2010年1月1日の神奈川新聞に、探そう「幸せのかたち」と題する社説が掲載されていました。
「かって右肩上がりの成長はどこまでも約束されたもののようだった。戦後の仕組みの終幕とは、政権交代ばかりでなく、そうした幻影への見極めでもある。黙っていても実現した安心や豊かさ。これからは「右肩下がり」の世の中をいきていかねばならない。
十分でない果実を前に、それでも幸せを得るにはどうすればいいのか。もちろん政治や行政の役割は大きいが、それのみに頼らない覚悟や知恵、そのための模索も必要ではないか。
(中略)
私たちも生活のかたちを変えていかなければならないのではないか。自分さえ豊かならばという長い固執から脱したい。自分だけの視座を離れて一人一人が社会とのかかわりを確実に取り戻したい。かっての人々の支え合いやつながり。そうした成熟こそ求めたい。
私たち自身がどんな社会をつくりたいのか。その思いと政治の成長戦略が呼応して初めて変革の世の中が動き出すのではないか。そこに新しい社会連帯と幸せのかたちこそ学びたい。」
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現在のような低成長の時代にあっては、264年間も超成長が続いた江戸時代から何かヒントが得られるのでないかと考えます。今年はこのブログでも、「エコでボランタリーな江戸の町」というカテゴリーで、究極ともいえる循環型社会、消防や教育までも民間が担っていた自治の仕組みなど、濃密な人間関係のうえに成り立っていた江戸時代の人々の支え合いについてご紹介したいと思います。
「かって右肩上がりの成長はどこまでも約束されたもののようだった。戦後の仕組みの終幕とは、政権交代ばかりでなく、そうした幻影への見極めでもある。黙っていても実現した安心や豊かさ。これからは「右肩下がり」の世の中をいきていかねばならない。
十分でない果実を前に、それでも幸せを得るにはどうすればいいのか。もちろん政治や行政の役割は大きいが、それのみに頼らない覚悟や知恵、そのための模索も必要ではないか。
(中略)
私たちも生活のかたちを変えていかなければならないのではないか。自分さえ豊かならばという長い固執から脱したい。自分だけの視座を離れて一人一人が社会とのかかわりを確実に取り戻したい。かっての人々の支え合いやつながり。そうした成熟こそ求めたい。
私たち自身がどんな社会をつくりたいのか。その思いと政治の成長戦略が呼応して初めて変革の世の中が動き出すのではないか。そこに新しい社会連帯と幸せのかたちこそ学びたい。」
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現在のような低成長の時代にあっては、264年間も超成長が続いた江戸時代から何かヒントが得られるのでないかと考えます。今年はこのブログでも、「エコでボランタリーな江戸の町」というカテゴリーで、究極ともいえる循環型社会、消防や教育までも民間が担っていた自治の仕組みなど、濃密な人間関係のうえに成り立っていた江戸時代の人々の支え合いについてご紹介したいと思います。