ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“思い込み” の逸らし方 “ありのままに受け容れる”

2015-11-20 19:09:39 | 病状
 その日は、2ヵ月ぶりに別の病院の糖尿病外来と、毎日通院のアルコール依存症専門クリニックとの掛持ち受診の日でした。糖尿病外来の診察を終えた後、専門クリニックに辿り着いたのは11時過ぎぐらいで、いつもよりはるかに遅い時刻でした。待合室は結構な人数の患者で混んでいました。受付嬢からは、混み具合からすると、主治医S先生の休憩(昼食)時間に懸るかもしれず、診察はその後になってしまうかもしれないと告げられました。妙なことを言うものだと思ったのですが、その意味を質すこともせず、あまり気にも留めませんでした。

 診療の途中で、ときどきS先生が用を足しに診察室から出て来ることがあります。その日も途中で一度あり、待合室にいた私に珍しく言葉をかけてくれました。さらに私を診察中にも、S先生はその言葉をもう一度繰り返しました。

 「・・・そうですか。(断酒して)2年経った今でも、やっぱり
  家族から冷たくあしらわれているんですか。」
 「そうなんですよ。やっぱ、今はしょうがないですかねぇ・・・? 
  でもね、こちらも向こうに気兼ねなく勝手できますからねぇ・・・
  それがいいんですよ。」
 「今暫くはそんなもんだろうねぇ・・・。ウチも相手にされなくて
  ねぇ、何とも妙な気持ちだねぇ・・・。」S先生はそう言うと、
  苦笑いしていました。
 「へぇ~、先生も?・・・無理して患者に合わせなくともいいです
  よ!(笑)」

 笑いながら診察室を出た途端、一人待合室で待っていた患者のT氏が突然声をかけて来ました。
 「ヒゲジイさん、大丈夫だったんですか? 
  危なかったですねぇ・・・。」
この思いがけない問いかけに、思わず聞き返してしまいました。
 「えっ、何が? 何かあったんですか? 私が危なかったの?」
 「そう、危なかったんですよ! 大丈夫だったんですか・・・。」
 「Tさん! 何かあったんですか?・・・・・・」
ちょうど診察の順番となったT氏が呼ばれ、診察室に入ってしまいました。私は不審を抱いたまま、一人取り残されました。

 事情が分からなかったので腑に落ちない気分でいましたが、不意に包丁を持った患者の暴行未遂事件のことが頭を過りました。つい最近、まさにこの待合室でその事件があったと聞いていたのです。

 その患者は断酒が上手くいかず、通院も不規則だったそうです。久々に来院した際、応対した受付嬢の言葉を曲解してしまい、腹を立てて受診もせずに一旦帰ったそうです。その日の内に再び戻って来たかと思うと、事もあろうに持ってた包丁でその受付嬢に切りかかったというのです。幸い大事には至らず、未遂のままに終わったということでした。これが、私が聞いていた暴行未遂事件のすべてです。

 その受付嬢は私の近所に住んでいる人で、ある朝、私が道のゴミ拾いをしているところに偶然通りかかって、この事件について話してくれたのです。その患者は何かを根に持っているらしく、再び襲われる可能性が高いので、渋々退職することにしたと嘆いていました。そこで万が一でも住居がバレるのを恐れ、誰にも住居を口外しないよう、近隣の私にも頼んできたのでした。

 アルコール依存症者に特有の、他罰的な思い込みによる被害妄想の典型例です。自分勝手な思い込みから、はた迷惑で危険な狼藉を働いたのです。とんだとばっちりを受けたものだと痛く同情してしまいました。

 T氏の言った “大丈夫?” と、“危なかった!” という二つの言葉が、この暴行未遂事件を呼び覚ましたのだと思います。「ひょっとして、自分も誰かに恨まれ狙われているのだろうか?」私は自分の身に危害が迫っているものと勝手に思い込み、えもいわれぬ不安に襲われてしまいました。首尾よくいった意味に受け取ればいいものを、危ないの持つ先入観にのみ囚われて、勝手に暴行未遂事件へと連想を拡げたのだと思います。

 いきなりスリルとサスペンスのただ中に放り込まれたようなものでした。帰宅してからも不安が募り胸がザワつきました。悪い方へ悪い方へと連想が飛び、挙句の果てひょとしたらT氏の脅しかも(?)とまで疑心暗鬼になってしまいました。そのときふと閃いたのです、その日にあった出来事の事実関係を “ありのまま” に整理してみたらどうだろう・・・と。どうやら暴行未遂事件へのみ気が奪われ、あまりにも偏った “思い込み” から感情的になり過ぎていると気づいたのです。

 普段のT氏に不審な言動がなかったこと、受付で聞いたS先生の昼食の予定、診療の途中でS先生が待合室の混み具合を見ていたこと、診察室を出た途端のT氏の言葉、そして診察の最後の順番がT氏だったこと、これらの事実からは危険な兆しなど何一つ見当たりませんでした。その一方で、暴行未遂事件関係で懸念があるとすれば、被害者の住居を私が知っているという一点だけでした。以上の事実を客観的に眺めてみると、その日の出来事と私の懸念との接点はまったく見当たらなかったのです。

 蓋然性の高さから辿り着いた私の推理は次のようになりました。その日おそらくT氏のたっての希望で、S先生の診察を受ける順番が昼食前の最後と決まっていた。そこに後から私の診察が割り込んだ形になってしまった。それで、T氏から “大丈夫?” と “危なかった!” という言葉が出て来た。何の変哲もない極めて合理的な推論です。

 受付に確認したところ、最後尾の診察順を希望することは可能で、T氏はよくやっているのだそうです。至極平々凡々無難な結末となりました。危険のニュアンスを持つ言葉が、とんだ “思い込み” を招いた典型例です。私は殊のほかストレスに過敏になっていたのでしょうか?

 “ありのままを ありのままに受け容れる”

 “思い込み” を逸らすには、これしかなさそうです。身に危険が迫る類のストレスを受けると、先入観から余計感情に左右されがちです。考え方が悪い方へ悪い方へと傾きがちなので、無関係な人に濡れ衣を掛けかねません。一歩引いて冷静に、角度を変えてモノを観る。これが今回、私が得た教訓でした。

 なお、その後もS先生の家庭事情については聞いていません。悪しからず・・・。


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コメント (6)
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