私がAAに繋がって正味丸3年半が過ぎました。参加したての頃こそ、緊張感と好奇心から何も聞き漏らすまいと耳をそばだてていましたが、集中力が1時間も長続きするはずがありません。当時は記憶障害も酷い状態だったので、ミーティングが終わった途端、ほとんどが記憶に残っていない有様でした。
これではもったいないと、帰宅後辛うじて記憶に残っていたことをメモし始めたのが10ヵ月目からで、ミーティング中うつらうつらしている方が心に話が響くと気付けたのが2年過ぎた辺りでしょうか。今ではミーティング中は目をつむり、聞くでもなしに話を聞き流すことにしています。(実際にうたた寝していることもあります、念のため)。
まだまだ経験不足の私ですが、つくづくAAが奇特(?)と思わされたことは “言いっ放し・聞きっ放し” のミーティング・ルールです。
目をつむり聞き流すように体験談を聞いていると、時に様々な “気づき” があって自分の世界に没頭させられます。そしてなんとも言えない清浄な気分にもさせてもらえます。まどろむほどに寛いだ気分になればなるほど、却って “気づき” が深まるのも不思議です。
恐らく瞑想状態とは、こんなときのことを言うのでしょう。この時に脳波を調べてみれば、少なくともα波を、ひょっとしたらθ波をも検出できるかもしれません。α波は瞑想状態やリラックスした状態で、θ波は深い瞑想状態やまどろみの状態で、それぞれ検出される脳波だそうです。
もしAAに “言いっ放し 聞きっ放し” のルールがなかったら、こんなに盛んな集会となることはなかったでしょうし、他の依存症にも自助グループが派生するなどなかっただろうと思います。そう考えるに至ったのは次のような経験があったからです。
以前、専門クリニックの教育プログラムで、一度だけ質問・コメント有りのミーティングに出たことがあります。教育プログラムでも具体的テーマ設定があって、いつもは “言いっ放し 聞きっ放し” のルールで患者に簡単な酒害体験を語らせるのですが、その時に限って相談員の司会者だけに質問・コメント可としたのです。
司会者と話し手のやり取りを聞いていると、その場の空気がどうしても普段と違って行きました。どうやら聞き手側の気が散っていたようなのです。
私などは、好奇心から質疑応答の方に気を取られ、自分の酒害体験の掘り起こしが疎かになりました。聞いたばかりの話についても質疑応答分だけ印象が薄まっていきました。そんな散漫な気分に加え、私自身も質問に備えて多少身構えたところがあったようです。このことは他の出席者も似たり寄ったりで、ミーティング後の顔つきでそれとわかりました。結局、集中力散漫となった分だけ何とも味気ないミーティングだったと記憶しています。
話し手の立場からすれば、たとえ質問・コメント有りでも気持ちの持ち様はほとんど変わりません。質問に備える必要のないAAでも、聞き手を目の前にして話すという点では同じで、独り言とは全く違う外向けの論理立てに気を使わねばならないのです。
こう考えてみると、“言いっ放し 聞きっ放し” の要であるのは、どちらかと言えば “聞きっ放し” の方ということになります。どうやらミーティング中余計なことを考えずに自分の世界に没頭できるのは “聞きっ放し” のお陰のようなのです。
ミーティングでうつらうつらするのも瞑想状態に入っていた証でしょうか、単なるうたた寝ではなかったのだと自分勝手にこじつけし、意を強くしている私です。
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これではもったいないと、帰宅後辛うじて記憶に残っていたことをメモし始めたのが10ヵ月目からで、ミーティング中うつらうつらしている方が心に話が響くと気付けたのが2年過ぎた辺りでしょうか。今ではミーティング中は目をつむり、聞くでもなしに話を聞き流すことにしています。(実際にうたた寝していることもあります、念のため)。
まだまだ経験不足の私ですが、つくづくAAが奇特(?)と思わされたことは “言いっ放し・聞きっ放し” のミーティング・ルールです。
目をつむり聞き流すように体験談を聞いていると、時に様々な “気づき” があって自分の世界に没頭させられます。そしてなんとも言えない清浄な気分にもさせてもらえます。まどろむほどに寛いだ気分になればなるほど、却って “気づき” が深まるのも不思議です。
恐らく瞑想状態とは、こんなときのことを言うのでしょう。この時に脳波を調べてみれば、少なくともα波を、ひょっとしたらθ波をも検出できるかもしれません。α波は瞑想状態やリラックスした状態で、θ波は深い瞑想状態やまどろみの状態で、それぞれ検出される脳波だそうです。
もしAAに “言いっ放し 聞きっ放し” のルールがなかったら、こんなに盛んな集会となることはなかったでしょうし、他の依存症にも自助グループが派生するなどなかっただろうと思います。そう考えるに至ったのは次のような経験があったからです。
以前、専門クリニックの教育プログラムで、一度だけ質問・コメント有りのミーティングに出たことがあります。教育プログラムでも具体的テーマ設定があって、いつもは “言いっ放し 聞きっ放し” のルールで患者に簡単な酒害体験を語らせるのですが、その時に限って相談員の司会者だけに質問・コメント可としたのです。
司会者と話し手のやり取りを聞いていると、その場の空気がどうしても普段と違って行きました。どうやら聞き手側の気が散っていたようなのです。
私などは、好奇心から質疑応答の方に気を取られ、自分の酒害体験の掘り起こしが疎かになりました。聞いたばかりの話についても質疑応答分だけ印象が薄まっていきました。そんな散漫な気分に加え、私自身も質問に備えて多少身構えたところがあったようです。このことは他の出席者も似たり寄ったりで、ミーティング後の顔つきでそれとわかりました。結局、集中力散漫となった分だけ何とも味気ないミーティングだったと記憶しています。
話し手の立場からすれば、たとえ質問・コメント有りでも気持ちの持ち様はほとんど変わりません。質問に備える必要のないAAでも、聞き手を目の前にして話すという点では同じで、独り言とは全く違う外向けの論理立てに気を使わねばならないのです。
こう考えてみると、“言いっ放し 聞きっ放し” の要であるのは、どちらかと言えば “聞きっ放し” の方ということになります。どうやらミーティング中余計なことを考えずに自分の世界に没頭できるのは “聞きっ放し” のお陰のようなのです。
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