オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ホットドッグ

2011-03-18 | Weblog

3/18(金) 今朝はホットドッグとなった。一昨日に買い置きしたドッグパンを使いきろうという算段である。それにしても、昨昼・夕とデパートに立ち寄ったが、パン屋の前は長蛇の列であった。停電情報などが盛んに流れる所為であろうか?

今日のドッグは全部で7本、具は基本のウィンナーとベーコン、ゆで卵・ポテト・胡瓜・レタスである。

                      

炒め、茹で、潰し、マヨネーズ・ケチャップ・塩胡椒で味付けする。こうして振り返れれば簡単すぎるが、作っているうちはそうでもないのだ。

                   

今朝も、K君用のドッグ三本入りの紙袋と鞄を提げて、学芸大学から中目黒まで歩いた。中目黒発の始発メトロで楽々と出社した次第。

今日の昼の便にて福岡へ飛ぶ。お世話になっていた某社の部長が福岡に転勤された。企画のできるプロダクションが欲しいとの相談を受け訪問することとなった。帰京は、明日の予定。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛小間煮

2011-03-17 | Weblog

3/17(木) 今朝は、牛小間と大根・椎茸・タマネギなどの牛煮物がメイン。それにジャガイモ・人参・ピーマンとベーコンの千切り炒め。定番の卵焼き、以上がお菜である。

                       

今朝も私を除いて三人分の弁当を用意した。家人とK君、新規参入の姪の分である。仕上げに椎茸昆布の佃煮を乗せた。

                    

私は昨日から思うところがあり暫くは別メニューである。
朝はヨーグルトとゆで卵、それに田舎で入手した「安政カン」なる初じめてのミカンを二房。この蜜柑、味は八朔と甘夏をミックスしたような感じ、これに文旦の感触がかすかにあった。

                   

                三人さま用弁当         My lunch

私のランチは、朝茹でた人参3切れと、会社の冷蔵庫に置いてあるグレープフルーツ半分(安いやつで酸っぱいのだ)、野菜ジュースである。

 出勤途上の散歩とは・・・

 昨日、今日と北風が強く寒い。この寒い中を今朝は、学大~五反田駅まで歩いた。目黒郵便局から平和通を行く。武蔵小山商店街を抜けて中原街道を上り、五反田に至った。予想どおりに1時間の行程であった。

9時前、商店が開く前の武蔵小山商店街では、何人かの人がドラッグストアの前に並んで居る。両手に持ちきれない程のチッシュやトイレットペーパーを抱えた人も見かける。相当に買い溜めが進んでいるようだ。(不安感を煽る、が購買意欲促進策ではベストか)

                         

                        武蔵小山商店街入り口(中原街道側)

今朝は、田町にある某社を訪問し、N社長との打ち合わせであった。今回の震災被災者の安否情報を収集し、webサイト上で紹介する企画について意見を求められていたもの。友人の知恵も借り、実現性と即応性のある案を出した。goodな方法と喜んでもらったが、さて実現するか・・・。

この打合せに直出する為、途中の経路を歩いた次第である。田町からの帰路、日本橋で下車、人形町までのひと駅分を歩いた。明日は、午後一番の便で福岡に行く予定。昨日と明日の分も歩こうと云う魂胆であった。

 そう云えば、三越近くの裏通の「おかめ桜」が、すべて満開となっていた。この桜、桃色で寒桜のように花弁が小さい。春が近づいているようだ。

                          

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンドイッチ

2011-03-16 | Weblog

3/16(水) 相変わらず地震の揺れが続いている。それにまして原発の状況が予断をゆるさないようだ。先ほど、何人かと電話で話をしたところ東北地方の生産設備の壊滅がビジネスに多大な影響を及ぼしていると云う。

紙不足がwebへの切替を更に促進するかもしれない。広告業界への影響がどんな形で現れ、どう対応して行くか、先を読んだ手立てが求めれるところであろうが・・・。

そんな話や、もっと至近なことについて某氏と意見を交わしながらグラスを傾けていたところ建物が大きく揺れた。静岡東部を震源とする地震であった。地震の連鎖か?

武島一鶴先生の格言集”冒険の旅”の、昨日、第三週火曜日は「受けて立つ」(天は その人の力以上に試練を与えることはない 苦しみとともに、それに耐える力も与える)、とあった。
耐えるだけでなく、切り拓いて力強く生きたいものである。

さて、今朝の弁当だが「サンドイッチ」となった。昨日、家人が上手くパンを購い、テンコ盛でテーブルの上に置かれていた。

具は、牛小間とシメジ・タマネギ・マイタケの炒め物、定番のポテトサラダ(タマネギ・ポテト・人参・茹で卵)、これに胡瓜とレタスを使う。

                    

パンは12枚切りの玄米パンとドッグ用のパン3個を使う。今日の弁当は家人、K君、姪の三人分だが、たっぷりと余り小僧も持って行くとか。私は、今日から暫くは別メニューとした。

                         

別メニュー用の茹で野菜「人参・ブロッコリ」50g相当を持参したが、K君にサンドイッチと一緒に渡してしまった・・・ドジな私であった。

                         

自分が食さなくても弁当作りに励むとは、趣味(?)として愈々定着したか・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オムスビ

2011-03-15 | Weblog

3/15(火) 今日は「オムスビ」となった。被災地の炊き出しのオムスビに触発されたわけでもないが、非常時においてはオムスビが定番か?

昨夜から義妹の娘・keikoが泊り込みを始めた。余震が心配なうえ、停電騒ぎで通勤の足も不確かなため、暫く我が家から通勤するとのことである。色んな処に影響を及ぼしている。しかし、我がアバラ家が地震に耐えられるのか ・・・。

オムスビ組は三人、K君には弁当にとした。オムスビは、鮭とタラコのニ種で各自割り当ては二個である。

                        

弁当には塩鯖・オキウルメの焼き物と南瓜・ナタ豆の煮物、オムスビの残りの鮭・タラコが乗った。kの弁当、特に他意はない。単に弁当オヤジの遊び心と云うところ。

                        

今夜は次女も帰って来ると云う。明日の弁当はサンドイッチにと思い家人に購ってくるよう願ったら「パン屋も食パンが売り切れる、買えるかどうか・・・」とのこと。スーパーでは、ミルク・卵やラーメンまで品切れとのこと。東京を2~3日離れただけでこの有様である。

  「地震余波の品不足」

そう云えば、TVで東京の状況を知ったのか田舎の妹と従兄弟から電話があった。食料や電池を送ろうかとのことだったが『要らないよ、残り物の野菜の切レッ端でもあれば送れば』と、いい加減な応えをした。

どうも、そんな呑気な状況ではないようだ、米まで不足しそうだと云う。米は田舎の従兄弟が作ったものを確保してあったが、先週、先輩方や長女の嫁ぎ先に送ったばかり・・・喜んで貰えそうだ。

今朝も駅は改札止めの状況、昨日に引きつづき中目黒まで歩く。あ・り・さ・ん・歩が出来たうえに、中目黒始発の日比谷線で座って読書しながらの出勤。混雑も何処吹く風であった。

愈々、今週からセミ断食の予備練習に入った。本番は何時からとなるか、未だセミ断の食事メニューが決まっていない。これが決まり次第だが。

一つ懸念は、週末の金・土と福岡に人を訪ね会食の予定が有る。これが済んでからの取り組みかな・・・。こうなれば食料不足なんぞはヘッチャラだが、家族も居るか・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弁当どころでは・・・

2011-03-14 | Weblog

3/14(月) 地震や原発、停電のことを考えると弁当のことなど記している状況ではなが・・・。とは云え、人は物を喰う生き物。生きている証として今朝も弁当を作り、明らかにしようではないか。

今朝は焼飯、焼き飯となった。当初は白飯の予定でいたが、暫く家を空け釜に残った飯を弁当に詰めようとしたら色が変わっていた。これやいかんと、急遽焼飯に変身させた次第である。タマネギとピーマン、ベーコンを刻んで合せる。塩・胡椒と仕上げに醤油をひと垂らし。

                        

お菜は、ホタテのバター焼き&ピーマンと椎茸炒め・キクラゲ炒め、豚三枚肉のアスパラ巻き炒めとなった。

                        

K君の弁当に、昨日郷里から持ち帰った鮎甘露煮を半身入れる。かくして、今朝も三人前の弁当となった。

                        

  混乱続く

朝から、計画停電とやらのニュースが流れているが何時、何処でが今ひとつ分からない。それに停電に連動しているらしい電車の運行状況も暗中であった。情報が不明な中、東急線は途中からの折り返しと思い込み混雑予測を読み違えた。

駅に行くと、改札止めの様相。急遽、中目黒まで二駅歩くこととした。駅に着く頃には朝からの陽気で汗を掻き、車内では汗拭き拭きの始末となった。

それにしても、計画停電とやらが今ひとつ不明瞭。前日の夕方17時にならないと翌日の計画が発表されないとか。交通機関の運行にも影響されるのだが、これではスタッフの出勤計画も立てられぬし、安全面も確保できない・・・。成行きで行くしかないとは情けなやである。

三月の中旬となり年度末繁忙の中で、仕事の進捗も気掛り。スタッフの安全と健康はなお気掛りだが、この体たらくでは早めの判断ができない・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震

2011-03-13 | Weblog

3/13(日) 幸か不幸か、3/11(金)に発生した未曾有の地震のことは、高知・安田の町で知った。金曜日、昼前の飛行機で帰省した。3時前に安田の町で夕食の買い物をと海沿いにある町営の店に立ち寄ったところ、サイレンが鳴り、町営の広域放送が津波警報を発していた。

ノー天気に「地震の情報も無いのに、どうしたのかな?」と言っていると、携帯が鳴った。東京にいる次女がいきなり「大丈夫なの?」と言う。

今、高知だよと言うと「外出で街を歩いていたら凄い地震で歩けないぐらい、窓ガラスが割れているビルがある」と云う。何をノンビリしたことを云ってるのと叱られてしまった。(後で確認すると、14:53分の着信であったが、この早い連絡に助けられた)

直ぐに、会社に電話を入れた。何人かの携帯に掛け、漸くAkagiに繋がった。訊くと衝立が倒れ、書類が散乱したとのことだが怪我人は無いと云う。また連絡を入れると切ったが、結局つながったのは夜遅く、それも公衆電話からであった。

一応全員の安否確認が取れ、家族も概ね大丈夫だとのことでひと安心する。電車が動かないので、今夜は何人か泊り込みだとのこと・・・。火急の折に不在で、何とも申し訳ない。

深夜までTVの報道番組に釘付けとなった。災害の怖さをまざまざと見せられるが、為す術なしである。

それにしても、何と云うタイミングの良さか悪さか。帰省の便が午後遅くであれば空港に足止め、しかし其処からであれば会社に向かうことは出来た・・・。

今夕帰宅すると、次女が転倒防止の金具等を買ってきて取り付けている最中であった。地震の直後、家族全員に連絡を入れたのも次女だとか、妙な処に気が廻る。

昨夜から今日にかけ、遠方の友人達から安否を問わす連絡を頂戴する。「いや~実は高知に居て」とは、何とも間の悪いことではあったが、ありがたい。お陰さまで、会社も家族も皆元気です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チキンライス

2011-03-10 | Weblog

3/10(木) 今日のメニューはチキンライス。チキンハートなオヤジにはピッタリのメニューか。昨日と違い今朝は三人分、ちっとは力を入れます。

                        

タマネギ一個半、残りものマイタケ・エリンギ・ピーマンがスタンバイし、刻み炒めた鶏肉に参加する。塩・胡椒・ケチャップが加わり中華鍋で踊る。

                        

ハイ!完成だが、そうは単純にはいかんのだ。丁寧に丁寧にタマネギを剥き、ピーマンを刻み、鶏肉を小口切りにし・・・下味をし順序に沿って炒め・・・。要は遊びながらならではあるが。

付け合せにほうれん草のおひたし、残っていたマグロの煮付け、定番卵焼きを作る。卵焼きは、何時もと違い塩とミルクで色白に仕上げる。(パターンは変えなくては・・・)

              

中々美しい仕上がりとなった。味の方は如何なものか?

中華鍋にたっぷっりのチキンライスが出来上がった。三人の弁当箱に詰めるが、余ってしまう。致し方なく私が朝食として食した。旨いんだな~これが。問題は、昼の楽しみがない!

                     

A&K、イニシャル入りのチキンライス弁当が仕上がった。

そうこうしているうちに、バイトの夜勤明けで末娘が帰宅した。「もう少し早ければチキンラスがあったのに」と云うと『な~んだ』と残念そうな応えが返ってきた。

朝からチキンライスで満腹の私は「弁当食べれば」と渡した。最初は遠慮していたが、再度進めると何時のまにや食べ始めたようだ。暫くして部屋に戻ると『ご飯多すぎ』とか言いながら完食していた。普段は体型を気にしてか食が細いのに・・・。よっぽど旨かったか?

そんな訳で、昨日に引き続き今日も弁当はなし。Kの弁当だけをぶら下げての出社となった。明日は、毎月の参勤で高知へと行く、弁当はお休みとなる。

3時ごろに出先から帰社。今夜は経団連1%クラブの交流会で夕方より大手町。昼は抜くつもりでいたが、腹が減っては知恵が廻らぬかもと、会社の近所のパン屋(製造販売)で残っていたウィンナー入りパン(180円)を購った。

このパン屋のオーナーは、Eさんと云う。私より若干年上と見受けるが、真偽は不明。昨年夏まで近所にあった韓国人ママの小さなスナック「コナン」で顔を合せていた馴染みであるが、此処でパンを買うのは二度目。(そりゃそうだ、何時もは弁当)

Eさんとコナンで初めて交わした言葉。既に馴染みなっていた会社のスタッフから、隣に座っていたEさんを紹介された。

顔は前々からよく知っていた。ママさんに残ったパンを渡すところも何度か見かけているし、歌声も聞いていた・・・。

スタッフのAokiが「直ぐそこでパン屋をやっているEさんです」と紹介した。その時私は「なんだ、パン屋のオヤジか」と応えていた。するとEさん『パン屋のオヤジか、だって』と、どごぞ不満そうな声が戻ってきた。

「なんだ、パン屋のオヤジか」は、聞こえよう聴きようによっては確かに失礼である。相当に酔っていたし、元来が横柄で傍若無人な私のこと。軽んじた言い方と取られても致し方ない。(この時は、詫びもしなかったようだ)

パン屋を、年上を軽んじる気はサラサラないが、Eさんはそう受け止めたようだ。(言葉の使いかたには気を付けなくては、何度かそう云う失敗を繰り返しているのだから)

お店のママにパンを渡すところは何度か見ている、何故かなと思っていた。それが、パン屋さんと云うことで理解できた。それと、俺にもパンを寄越せよ、という邪な気分があったのだろう。更に、酔いが廻っていた所為もあり生意気な私の地がでたであろう。

そんな出会いであったが、偶さか路で出会うと『最近何処で飲んでるのよ』とか『今度飲み行こうよ』とか声が掛かる。先日も道端で『あの店が無くなり、いや~いい店だったと思うよ』と、しみじみと言っていた。

弁当を持参しない日、それはそれでいいものである。

 

 「経団連1%クラブって?」

経団連が音頭をとる社会貢献活動。企業では経常利益の1%、個人は可処分所得の1%を社会のために使うことがクラブの規約。お金だけではなく、労働や品物で換算することも可能。(チョット間違っているかも、詳しくは「1%クラブ」で検索を)
私は19年前、会社の業務で社会貢献活動に携わった。その縁で1%クラブの個人会員となった。また『地球市民の会』の活動にも携わることとなった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予定ありて・・・

2011-03-09 | Weblog

3/9(水) 今日は朝からクライアント訪問、廻りまわって会社に出るのは17:30分となる予定。

客先廻りで弁当箱は邪魔、一箇所ぐらいであれば我慢をするが夕方までとなると些か荷が重い。そんな訳で、基本的には弁当を作らないことにした。基本的に、と云うところが味噌!家人の弁当は私の行動とは関係ない、其処で一つだけ弁当を用意した。

たった一つの弁当と云うのは、実に張り合いがない。食材は少しだし、使う器具も一番小さいやつなのだ。料理を作る、弁当を作るぞと云う力が入らない。とはいっても、毎朝そんなに気合を入れているわけもなし・・・。

作る量が少ないと、こんなに時間も要しないかと思うくらい仕上がりも早い。あっ、と云う間に出来上がり。まあ、料理も手抜きなら品数も少ない所為もある。

                        

お一人様用のメニューは、シフード(冷凍イカ・エビ)と野菜(ブロッコリ・絹サヤ・アスパラ)のオリーブ&バター炒め。それとシメジと三つ葉刻み炒めの卵とじ。後は、ご飯の真中に梅干を入れた日の丸弁当仕上げである。

                         

今日は、こんなところで勘弁してもらう・・・。

 

  「あ・リ・さ・ん・歩」

昨日の午後、今日の打ち合わせ用資料も仕上がったので外出した。チョットした買い物と相当に草臥れてきた靴底の修理、更に上手くタイミングが合えば某社の某氏と話がしたかった。

会社から三越前、東京駅前~有楽町・銀座と歩く。この間、某氏に連絡を入れるが捉まらない。氏の会社の傍で暫くスタンバイしたが諦め(結局コールバックは18時過ぎ)、靴の修理に向かった。駅中にショップ展開している「ミスターミニッ」と云うスタンドである。

この靴は、既に12年近く履いてき長年季の滅私奉公に努めている。何しろ履き易くデザイン・カラーともにお気に入りである。同じ型は廃番になっており代えが利かないのだ。もうガタガタだが捨て難い。メーカー修理で底革は3・4度替えてきたが、最早メーカー修理にならないとの判断である。

せめて踵のゴムを替え、穴が開いた底にラバーを張り、半年やそこいら履いて成仏させてやろう。最後のご奉公を願う為の修理。修理代4200円也であった。

修理したての靴で、夕闇せまる中央通を歩き日本橋に着いた。橋上の高速道路の向うに三越新館の灯りが見える。橋を渡り、室町方面の写真を撮り、按人町方面に右折した。

                     

裏通の入り口にある桜「おかめ桜」が満開に近い。この通の桜は、豆桜と緋寒桜の交雑種とある。日当りの良い、入り口の桜だけが満開。人も桜も陽当り次第と云うことか・・・いや、陽当たりが悪くとも、桜はいつか満開となる・・・。

                         

結局この日、人形町~銀座間、往復の散歩であった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

煮物と炒め物そして焼き物

2011-03-08 | Weblog

3/8(火) 目覚めると、漸く雨も上がった様子。昨日はボタン雪もちらつき、また春が一歩後退したような天候だった。雨の中、見積もりの提出で神田まで徒歩で往復。帰社の途中、安売りスーパー「ハナマサ」で、五個198円の極安ラーメンを同行したAkagiとともに購った。

我が社のアルバイトK君用に、弁当を用意出来ない時の非常用?のつもりで購ったが・・・。

さて今朝は、弁当をちゃんと作った。メニューは「鶏肉と大根・牛蒡の和風煮」、「豚バラ肉とピーマン・マイタケのオリーブオイル炒め」それと「小松菜の胡麻炒め卵とじ」。以上で終わりかと思いきや、土曜日に築地で買った鮭の切り身を焼いたのである。

                      

一応ひと通のお菜が揃った。何しろ前夜の残り菜は皆無、飯そしてお菜と今朝の出来たてである。問題は、弁当にどれだけ入るかなのだ!なるべくドカベンは避ける。健康のために致し方なし。

                      

何時もご飯を弁当に詰め、それからお菜を入れる。お菜を入れるために最後は、ご飯をぎゅうぎゅうに寄せる破目となる。そして入りきらんとご飯の上に乗せることとなる。見た目がよくない、美しくないが、花より団子である。

                   

今朝も鮭の入る場所がなくなり押し込む。最後にここの処お気に入りの椎茸昆布がご飯の上に乗って完成となった。

 

  「 U老分 」

我が社の長老Uさんは中々面白い。発想が、今風に云えばポジティブな方である。何しろ戦中派、名古屋の産で、私が知らない世界をよく承知している。

Uさんが幼い頃、先の大戦の末期から戦後暫くのことだが、岐阜に疎開していたそうな。戦後、岐阜の長良川沿いのホテルは接収されて駐留軍が居たと云う。

川に泳ぎに行くと、米兵がコインを川面に投げる。子供達は競って飛び込み川底から拾って喜んだと云う。コインが落ちた位置、水の流れを読んで潜るのが拾えるか否かの分かれ目。その計算をしながら潜り、拾う。ゲーム感覚で面白かったと云う。

そこは、戦に負けた敗者の思いとか、貧乏だとかを超越した世界であったろう。

場面は変わるが、一緒にゴルフに興じたタイのゴルフ場では、コースに沿って或はコースを横切るように泥水のクリークがある。その傍らには必ず5・6歳~10歳ぐらいの子供が其処かしこでゴルファーを待っている。

ミスショットの球がクリークに水しぶきをあげると、何処からともなく子供が現れてクリークに飛び込み潜る。あの濁った水の中から、間違うことなくボールを拾い出してくるのだ。チップを渡してやるとニッコリと白い歯を見せて嬉しそうだった。

そんな光景を目の当たりにしながら、U老分は子供の頃の長良川の自分を見ていたに違いない。

チャリン・チャリンと呼ぶ居酒屋「ちょっぷく」で一杯300円の安酒のグラスを傾け、タイのゴルフの話に及ぶと、水に飛び込む少年の話、そして長良川の夏に戻る。

『惨めとか、可哀想とか、そんな思いは一つもなかったよ。どうしたら、何処を目指して潜れば捕れるかなんだ。あの米兵たちも遊びでコインを投げたんだよ。』。『タイの子供達も遊びながら小遣いを稼いでいるんだよ』そこに余計な感情を入れない方が良いんだ・・・。と、U老は酔った声で語る。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お手軽弁当

2011-03-07 | Weblog

3/7(月) 朝から雨、今朝の手作り弁当は大いに手抜きして昨夜の残りお菜と、土曜日のマグロの残りを焼き、定番の卵焼きで済ませた。

残りお菜は「筍」、田舎の妹が筍すし用に送ってくれたものだが、形状から煮物となった。厚揚げを入れて煮た純和風のお菜。マグロは小塩を振り醤油を絡ませた照り焼き風。卵焼きは三つ葉を散らしたものとなった。

                    

ご飯も昨夜の残りご飯、なんとも早簡単お手軽な弁当となった。仕上げに旨かった椎茸昆布の佃煮を乗せた。

                    

以上で、今日はお終い。

  「 あ・リ・さ・ん・歩 」

散歩の方はサボり気味.土曜日築地の行き返りに東銀座~築地間を往復。昨夜、会社からの帰りに温い風に身をゆだねて人形町から築地まで三駅分歩き、メトロの人となった。

昨日は春を思わす陽気。会社への行きは暑くなりそうなので帰りに歩いたが、何処までも歩いて行きたくなるような宵であった。残念ながら汗を掻いてきたことと、余り遅くなっては家人が心配するか(そんなことねぇか)と、切り上げた。

ご飯と云うのは本当に美味い。幾ら喰っても飽きないのだ。そんな所為か、はたまた夜毎の酒場通いの所為かウェイトオーバーが収まらない。

一番困るのが、男の鎧とも云えるスーツが着れなくなったこと。特製のスーツが衣裳入れに何着か眠ったまま。これでは戦に負ける・・・何とかせぬと男の戦場にも出れぬは・・・。

其処で思案中なのが「断食」である。一人で決行すると面白くないので、我が社の雌虎軍団に誘いをかけているところ・・・もう一歩か?

二週間コースを自分で設定し、緩やかにされど確実に実行したいもの。これを一月に1回、都合三ヶ月で三回やるとどうなるか人体実験をと、目論んではいるが。勿論、スタート時には全メニューを公開(後悔)する所存。

まあ、弁当作ったり断食を考えたりと、閑なオヤジでなければできないことではある・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする