ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

アルコール依存症へ辿った道筋(その26)奇妙な同行二人?

2015-04-24 20:15:02 | 自分史
 入社が3年先輩のYoさんは大学の同窓ですが、頗る人物評の悪い人でした。メガネを掛けエラの張った、見るからにガリ勉タイプの風貌をしていました。

 入社して2年間研究所で製剤研究業務に携わった後、国際関係部署に移って自社開発治療薬2号品Mの海外展開プロジェクトに加わり、そのまま海外勤務となった経歴の持ち主です。その間、統一前の西ドイツに臨床開発連絡事務所を開設したぐらいで特に目立った業績はない、というのが社員間の一致した見方でした。しかし、是非とも海外展開を図りたい社長の目から見たら、海外経験のあるお気に入りの使える人物であったわけです。

 社長臨席の御前会議では、聞き取れないぐらいの声で淡々と意見を述べるだけでした。それが、我々社員だけの場になると、机上の空論としか思えない理屈を捏ね出し、話しているうちに自説に酔って次第に興奮して来るという性癖を持っていました。空想小説ばりの自説を滔々と述べ、他人の意見を全く聞かないのです。

 社長のお気に入りということが事態を一層始末の悪いものにしていました。社員の中には彼を演技性(劇場型)人格障害者とレッテルを貼った人もいました。この年の春に転勤で去ったN先輩が以前から最も嫌っていた人物でした。

 一緒に仕事をしてみないと人物というのは分かりません。それまで私は彼と一緒に仕事をした経験はありませんでした。ただ、入社して2週間ほど社員寮の3人部屋で相部屋生活をしたことはありました。
「この会社はオーナー社長のワンマン経営だから、偉くならなきゃ何もできない会社だよ」 この言葉が印象に残ったぐらいで、それだけの関係でした。ですから社内の風評とは別で、特別変わった印象を持っていませんでした。
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 那智に行こうと思っていると会社で同僚に話していると、それを聞きつけてYoさんの方から一緒に行こうと言って来ました。後方支援部隊のトップになる話をまだ知らなかったのと、別段断る理由もなかったので同行することにしました。

 那智駅からは当然徒歩行を予定していました。当時はまだ和歌山・新宮行の夜行の普通電車がありました。拝観指定時間も考慮するとこの夜行列車で行くのが最善で、他に選択肢がありませんでした。そんな事情に加え実は夜行列車で久々の旅情に浸りたかったのが本音でした。大学時代に夜行快速電車と普通電車を乗り継いで東京駅から奈良駅まで行ったことがあったのです。もちろん貧乏学生ゆえの節約のためです。

 勤労感謝の日の前夜、夜11時過ぎに新大阪駅発のその電車に乗りました。座席は4人掛けのボックス席でした。途中の天王寺駅から和歌山駅間は快速区間で、最終の快速電車ということから朝の通勤ラッシュ並みの混み方でした。和歌山駅で乗客の大半が降りて行きました。それでも御坊までは和歌山からの乗車組も含め結構乗客がいましたが、御坊から先はほとんど私たちだけの貸切り状態でした。

 私は新大阪の始発時から缶ビールを飲み始めていました。和歌山駅からは向いの座席に脚を伸ばし、御坊を過ぎたらいつの間にか眠っていました。まだ暗い5時前、目覚めたときには終点の新宮駅に着いていました。乗り過ごしでした。那智に引き返す一番電車は5時少し過ぎだったでしょうか、5時半前にやっと那智駅に降り立つことができました。外はまだ真っ暗でした。

 那智駅から一番札所の青岸渡寺(熊野那智大社)までは10km余の行程です。那智川に沿った緩やかな上り道を歩いて行きました。那智川は小川に毛の生えた程度の川幅の狭い川です。’11年8月の台風12号による紀伊半島豪雨で氾濫し、山あいにある途中の井関地区や市野々地区で人的被害が出ることになるとは信じがたい穏やかな川でした。

 残り3~4km手前から大門坂という、両側に杉の巨木が並んだ熊野古道の石段を登ることが出来ます。当然、大門坂を選びました。大門坂を抜け、土産物屋の並ぶ狭い急な石段を登り抜けたところに左に熊野那智大社、右に青岸渡寺が同じ敷地内にありました。

 駅から歩き始めてこの方、次第に頭の中が真っ白になって余計なことを考えなくなっていました。Yoさんも同じだったろうと思います。黙々と歩くだけの2時間半ほどの行程を私の言う通りに素直に従ってくれました。

 境内に着いたのは早朝の8時前でした。肌着にビッショリ汗が染みこんで、Yoさんは早速着替えをしていました。準備に抜かりのない人だと感心したものです。私は着替えを準備してなかったので、タオルで額と首筋と背中を少し拭くだけでした。汗を吸った下着が背中にベッタリ貼りつくのが気持ち悪く、やがて濡れた汗の冷たさで寒ささえ感じました。それでも、気分は言いようのない達成感で満たされていました。

 人影がまばらな境内から遠くに見える白い那智の滝は、手前の三重塔の朱色と背景の杉(檜?)木立の緑が好対照となって荘厳な絵画そのものでした。遠く離れた滝からかすかな轟が聞こえていました。境内から見渡す滝の眺望と静寂な雰囲気にすっかり魅せられてしまいました。Yoさんもさすがに感動していました。

 私は、まず西国三十三ヵ所霊場納経帳を買い、納経帳に付いている般若心経を唱えて拝礼しました。納経帳に朱印をいただき、ついでの勢いで杖も買ってしまいました。

 願い事は“家内安全”とCa拮抗薬Pの早期承認、それと“無病息災”としました。別居生活が5年目となっていて、崩壊してしまった家族を再び元に戻して一緒に生活するのが望でした。ただし、アルコール依存症なのに“無病息災”はどう考えても無理筋ですが・・・。

 ただゝゞ参詣することだけをめざし、脚を棒のようにして歩く動と、一転して般若心経を一心に唱える静の対照の妙が堪りませんでした。ぜひとも巡礼はやり遂げなければならないと思ったものです。

 那智の滝は、落差133m一段の滝としては日本一で、熊野那智大社の別宮の御神体だそうです。杉(檜?)の巨木が並んだ石段の参道を滝壺まで下って、水しぶきを降らす滝を間近に見物した後、帰りはバスで紀伊勝浦駅に向かいました。

 勝浦では魚市場近くの食堂がすでに開いていて、まだ午前中なのも構わず本場のマグロの刺身を肴に早速ビールにしました。ビンチョウマグロだったので本場のマグロにしては期待外れでしたが、寝不足と歩き疲れで心地よい酔いでした。何ら警戒心もなく問われるままに社員の人物評まで話してしまいました。Yoさんは特に異論をはさむでもなく、時に相槌をうち、上機嫌で耳を傾けているようでした。

 そのまま何事もなくひと時が過ぎ、昼ごろの特急電車で帰路につきました。電車内では座ると直ぐに爆睡です。気が付くと私は終点の新大阪駅に一人で着いており、酔って夢うつつのボンヤリとした頭のままでホームに降り立ちました。まだ明るさの残る夕方でした。

 ワンルームの自宅に着いて再びビールを口にし、せっかく買った杖がなくなっていることに初めて気が付きました。これもいつも通り、またまた後の祭りです。一日中Yoさんと行動を共にしてみて、社内の芳しくない風評は一体何なのだろうと不思議に思ったものでした。


 年の瀬の12月に入って、二番札所の紀三井寺、三番札所の粉河寺、四番札所の槙尾寺まで一日で一気に巡ることができました。

 大阪泉州の槙尾寺には拝観指定時間の締切が迫っていため、和泉府中駅から寺の麓まで渋々タクシーを利用しました。槙尾寺は、境内に入ると急な登りで狭い山道の参道しかなく、30分ほど歩く以外に手段のない唯一の札所です。他の札所にはどこかに車の通れる参道があるのですが、ここだけは日頃の脚力が問われます。もちろん汗ビッショリになるので着替えのためのシャツも必要です。槙尾寺からの帰りはバスを利用しました。槙尾寺は最寄りの和泉府中駅から14~15kmもあるのです。

 その後、西国三十三ヵ所巡礼は番外札所も含め36ヵ所の全札所を3回巡ることになりました。すべて最寄りの鉄道の駅から歩いて寺に向かい、寺からの帰りも原則駅まで歩きました。その中でも槙尾寺が最も長い行程だったと思います。

 4巡目も始めたのですが、狭心症を発病してしまい、山道の登りを続けるのは危険と判断して20番札所の京都西山・善峰寺までで中止しました。4巡目は、4番札所から20番札所までの全行程を寺から寺へ歩きで繋いでいたので残念で堪りません。古道地図を頼りに一日最長で40mkぐらいを平気で歩いていましたから・・・。

 今になって考えてみると、西国三十三ヵ所巡礼に夢中になったのは、始めたら止められないというアルコール依存症に特有の行動パターンだったのかもしれません。


アルコール依存症へ辿った道筋(その27)につづく


参考)西国三十三ヵ所巡礼のURL:http://fishaqua.gozaru.jp/temple/saikokutemple.htm
   西国三十三所古道地図のURL:http://www.saigokuws.com/chizu.html


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1 コメント

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読者の皆様へ (ヒゲジイ)
2015-04-24 20:46:07
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
休日に酒浸りにならないようにしたい。それと家族バラバラにまでなった不吉な厄を払いたい。その一心で日本最古の歴史をもつ観音巡礼を始めました。長い距離をひたすら歩く、これがアルコール依存症の進行をある程度止めてくれたことは確かだと思っています。即効ではなかったものの、ご利益は心の落ち着きとなって少しずつじんわりと現れてくれました。
ありがとうございました。
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