りでは、山道を行き来する人たちにも、里を恋しく思わされるのでした――

◆しばらく夏休みとします。その間「宇治十条の旅」として、
 ブログに写真などを載せますのでよろしく。訳文の次回は7/21(日)から。