『12のステップ』は、創始者2人の初対面での体験とその後の経験の積み重ねから導き出された経験則で、強いて言うなら帰納法的教義(?)に当たると考えています。私が思うに、彼らの勧める方法は認知行動療法 “言語化” が基本であり、内観療法にも通じるものがあるようです。
前週に続いて、この『12のステップ』を改めて取り上げてみようと思います。今回はステップ4~9について述べてみます。(『12のステップ』についてはこちらをご参照ください。)
ステップ4~7は、まさしく “言語化” の実践について述べた部分と思います。
本来、“言語化” はたった一人でやる孤独な作業です。ともすれば独り言と同じ堂々巡りの循環思考に陥りがちで、自己嫌悪から途中で止めるか自己満足だけで終わってしまう可能性が大なのです。
そんな独り相撲にならないよう、ステップ5では証人として第三者の設定を義務付けています。その記述はこうなっています。
「神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。」
このようにわざわざ第三者を証人に設定するやり方はアングロサクソン特有の流儀なのでしょう。成果の客観性を担保できるよう釘を刺していると読めます。第三者が証人となるとなれば生半可な覚悟でできるはずがありません。
AAではスポンサー・シップを勧めています。スポンサーには断酒歴の長いメンバーが望ましいとされ、何かと指導してもらうことになります。通常、このスポンサーが『12のステップ』を指導して証人にもなるようですが、私は証人代わりにブログへの投稿を選びました。
ステップ8~9は、自分の酒害で被害を被った人々への埋め合わせを勧めた部分です。少し見方を変えてみると、この部分は自分自身の回復の程度を検証できる方法とも読めます。
自分の偏った考え方が最も露骨だったのは飲酒時代のはずですが、その被害を身をもって体験させられた人々なら、どの程度自分が回復しているのかも判断できるはずなのです。特にその被害者が家族なら、下手に埋め合わせを急いだりしたら却って逆効果になりかねません。埋め合わせをするにも半端な気持ちではできないということです。そんな意味合いも込められていると読み取れます。
「精神科医なら皆が皆、患者の目力や言動から回復を診断できる」と自信たっぷりに語った専門クリニックの医師の言葉が思い出されます。アルコールが脳から抜け切ったと実感した頃から、何とかして回復を確認したいと躍起になるものですが、回復したと判断できるのは周りの人たちで、決してアルコール依存症(アル症)の本人ではないのです。
次のステップ10にはこうあります。
「自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。」
ここは、酒害を重ねた過去の清算を一先ず終えた後も “言語化” の実践を不断に続けるよう勧めた部分と読めます。自分の言動を日々振り返るようでなければ、慢心からいつ元の木阿弥にならないとも限りません。そうならないために自戒を続けよという解釈です。常日頃、“言語化” に励んでいれば、他者への思い遣りも自然に生まれて来るものだと言外に諭しているとも読めてきます。
以上、ステップ4~10を概観してみましたが、“言語化” を実践する際の手順と言い、証人の設定と言い、回復の検証方法と言い、実に合理的で科学的な方法だと感心させられました。これらのステップの実践を通じて、大勢のアル症者が回復したというのも頷けます。
回復者が必ずしも100%でないことから、科学の肝である再現性が担保されていないと主張する人も中にはいますが、生物統計に付きもののバラツキを考慮すれば、これらのステップは科学的と断じて何ら問題ないと考えています。
次の記事もご参照ください。
「回復へ―アル中の前頭葉を醒まさせる」(2015.6.05投稿)
「人生の “棚卸し” は個人史年表の作成を第一に!」(2016.9.23投稿)
「ヒゲジイ流 “言語化” の流儀」(2017.6.16投稿)
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
↓ ↓
前週に続いて、この『12のステップ』を改めて取り上げてみようと思います。今回はステップ4~9について述べてみます。(『12のステップ』についてはこちらをご参照ください。)
ステップ4~7は、まさしく “言語化” の実践について述べた部分と思います。
本来、“言語化” はたった一人でやる孤独な作業です。ともすれば独り言と同じ堂々巡りの循環思考に陥りがちで、自己嫌悪から途中で止めるか自己満足だけで終わってしまう可能性が大なのです。
そんな独り相撲にならないよう、ステップ5では証人として第三者の設定を義務付けています。その記述はこうなっています。
「神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。」
このようにわざわざ第三者を証人に設定するやり方はアングロサクソン特有の流儀なのでしょう。成果の客観性を担保できるよう釘を刺していると読めます。第三者が証人となるとなれば生半可な覚悟でできるはずがありません。
AAではスポンサー・シップを勧めています。スポンサーには断酒歴の長いメンバーが望ましいとされ、何かと指導してもらうことになります。通常、このスポンサーが『12のステップ』を指導して証人にもなるようですが、私は証人代わりにブログへの投稿を選びました。
ステップ8~9は、自分の酒害で被害を被った人々への埋め合わせを勧めた部分です。少し見方を変えてみると、この部分は自分自身の回復の程度を検証できる方法とも読めます。
自分の偏った考え方が最も露骨だったのは飲酒時代のはずですが、その被害を身をもって体験させられた人々なら、どの程度自分が回復しているのかも判断できるはずなのです。特にその被害者が家族なら、下手に埋め合わせを急いだりしたら却って逆効果になりかねません。埋め合わせをするにも半端な気持ちではできないということです。そんな意味合いも込められていると読み取れます。
「精神科医なら皆が皆、患者の目力や言動から回復を診断できる」と自信たっぷりに語った専門クリニックの医師の言葉が思い出されます。アルコールが脳から抜け切ったと実感した頃から、何とかして回復を確認したいと躍起になるものですが、回復したと判断できるのは周りの人たちで、決してアルコール依存症(アル症)の本人ではないのです。
次のステップ10にはこうあります。
「自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。」
ここは、酒害を重ねた過去の清算を一先ず終えた後も “言語化” の実践を不断に続けるよう勧めた部分と読めます。自分の言動を日々振り返るようでなければ、慢心からいつ元の木阿弥にならないとも限りません。そうならないために自戒を続けよという解釈です。常日頃、“言語化” に励んでいれば、他者への思い遣りも自然に生まれて来るものだと言外に諭しているとも読めてきます。
以上、ステップ4~10を概観してみましたが、“言語化” を実践する際の手順と言い、証人の設定と言い、回復の検証方法と言い、実に合理的で科学的な方法だと感心させられました。これらのステップの実践を通じて、大勢のアル症者が回復したというのも頷けます。
回復者が必ずしも100%でないことから、科学の肝である再現性が担保されていないと主張する人も中にはいますが、生物統計に付きもののバラツキを考慮すれば、これらのステップは科学的と断じて何ら問題ないと考えています。
次の記事もご参照ください。
「回復へ―アル中の前頭葉を醒まさせる」(2015.6.05投稿)
「人生の “棚卸し” は個人史年表の作成を第一に!」(2016.9.23投稿)
「ヒゲジイ流 “言語化” の流儀」(2017.6.16投稿)
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
↓ ↓