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NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

江戸は埋め立て地(その2)

2010年01月27日 | エコでボランタリーな江戸の町
最近は、江戸時代について再評価する動きが見られますが、一方的で部分的な江戸ファンとしては喜ばしいことだと思っています。私は昭和23年の生まれですが、子どもの頃受けた教育は「江戸時代は封建制度と士農工商という身分制度のため庶民は虐げられて、惨めな生活を送っていたので参考にすることなどない」というトーンだったと思います。

これは、明治政府が徳川幕府を良く言うわけはありませんし、第2次世界大戦後にGHQが伝統的な日本文化を否定しましたので、長い間、江戸時代を評価すること自体がタブー視されていたからなのかも知れません。

しかしながら、環境問題や市民による自治などについては、江戸時代から学ぶべき事が少なくないと思っています。例えば、現代社会の最大の問題である地球温暖化などは化石燃料を使わなかった江戸時代には全く無縁の話ですし、「勿体ない」という概念などなくても徹底して3R(リデュース、リユース、リサイクル)を実践していたことは間違いありません。江戸時代に来日した外国人は、ほぼ共通して日本の都市の秩序と清潔さについて、自国に比べて大いに勝っている感嘆しています。

とは言っても、最も人口の多いときには100万人を超えたと言われる江戸にあっては、ゴミが全く出ないということはあり得ません。日常生活で出される塵や生ゴミ、井戸や溝浚いで出される泥、盆の供え物や正月の松飾り、火事の後の瓦礫など、かなりの量であったと思われます。

明暦元年(1655年)に町奉行所は、町方から出るゴミを永代島(隅田川の河口にできた砂洲の島で、江東区の富岡八幡宮あたり)に捨てるように町触れを出しています。永代島のゴミ処理については色々と変遷があったようですが、その後、ゴミ処理場は永代島新田、砂村新田、越中島へと移り、江戸のゴミ処理システムは幕末まで維持されています。

江戸のゴミ処理の歴史は東京湾の埋め立ての歴史でもあり、それが夢の島へ、また現在では中央防波堤外側埋立処分場と新海面処分場へと引き継がれています。今、私たちが環境問題を考えるにあたっては、そのルーツとしての江戸についての研究は避けて通れないのではないかと思っています。
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