ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

亡き姉を偲んで

2018-02-16 06:16:54 | 自分史
 最近の私は認知症について色々考えさせられています。孤立感に囚われれば認知症になりやすいと聞いたことから、先日ふと思い出してしまったのが姉からの最後の電話でした。姉が亡くなる2ヵ月半前の夜のことで、老人ホームに入所してから2~3ヵ月経っていました。

 姉の話はひそひそ話のような話し方で、言葉も途切れ途切れだったのでよく聞き取れませんでしたが・・・。
「殺し屋って今でもいるの? どうやら(私は)殺し屋に狙われているようで、・・・」のっけから可笑しな事を聞いてきました。
「寝ていて何か(人?)の気配がして起きてみると、・・・皆(静かに)寝ているし・・・」

 金縛りにあったような感覚かと聞いても、どうもそうではなさそうでした。レム睡眠時の夢ならば、金縛りになった感覚に襲われることがあり得ると聞いていたので質問してみたのです。

「怖くなって今日、一時帰宅してみたけど、・・・ホームのスタッフが私を変だと言っているのが聞こえたし、・・・」とも言っていました。それは幻視・幻聴ではないかと話してみても、
「皆そう言って、誰も私の言うことを信じてくれない」と言うだけでした。

 ここまでの会話で明らかだったことは、姉に幻視・幻聴による被害妄想が現われていたことでした。幻視・幻聴は統合失調症の代名詞みたいなものですが、高齢になってからの発病など聞いたことがありません。結局、姉は認知症と診断されました。

 認知症と言えば、記憶障害(食事をしたことさえも忘れるetc.)や見当識障害(今日の日付がわからない、顔を見ても相手が誰かわからないetc.)、徘徊などの問題行動が有名ですが、姉のお陰で幻視・幻聴による妄想もあることを知りました。

 恐らく姉は、孤立感でいたたまれなかったのでしょう。自分で決めたこととは言え、老人ホームへの入所は決して姉の本意ではなかったはずです。姉から度々相談を受けていた私としては、姉の決断を後押ししたことに少なからず負い目を感じています。

 持病のパーキンソン病が進行して、専門職の介護なしでは最早暮らしていけないと自覚したことが決め手だったのでしょうが、なかなか結婚できない息子が気楽に独り立ちできるようにと打って出た勝負手でもあったのかもしれません。相談を受ける度、私も甥の一人暮らしを姉に勧めていましたし、老人ホームへの入所にも賛成しました。そうでなければ気丈な姉が、自分で建てた家を離れてまでして赤の他人に身を委ねるなんてあり得ないことなのです。

 そんな後ろ髪を引かれての老人ホームですから、なかなか馴染めないことと孤立感から夜も眠られなくなったのでしょう。不眠の行き着く先が幻視・幻聴で、これが恐怖感を煽ってさらに悪化へ・・・よくある経過を辿ったのだと想像できます。ここに至るまでの間に何か善処できなかったのかが悔やまれます。

 この電話があってから一週間後、姉は精神病院に入院となり、さらに2週間も経たずに呂律が回らなくなって食事もできなくなったそうです。その後の1ヵ月少々で、意識がなくなっての危篤状態となりました。意識がまだしっかりしていた内は、「このままでは死ねない!」としきりに言っていたそうです。

「私からこういう電話があったこと、絶対に覚えて置いてよ!」今でも、姉が最後に言ったこの言葉が強く耳に残っています。事があったら私に証人となるよう求めての言葉だったと思います。周りへの不信感から切羽詰っての電話だったのでしょう。それだけに哀れさが身に染みます。

 昨日15日が姉の月命日でした。私の独りよがりかもしれませんが、姉との約束を果たす意味でも丁度よい供養になると思い、こんな記事を書いてみました。



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コメント (6)
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