飲み方の異常というのは、“飲み出したら止まらない”といった酒量の多さも問題ですが、TPO(時と場所、場合)を弁えずに飲酒してしまうことの方が遥かに重要です。“隠れ酒”や、“朝酒”(朝から飲酒)、通勤途中での飲酒、勤務時間中の飲酒、葬儀の式場などでの飲酒などは立派な飲み方の異常です。このような人は、飲まずにはいられない状態=アルコール依存症になっているのです。
会社勤めの現役サラリーマン時代、30歳代後半から40歳代始めまで文字通り眼の回るような多忙な日々を送りました。出張も多く、県庁所在地で訪れなかった場所が水戸市と山口市、鳥取市だけ、これが私の密かな自慢です。(この3都市には治験先となる大病院がなかっただけの話なのですが・・・。)もちろん、47都道府県で行ったことのない所はありません。出張も内勤業務も、とにかく無茶苦茶になりながらこなしました。
以前、飲み方が異常になった一番手の転機は、定番となった出張帰りの電車内での即ビールだったとお話ししました。今回は内勤業務での残業にまつわる話です。
臨床開発というのは、患者の治験データを集積し、それらを基に “医薬品のたまご” =治験薬を正式に医薬品として国に承認してもらう仕事です。
臨床開発チームが担う内勤業務の主体は、治験で得られた膨大な患者データを点検・解析し、審査資料としてまとめる作業です。早めの商品化を急かされている担当者は否応なしに残業にまで追い捲られてしまいます。このような内勤作業は3~4週間集中して続き、開発段階も後半に入ると年に6~7回もあるのです。今回はこの頃の話です。
最初の頃は、8:00PMぐらいまでは食事ナシで頑張っていました。しばらくすると夜食を摂ってから再び仕事をしようと、出前を頼むようになりました。・・・が、食欲を満たされた後で気持ちを切り換え、改めてさぁもう一度仕事に集中とはなりません。何を今更と気合が入らず、作業効率も悪いので大抵はそのまま帰宅となってしまいました。他のプロジェクトチームも似たり寄ったりでした。よほど切羽詰まらないと食事を済ませた後の残業は続けられるものではありません。
そのような状況下でチームに合流してきたのが課長補佐のA君でした。A君は中途半端な出前の夜食に飽き足らなかったのだと思います。「やれるところまで仕事をしてから、ちゃんとした食事に行きましょう」と提案してきました。どうせ帰宅しても一杯飲んで寝るだけです。この誘惑には勝てませんでした。
それからというもの、およそ9:00~10:00PMまで頑張って仕事し、チーム全員で会社近くの居酒屋へ繰り出すようになりました。居酒屋ですから当然酒も入ります。10~20分で済む出前の食事のように簡単にとはいかないのです。仕事で昂ぶった神経に空きっ腹ですから、酒が入るともうイケません。快い酔いが回り、そのため終わるのは大体11:00PM前後で、下手をすると1:00AMぐらいになることもありました。
初めの頃こそ全員そろっていましたが、一人抜け二人抜け・・・、いつの間にか4人だけがお決まりの顔ぶれとなりました。バブル期終盤の頃でしたので、帰宅は大抵タクシーというパターンでした。
臨床開発の仕事は、出張と内勤が入り交じり五月雨式に年中続く仕事です。出張帰りの定番に加え、内勤でも仕事の帰りにお店で酒を飲むことが新定番となりました。
外でどれだけ飲んだとしても、またたとえ深夜に帰宅しても、家で必ずビールが欠かせませんでした。昂ぶった気持ちに一息つきたいだけなのですが、お茶だけで済ますことができなかったのです。“飲まずには家に帰れない”、今となっては異常ともみえる習慣飲酒は、このように何の変哲もないキッカケから癖となり、しっかり身体に染みついてしまいました。
以上が、飲み方が異常となった二番手の転機です。健診で脂肪肝を指摘され、そのため受診した一般病院で振戦を指摘されて、初めてアルコール依存症と診断されたのが45歳11ヵ月の時です。
今回ご紹介した残業後の居酒屋通いのエピソードは40歳8ヵ月頃から始まったものです。これが転機となって、アルコール依存症者に定番の家庭崩壊へと、一気に坂道を転げ落ちることになったのです。
このようにアルコール依存症となる温床はどこにでも転がっているようです。この当時、依存症気質とでもいうべき自分の性格にはっきりと気付いてさえいれば、あるいは、作業効率の悪い残業の限界を “ありのままに受け止め” さえすれば、出前をとらずに残業を切り上げて、真っ直ぐ帰宅することも私には決断できたはずなのです。
ほんのちょっと頭を捻りさえしていれば、・・・。私にとっては数少ないチャンスだった、そう思えて仕方ありません。今頃になって気付いても、“後の祭り” であることに変わりないのですが・・・。
ランキングに参加中。クリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 アルコール依存症
↓ ↓
会社勤めの現役サラリーマン時代、30歳代後半から40歳代始めまで文字通り眼の回るような多忙な日々を送りました。出張も多く、県庁所在地で訪れなかった場所が水戸市と山口市、鳥取市だけ、これが私の密かな自慢です。(この3都市には治験先となる大病院がなかっただけの話なのですが・・・。)もちろん、47都道府県で行ったことのない所はありません。出張も内勤業務も、とにかく無茶苦茶になりながらこなしました。
以前、飲み方が異常になった一番手の転機は、定番となった出張帰りの電車内での即ビールだったとお話ししました。今回は内勤業務での残業にまつわる話です。
臨床開発というのは、患者の治験データを集積し、それらを基に “医薬品のたまご” =治験薬を正式に医薬品として国に承認してもらう仕事です。
臨床開発チームが担う内勤業務の主体は、治験で得られた膨大な患者データを点検・解析し、審査資料としてまとめる作業です。早めの商品化を急かされている担当者は否応なしに残業にまで追い捲られてしまいます。このような内勤作業は3~4週間集中して続き、開発段階も後半に入ると年に6~7回もあるのです。今回はこの頃の話です。
最初の頃は、8:00PMぐらいまでは食事ナシで頑張っていました。しばらくすると夜食を摂ってから再び仕事をしようと、出前を頼むようになりました。・・・が、食欲を満たされた後で気持ちを切り換え、改めてさぁもう一度仕事に集中とはなりません。何を今更と気合が入らず、作業効率も悪いので大抵はそのまま帰宅となってしまいました。他のプロジェクトチームも似たり寄ったりでした。よほど切羽詰まらないと食事を済ませた後の残業は続けられるものではありません。
そのような状況下でチームに合流してきたのが課長補佐のA君でした。A君は中途半端な出前の夜食に飽き足らなかったのだと思います。「やれるところまで仕事をしてから、ちゃんとした食事に行きましょう」と提案してきました。どうせ帰宅しても一杯飲んで寝るだけです。この誘惑には勝てませんでした。
それからというもの、およそ9:00~10:00PMまで頑張って仕事し、チーム全員で会社近くの居酒屋へ繰り出すようになりました。居酒屋ですから当然酒も入ります。10~20分で済む出前の食事のように簡単にとはいかないのです。仕事で昂ぶった神経に空きっ腹ですから、酒が入るともうイケません。快い酔いが回り、そのため終わるのは大体11:00PM前後で、下手をすると1:00AMぐらいになることもありました。
初めの頃こそ全員そろっていましたが、一人抜け二人抜け・・・、いつの間にか4人だけがお決まりの顔ぶれとなりました。バブル期終盤の頃でしたので、帰宅は大抵タクシーというパターンでした。
臨床開発の仕事は、出張と内勤が入り交じり五月雨式に年中続く仕事です。出張帰りの定番に加え、内勤でも仕事の帰りにお店で酒を飲むことが新定番となりました。
外でどれだけ飲んだとしても、またたとえ深夜に帰宅しても、家で必ずビールが欠かせませんでした。昂ぶった気持ちに一息つきたいだけなのですが、お茶だけで済ますことができなかったのです。“飲まずには家に帰れない”、今となっては異常ともみえる習慣飲酒は、このように何の変哲もないキッカケから癖となり、しっかり身体に染みついてしまいました。
以上が、飲み方が異常となった二番手の転機です。健診で脂肪肝を指摘され、そのため受診した一般病院で振戦を指摘されて、初めてアルコール依存症と診断されたのが45歳11ヵ月の時です。
今回ご紹介した残業後の居酒屋通いのエピソードは40歳8ヵ月頃から始まったものです。これが転機となって、アルコール依存症者に定番の家庭崩壊へと、一気に坂道を転げ落ちることになったのです。
このようにアルコール依存症となる温床はどこにでも転がっているようです。この当時、依存症気質とでもいうべき自分の性格にはっきりと気付いてさえいれば、あるいは、作業効率の悪い残業の限界を “ありのままに受け止め” さえすれば、出前をとらずに残業を切り上げて、真っ直ぐ帰宅することも私には決断できたはずなのです。
ほんのちょっと頭を捻りさえしていれば、・・・。私にとっては数少ないチャンスだった、そう思えて仕方ありません。今頃になって気付いても、“後の祭り” であることに変わりないのですが・・・。
ランキングに参加中。クリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 アルコール依存症
↓ ↓