ブログ仙岩

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八重の桜もいよいよ大詰め

2013-11-21 08:44:49 | 日記
NHK大河ドラマ「八重の桜」も、新島襄は病弱で八重との結婚生活は子にも恵まれず14年という短いもの、同志社英学校を大学にすべく奔走して帰国したところまで、次回が楽しみ。

一方八重は明治19年日本で2番目にできた看護学校「京都看病婦学校」には、米国看護教育の先駆者リンダ・リチャーズの教えの下で直接、近代看護を学んだと、エッセイスト大石邦子さんが書いている。
また、大石さんも最近訪問看護という言葉を知ったが、もうすでに、この時代に訪問看護を実践に移しているという。因みに、一番早くできた看護学校は「有志共立東京病院看護婦教育所」で後の「慈恵看護専門学校」であると。

明治20年、博愛社は創設10年を経て「日本赤十字社」と変え、翌年の21年に磐梯山噴火で、奇しくも、日赤が最初の福島救援出動となった。悲惨な故郷へいてもたってもおられず出動したこ八重は日赤より赤十字記章を受けている。
明治23年襄の死後、日本赤十字社の正社員となった八重は日清、日露の大戦で篤志看護婦として名ばかりのものでなく、男の使い走りとされた看護婦の地位の確立を願っての奔走であった。日本女性初の勲六等宝冠章が授与され、昭和天皇即位の大礼で天盃を受け、悲しみ連続の人生を愛に変えて生き切った八重の生涯は美しいものであったと。