子どもの頃、正月15日の朝は必ず小豆粥を食べました。卓袱台(ちゃぶだい:脚が折りたためるテーブル)の中央に置かれたどんぶりには砂糖が盛られており、それをかけながら食べるのですが、友だちに聞いてもそんな食べ方をする家は一軒もなく、親父が甘いもの好きだから我が家だけの変わった食べ方だと思っていました。
小正月に小豆粥を食べる風習は平安時代に中国から伝わり、一年間の邪気を払い、万病を除くという意味から、現在でも各地に残っていますが、さすがに砂糖をかけるという話は聞きません。
ところが最近、江戸の風俗や事物を広く集めて分類、説明した守貞漫稿(筆者は喜田川守貞)に、次のような記述があることを知りました。
「正月十五日、十六日、俗に小正月という三都ともに今朝赤小豆粥を食す。京阪には此粥にいささか塩を加ふ。江戸は平日粥を食さず、故に粥を好まざる者多く、今朝の粥に専ら白砂糖をかけて食す也。塩を加えず。又今日の粥を余し蓄へて、正月十八日に食す。俗に十八粥という。」
元々、砂糖は中国やオランダからの輸入物であり、鎖国の影響で庶民にとっては高嶺の花でした。八代将軍吉宗が甘藷の栽培を奨励したことから各地に広まり、需要が増えたのは幕末になってからですので、粥に砂糖をかけたのも江戸後期のことだと思います。いずれにしろ、親父が甘党だからという理由だけではなかったようですが、七草粥にも砂糖をかけて食べていましたので何とも言えないな~あ。
小正月に小豆粥を食べる風習は平安時代に中国から伝わり、一年間の邪気を払い、万病を除くという意味から、現在でも各地に残っていますが、さすがに砂糖をかけるという話は聞きません。
ところが最近、江戸の風俗や事物を広く集めて分類、説明した守貞漫稿(筆者は喜田川守貞)に、次のような記述があることを知りました。
「正月十五日、十六日、俗に小正月という三都ともに今朝赤小豆粥を食す。京阪には此粥にいささか塩を加ふ。江戸は平日粥を食さず、故に粥を好まざる者多く、今朝の粥に専ら白砂糖をかけて食す也。塩を加えず。又今日の粥を余し蓄へて、正月十八日に食す。俗に十八粥という。」
元々、砂糖は中国やオランダからの輸入物であり、鎖国の影響で庶民にとっては高嶺の花でした。八代将軍吉宗が甘藷の栽培を奨励したことから各地に広まり、需要が増えたのは幕末になってからですので、粥に砂糖をかけたのも江戸後期のことだと思います。いずれにしろ、親父が甘党だからという理由だけではなかったようですが、七草粥にも砂糖をかけて食べていましたので何とも言えないな~あ。