ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

アルコール依存症へ辿った道筋(その15)いよいよ神経戦の始まり・・・

2015-01-17 18:27:11 | 自分史
 私が42歳の3月、やっとの思いで新Ca拮抗薬Pの承認申請に漕ぎ着けました。

 論文30本と申請概要、全研究会議事録、これらすべての作成作業を一から始めてのゴールでした。病院と交わした契約書や治験薬の納品・回収伝票、病院・医師との訪問・面談記録などの文書の点検・確認作業も厖大なものでした。研究会議事録ひとつとってみても、録音テープの起しからの作業です。さすがに録音テープの起しは業者に委託しましたが・・・。

 これらの作業をよく1年でやり遂げたものと思います。チーム全員で治験分担の割振りどおり、手分けして論文や議事録などの作成に掛り、この手の作業に長けた I 君が文書の点検・確認作業を差配しました。皆、夢中だったのです。どんなに辛くとも、仕上げの作業にはやはり倍以上の喜びがあるからこそでした。

 離婚騒動から別居という文字通りの晴天の霹靂を潜り抜けて、我ながらよくぞ成し遂げたと今でも感無量です。翌4月に昇進・昇格し、月給が8万ほど昇給しました。赤貧の生活からやっと解放されました。

 申請後は厚生労働省との折衝が主となります。担当官との最初の面談では、新Ca拮抗薬Pの印象は悪くないものでした。特に、高血圧症と狭心症という両適応症の比較検証試験結果が好評で、上々の滑り出しと思えました。最初の面談に同席した会社の面々は、これに皆大喜びしたものです。

 その年の8月に妻と連絡を取り、甲子園球場近くのホテルのロビーで会うことにしました。怒りがちょっとは解け出したのではと期待していたのですが、顔を見た途端に淡い期待は呆気なく吹き飛ばされました。何事も拒絶しようとするバリァーが感じられ、周りの空気が固まっていました。離婚騒動真っ只中に家で感じた空気と同じでした。「これでは話し合いも何もない」、そう考えてほんのわずかな時間で切り上げました。「まだまだ、先は長いぞ」そう心に言い聞かせるのみでした。

 八方美人と人物評価した M 君でしたが、新Ca拮抗薬Pの承認後は販売促進を統括するマネージャーに決まっていました。申請後しばらくして二人だけで酒を飲んでいた席で、申請データ中で気に掛る点を M 君から訊ねられました。私は「血圧日内変動の試験データだ」と答えました。

 血圧日内変動の試験というのは、入院患者を対象として降圧薬の作用が1日中安定して持続するか否かを調べる試験のことです。降圧薬を服用開始前と継続服用終了時の2回、所定の時刻に1日10回(午後10時~午前6時の就寝時を除く)血圧を測定し、降圧薬の用法を立証するための試験で、用法・用量の根拠資料になります。

 新Ca拮抗薬Pの申請資料では、朝食(服薬)前の午前7時と就寝前の午後9時のデータについてだけ、血圧の下がり方が不十分に見えていました。

 私自身、問題視される可能性に備え、念のために治験を特別に2本組んでおきました。1日1回の服用で十分とする根拠を補強するのが目的でした。睡眠中も含め、30分毎に24時間血圧を測定できる携帯型血圧計を用いた自由行動下の血圧日内変動(ABPM)試験が一つ。もう一つは入院患者に7日間治験薬を服用してもらい、服薬終了後も引き続き午前7時(服薬時刻に相当)の血圧を3日間追跡記録する試験です。どちらの治験でも1日1回の服用で十分という満足できる結果が得られていました。

 しかし、これらの2治験は一般試験という位置づけで、用法の根拠とする根幹試験とは見做されない可能性がありました。また、ABPM試験には次のような問題が内包されていました。

 心臓は1日約10万回拍動します。血管の拍動は少しのストレスでも敏感に反応します。したがって、血圧(=血管の拍動)も1日約10万回変動するのです。自由行動下の血圧であればなおさらです。本来なら動脈内にカテーテルを留置し、血圧を直接連続測定するのが理想的なのですが、現実問題としてほぼ実行不可能でした。

 ABPM試験成績では、患者全体の血圧の平均値で見ると(縦軸に血圧、横軸に時間をとった折れ線グラフを想像して下さい)、服薬前後の曲線は平行して推移し、昼間に高く夜間睡眠時には低い典型的な血圧変動曲線を示していました。

 ところが個々の患者の血圧の推移をみると、自由行動下の血圧は思わぬ数字を示すことが多々ありました。想像通り服薬前後の線が至る所で交叉した折れ線グラフそのもの、つまりグジャグジャした変動だったのです。このことが後になって大問題となりました。

         *   *   *   *   *

 新薬の承認申請後、最初に越えるべきハードルは申請資料についての信頼性調査です。申請資料中のデータが、捏造・改竄されたものでないことを当局が調査・確認することを言います。

 国際標準を簡略化した日本版GCP(旧GCPと呼んでいます)の行政通知については先に少し触れています。旧GCPはかなり大雑把なもので、後に法制化された国際標準のGCP(医薬品の臨床試験の実施に関する基準:ICH‐GCPに準拠)から見たら月とすっぽんでした。

 それでも治験の実施に関する初めての規制でしたので業界には戸惑いがありました。中でも画期的な変革といえば、承認申請した会社ばかりか治験実施医療機関(病院)へも当局が出向いて実地調査(査察)を行うことでした。申請した資料の中で、この旧GCP が適用される治験はいずれも根幹資料と位置づけていた4治験でした。

 実地調査の約2~3週間前に会社に連絡が入り、11月に調査が行われることになりました。調査対象になったのは2ヵ所でした。健常人での血中薬物動態を依頼した受託医療機関のクリニックと、狭心症の治験先となった心臓病専門の外来診療クリニックです。受託医療機関には独自で対応するよう依頼し、狭心症の外来診療クリニックの方に注力することにしました。

 当局から連絡を受けると直ぐ外来診療クリニックに調査の受け入れをお願いし、課長補佐の A 君と二人で準備に掛りました。特別に許可をもらい、治験契約関連文書や治験審査委員会審査結果資料、カルテなどを確認させてもらうことにしました。

 外来診療クリニックでの調査対象の患者は8名でした。狭心症の比較検証試験の2治験分でした。カルテと治験用データ用紙(CRF)の記載内容との確認・照合だけでも、患者一人分に二人掛かりで30分程度掛ります。カルテの記載と矛盾するなど注意を要する所が見つかれば、患者のCRFのコピーに注意点をメモした付箋紙を貼っていきます。カルテとの確認作業だけで相当の時間が経過し、外来診療クリニックの閉所時刻も迫っていたので、心電図を確認できないまま終えることになりました。

 当局による実地調査の結果、調査に立ち会った担当医師の心電図の読図所見と、治験時に記載したデータとの間に食い違いが見つかりました。

 患者の中には、運動負荷前の安静時にすでに心電図上変化が認められる人もいて、運動負荷をかけることによって変化が増幅する患者もいます。このような症例では、心電図の変化をそのまま計測した場合と、変化の増幅分だけを計測した場合とでは数字が変わってしまうのです。担当医師にお願いし、心電図データの食い違いは実地調査時の読図に勘違いがあった由の釈明書を書いてもらいました。

 どうにか申請まで漕ぎ着けたものの、申請作業だけで燃え尽きてしまい、ここぞという時の集中力が散漫なままでした。微妙な変化を追う心電図の確認こそ細心の注意を払うべきだったのですが、時間配分の読みが甘かったのです。想定内のこととはいえ、手を抜いたことが原因の最悪事態です。徹底を怠った時に起こる案の定の不始末でした。

 もう一方の受託医療機関の実地調査については、被験者募集方法に不適切な部分があったという結果でした。これについても受託医療機関に依頼し釈明書を書いてもらいました。

 年が明けて、これらの釈明書を添えて回答書を当局に提出しました。当局からは、旧GCP の適用となる狭心症の2治験について、「全症例の心電図所見に誤りがないか確認して回答を提出せよ」という指示を受けました。回答の提出を待って承認審査の再開を決定するというのです。

 新年早々全国行脚を始めることになりました。早速、手当たり次第に治験担当医師と面談の約束を取り付け、課長補佐の A 君と二人のペアで心電図の確認作業に当ることにしました。

 いよいよ翌日から東北地方に出張することとなった3連休の最終日、1995年1月16日(月)、私はワンルームの自室で眠りに就きました。この日は晴れで、月齢は満月に近かったと思います。大きな赤い月が東の空から浮かんできたのを覚えています。


アルコール依存症へ辿った道筋(その16)につづく



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コメント (1)
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