ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

アルコール依存症へ辿った道筋(その25)厄の火の粉は祓わにゃならぬ~♪

2015-04-17 06:47:44 | 自分史
 再飲酒してしまってからも隔週の日曜日にあった表装の受講を続けていました。講習は昼過ぎの時間帯にありました。午後の時間帯は深酒した場合にアルコールが切れてくる時間帯です。

 表装の表・裏生地の切り取りには力と神経を使います。定規を添えてカッターナイフで力を込め生地を切り取る際に、いつの頃からか手指の震えで上手く出来ないことがよく起きるようになりました。緊張すると余計に力が入り、それで震えが益々酷くなるのです。明らかに振戦でした。掌もじっとりと汗ばんでいたと思います。

 さすがに周りの誰かに気付かれはしないかと気になり始めました。そのうち表装すべき肝腎の書の作品が調達できなくなり、(いい口実が出来たと)秋口になって仕方なく(?)受講を辞めることにしたのです。グレープフルーツ・ジュースとの交互作用の指示事項回答を提出した頃のことです。1年10ヵ月の講習で仕上げた作品は仮表装1本と本表装4本でした。

 飲酒再開後にこのようにはっきりと振戦の顕在化を自覚するようになって、休日ことに土曜日には必ず外出しないと危ないと考えるようになりました。

 幸いなことに週日の勤務時間内ではまだ振戦を自覚しないですんでいました。連休明けの月曜日は仕事リズムに戻るのが遅いと感じてはいましたが、仕事に何ら支障はありませんでした。翌日の出勤を意識して日曜日には深酒を自重していたのです。

 ところが、出勤がない連休初日の土曜日は最も気が緩みがちで、昼食時からビールが始まり酒量が多くなっていました。表装の受講は深酒後の連休二日目にあたり、前日の過ごし方が振戦の原因だろうと気が付いたのです。

 とにかく外出しなければいけないということを口実(?)に、夏になると有給休暇を採ってまでもせっせと高校野球を観戦に甲子園球場に通いました。

 以前、甲子園球場の近くに住んでいたこともあり、夏の休日には無料で自由に出入りできる外野席にちょくちょく行っていました。仕事が忙しくなって暫く行けない時期がありましたが、家族と別居するようになって野球観戦を再開したのです。

 ウグイス嬢の場内アナウンスの響き、大観衆の耳を聾するばかりの歓声、球場内を包むムワッとした熱気、これら全てが快く、私の夏のお気に入りでした。

 8月上旬の朝は午前5時前にはすっかり明るくなっています。球場の開門が7時なので、5時半には家を出て50分ほど歩いて球場に向かいました。

 球場前の国道43号線高架下で入場券発売まで30分以上列を作って待ち、7時に入場券を買い、7号門から一斉に入場して一目散に走り、銀傘下バックネット裏のNHK放送席近くに陣取りました。ファールボールが飛んで来ることは決してなく、直射日光に曝されることもない特等席です。

 第一試合開始の8時半までには持参したビールで出来上がってしまい、第二試合の途中からは酔いと暑気で意識が朦朧のままに居眠りタイム、第三試合から再びお目覚め観戦というのがお決まりのコースでした。

 ビールをさらに補給しながら、つい第四試合までお付き合いしてしまった帰り道、急な排泄欲求に堪えきれなくなって敢無く粗相してしまったのもこの時期だったと思います。公園の水道で応急処置をし、下半身を濡れた下着のパンツ一枚だけになり、暗がりを選んで歩いて帰るハメになったことがありました。それでも球場で消費するビールの量は控えめで、夏の暑い日中に酒浸りで部屋に引き籠っているよりはマシでした。


 西国三十三ヵ所観音巡礼は御利益があるという話は以前から聞いてはいました。近畿地方がその舞台で、四国八十八ヵ所遍路に匹敵する行程距離を誇り、平安朝時代から続く歴史ある古寺巡礼コースです。

 巡礼成果の朱印の掛け軸が話の発端だったでしょうか、表装の受講生に朱印を掛け軸にしようとする人がいました。その人から巡礼行の具体的な自慢話を聞いたのだと思います。受講生はほとんど50歳代以上の方々で、共に関心のある話でした。

 私は46歳となっていたので厄年は明けていましたが、まだまだ厄が取り憑いている気分が残ったままでした。西国三十三ヵ所観音巡礼はどの番号の札所から始めてもいいと聞きました。でもやっぱり一番札所から始めるのが自分にピッタリのやり方と思えました。ガイドブックを買って一番札所が日本一の滝で有名な那智の青岸渡寺であることを確かめ、秋になったら厄払いを始めようかと考えていました。

 秋になって、どこかで土門拳の室生寺五重塔の写真を見たのでしょう、西国三十三ヵ所観音巡礼の前にまず奈良の室生寺を訪れてみようと思い立ちました。土門拳は当時すでに鬼籍に入った人でしたが、室生寺を題材とした作品集『古寺巡礼』は有名でした。

 室生寺までは近鉄室生口大野駅から歩いて約2時間半、8km余の山道のハイキングコースです。杉か檜かは覚えていませんが、薄暗い木立の中を辿る石ころだらけのコースで東海自然歩道の一部になっていました。鬱蒼とした木立の登り道を抜けきったところが峠の頂上になっていて、突然開けた眼下に山あいの室生の里が見えました。暗い鬱陶しさから明るく解き放たれた気分でした。

 下りの桑畑の間を抜けると寺の前に着きます。短い太鼓橋を渡って仁王門から室生寺の境内に入ると、広くはないうねうねした上りの参道の左右交互にお堂が配置され、登りきった所に五重塔があります。いかにも山寺らしい伽藍です。

 弥勒堂、金堂、権現堂に安置されている仏像はどれも国宝や重要文化財(重文)で、特に金堂に祀られている中尊釈迦如来立像(国宝)、十一面観音像(国宝)、地蔵菩薩立像(重文)、薬師如来立像(重文)、文殊菩薩立像(重文)、十二神将像(重文)が群立している様には圧倒されました。

 十二神将像以外の仏像は、かなり名の通ったお寺であっても、それぞれが本尊として安置されていても不思議ではないぐらいで、むしろその方が普通のように思えます。また、博物館では一体々々が独立して展示されるのが当たり前です。

 そのような展示を見慣れた眼には、狭いところに密集して無造作に並べられているとしか見えない金堂の仏像群に違和感がありました。京都の三十三間堂もここ以上に夥しい仏像群が安置されていますが、三十三間堂ではどれもが観音像で秩序が感じられるのです。

 金堂からさらに石段を登り奥まったところに五重塔が建っています。五重塔は小柄で華奢な女性を彷彿させる瀟洒な造りでした。塔の姿とたたずまいが女人高野と呼ばれる所以とも思えました。

 周りを檜の巨木に囲まれ、柱や梁の朱と庇や壁の漆喰の白とが檜の緑に映えて色彩的にも唸らせるものがあります。土門拳の作品は五重塔の静かで優美なたたずまいをよく伝えていると感心しました。

 ’98年の台風で檜の巨木が倒れ塔左側の庇屋根が潰されました。支柱で補強されてはいましたが、それでも塔自身は倒壊などしていませんでした。私が最初に訪れたのは台風の前年でしたが、台風の翌年にも訪れていて台風被害を目の当たりにしていたのです。

 室生寺からの帰りも徒歩行としました。その日は往復で17~18kmぐらい歩いたでしょうか。駅に着くなり缶ビールを買い求め、電車の中でも構わず飲んで古寺巡礼の心地よい疲労感を楽しんでいました。室生寺を訪れて古寺巡礼の味を占め、いよいよ那智行きを決めたのです。


アルコール依存症へ辿った道筋(その26)につづく


参考)室生寺HPのURL:http://www.murouji.or.jp/


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1 コメント

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読者の皆様へ (ヒゲジイ)
2015-04-16 21:07:59
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
禁酒を破り再飲酒した報いで、振戦が隠しようのない程になりました。原因が深酒にあると睨んで休日昼の外出を励行することにしましたが、一定の効果があったと考えています。
ついでながら、現在甲子園球場はビン類カン類の持ち込みは禁止されています。それと観客席は全面禁煙です。ご参考までに。
ありがとうございました。
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