時折、昼休みに立ち寄る日本橋三越の正面入り口、「あれ、紫の暖簾なんてあったかな」と思ったら、創業祭のようです。

伊勢松坂に生まれた三井越後屋の初代三井八郎兵衛高利が、江戸本町一丁目に呉服店を開業したのは延宝元年(1673年)、三越は今年で創業340年という老舗中の老舗です。
「商いの道 何にても 新法工夫可致候(しんぽうくふういたすべくそうろう)」、商売をするなら何にでも創意工夫しなさいとの言葉どおり、高利は数年にして越後屋を江戸屈指の大店に成長させましたが、その商法は「現銀掛け値なし」「店前(たなさき)現銀売り」という全く新しいやり方でした。
それまで呉服屋は、見世物商い(得意先に注文を取りにいく)か、屋敷売り(得意先に反物をかついでいって売る)だったのですが、こうした商法はお武家さんや大商人を対象としたもので庶民には縁遠いものでした。
また、掛け売りで代金回収は盆暮れの年2回のために、半年分の金利を上乗せした高い値付けになっていました。
今では当たり前に行われている「店頭正札販売」は、江戸時代においては革新的な商法であり、経営学でイノベーションという言葉を使う三百年も前から「新法工夫可致候」を実践していたのです。

伊勢松坂に生まれた三井越後屋の初代三井八郎兵衛高利が、江戸本町一丁目に呉服店を開業したのは延宝元年(1673年)、三越は今年で創業340年という老舗中の老舗です。
「商いの道 何にても 新法工夫可致候(しんぽうくふういたすべくそうろう)」、商売をするなら何にでも創意工夫しなさいとの言葉どおり、高利は数年にして越後屋を江戸屈指の大店に成長させましたが、その商法は「現銀掛け値なし」「店前(たなさき)現銀売り」という全く新しいやり方でした。
それまで呉服屋は、見世物商い(得意先に注文を取りにいく)か、屋敷売り(得意先に反物をかついでいって売る)だったのですが、こうした商法はお武家さんや大商人を対象としたもので庶民には縁遠いものでした。
また、掛け売りで代金回収は盆暮れの年2回のために、半年分の金利を上乗せした高い値付けになっていました。
今では当たり前に行われている「店頭正札販売」は、江戸時代においては革新的な商法であり、経営学でイノベーションという言葉を使う三百年も前から「新法工夫可致候」を実践していたのです。