ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

AAの言う “神” とは?

2017-09-29 07:20:05 | 自助会
 同病のブロガーがこんなことを書いていました。
「(AAの)“神”という言葉、概念に拒絶反応を起こす人は多い」。
私もこれには同感で、AAに参加したての頃は強い違和感がありました。

 AAは米国で生まれたアルコール依存症(アル症)者の自助グループです。国民の大多数がキリスト教という一神教を奉じる精神風土ですから、神という言葉・概念にはあまり抵抗がないと思われます。その一方で、一神教に息苦しさを感じる人もいて、AAの創始者のビルもそんな一人だったようです。

 アル症者は、大なり小なり何か事あるごとに自分にはできるはずという強い思い込みの持ち主で、自分の思い通りにならないことに我慢ならず、気を紛らわすためお酒に走った人々です。そのお酒についても、自分でコントロールできるハズと思いつつ、飲み続けた結果がどうにもならないアル症だったという体たらくなのです。

 かくも傲慢を絵に描いたようなアル症者ですから、唯一、神だけが全知全能であるとする一神教の精神世界に息苦しさを感じても不思議ではありません。神の教えに背いて罪を犯したら罰が当って地獄に落ちるのです。アル症者は飲酒に罪悪感を持ち、罪を犯している後ろめたさをいつも引き摺っています。そんな後ろめたさを引き摺っている息苦しさは推して知るべしなのです。

 こんなアル症の人々に、回復のためとは言え神の概念を持ち込むのは両刃の剣になりかねません。それでも神を持ち出さざるを得ない奇蹟か何かあるのでしょうか? 確かに飲まない生き方を送っているAAのメンバーからは、本人が奇蹟と思わずにいられなかった体験談がよく聞かれます。

 何をやってもどうにもならなかった酒がAAに繋がったことで止まった。あるいは、AAに繋がったお陰でアルコールが完全に脳から抜け、長年煩わされてきた脳のシビレ感が消え失せた、等々。私などは、これらとは別に “憑きものが落ちた” とも言うべき、物の怪のような性的妄想が綺麗さっぱり消え失せたという体験もしています。

 これらの体験の後、“楽になった” これが皆異口同音に語った言葉です。このような体験は、今まであったものが突然消えたということなので、異次元の現象即ち奇蹟と言ってもいいものでしょう。いかにも神の存在を思わずにはいられない摩訶不思議で神秘的な体験なのです。

 これら奇蹟と思われる出来事の頻発が “神” を想定した理由だったのでしょうか? 恐らく、これもその一つだったのでしょう。ここでもう一つ考えておかなければならないことがあります。ミーティングの場で得られるなんとも言えない清浄な心地よさです。

 アル症者にはアル症者でなければわからないことがあります。言いっ放し・聞きっ放しがルールのミーティングで体験談を聞いていると、時に様々な “気づき” が得られ、それがカタルシスとも呼ばれる清浄な気分にさせてくれるのです。

 “気づき” とは過去の出来事(思い出)の意味合いを悟ることですが、こんなとき神が身近にいると感じても不思議ではありません。飲酒が続いていたときでも、ミーティングに出た日だけは酒が止まったという話はこの文脈ならよく理解できます。

 私がAAに繋がって正味丸3年半が過ぎました。その間、神を彷彿させられたエピソードは上に挙げた2つしか思いつきません。

 正直に言えば、奇蹟と思われた出来事は神の奇蹟という宗教的なものではなく、実は自然治癒力の賜ではないかと私は考えています。清浄な気分になれるのも、目的意識が一致している集団ならではの、アル症者同士の共同体に特異なことかもしれません。どちらも神ナシでもあり得る話と考えています。

 私はAAの『回復のプログラム』12のステップを実行するのに神が不可欠とは考えていません。敢えて非難囂々を覚悟で言えば、窮余の策としての方便が “神” だったのではと不埒なことさえ考えています。

 AAの基本的な教えは次のような生き方の勧めと私なりに解釈しています。

― 自分でなんとかしようとする古くからの思い込み(固定観念)を
  捨て、先行きについては自然の成り行き(神)に “お任せ” し
  て生きていくこと

命運を “お任せ” する相手が大自然というのでは拍子抜けして潰しが効かないので、多くの人々に違和感のない “神” とした、私にはこう思えて仕方ありません。

 “自分なりに理解した神” という概念も、誰にでも受け容れやすいものとして担ぎ出されたものと考えています。“神” が大自然の摂理や八百万の神々であってもいいのです。(どちらも包容力ある自然崇拝という点では同じと思え、私たち日本人にはピッタリです。)

 大自然には摂理があるを信奉する私としては “ハイヤー・パワー” という言葉の方がむしろシックリするぐらいです。 いずれにしても 
“信じる者は救われる”。 誰にでも当てはまる言葉です。



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