AAはアルコール依存症(アル症)者の共同体で、創始者ビルとボブ二人だけのミーティングから始まりました。彼ら創始者の勧める行動指針と考え方は次の言葉に要約されていると私は考えています。
「私たちは、自分がいつもどんなふうだったか、そして何が起こって、いまどうなっているのか、おおよそのところをはっきりさせる。・・・(中略)・・・
自分の古い考え方にしがみつこうとしている仲間もいたが、完全にその考えを捨てないうちは結果は何も生まれなかった。・・・(中略)・・・
ここに一つどんな力でも持っているものがある。それは神である。・・・(中略)・・・私たちは思い切って神に保護と配慮を願った。」(『アルコホーリック・アノニマス』第5章より。下線部筆者)
まず、二番目の一文の解釈から始めます。この一文がAAの勧める飲まない生き方の前提条件だろう、というのが私なりの解釈です。
当初、“自分の古い考え方” とは潜在意識に根ざした考え方では(?)と薄々察してはいたのですが、具体的に何を意味しているのかわかりませんでした。助け船を出してくれたのは専門クリニックの主治医の言葉 “認知のゆがみ” でした。そして、“認知のゆがみ” による典型的な考え方が、何かにつけ “(自分は / で)~(で / し)なければならない” とする思い込みだと知ったのです。思い込み、即ち固定観念のことです。アル症者は大なり小なりこの “認知のゆがみ” を抱えている人々です。
“自分の古い考え方” を知るには、過去から現在に至る自分の思考パターンを知ること以外他に手段がありません。その手っ取り早い方法が自分の酒害体験を語ることであり、自分史を綴ることだとは容易に理解できます。最初の一文はこのことを言っているに過ぎません。
かつて勉強のできる子だった私には、「自分は何でもできるハズだから、自分でなんとかしなければならない」という思考パターンが今でも染みついています。この思考パターンでは、どうしても自由な発想が縛られて選択肢の乏しい窮屈な考え方になりがちです。こんな考え方でいると、解決すべき課題が増えるばかりで身動きできなくなるのも当然なのです。主治医のお陰でそのことに思い当たりました。
AAの言う “自分の古い考え方” が “(自分は / で)~(で / し)なければならない” という思考パターン即ち “認知のゆがみ” だと解釈すると、回復への第一歩はそれを捨て去ることから始まることになります。固定観念に囚われさえしなければ自由な発想で選択肢の多い生き方も自然にできるようになる、そういうふうに解釈できるのです。
後半に出て来るのが固定観念に囚われないためにはどうするかです。ここでは “神” が出て来ますが、自分の将来はすべて自分の意のままにしなければ・・・と執着する代わりに、自然の成り行き(神)に “お任せ” するという緩くて気楽な生き方を勧めていると解釈できます。どうなるかわからないのが将来です。そんなわからないことをクヨクヨ悩むのは “下手な考え 休むに似たり” なのです。
“認知のゆがみ” は長年色眼鏡を通して培われた見方・考え方です。極端に言えば幻想に囚われている状態とも言えます。幻想から抜け出すには色眼鏡を外せばいいだけの話なのですが、偏った見方・考え方を矯正するのはそう簡単ではありません。ともすれば “なんとかして・・・を直さなければならない” となりがちですが、無理に矯正しようとすると元の木阿弥になりかねないのです。
それではどうするか? ことがある度また色眼鏡で見ているのでは(?)と自覚してさえいればそれで十分。「♪ ケセラセラ~、なるよ~うになる~」と気楽でいればそれでいい。これだけで自然に変われるはず。やっと、こう考えるに至りました。
AAには “神” に祈願する言葉があります。願い事は次の3つからなります。
● 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
● 変えられるものは変えてゆく勇気を
● そして、2つのものを見わける賢さを
これらの言葉はお祈りの体裁をとっていますが、無理にしなくて済むよううまく配慮した言葉になっています。AAでは、これら3つをアル症者の目指すべき達成目標としているようです。
私はこの言葉の意味に気づくまで3年掛かりました。ちなみに私は、この言葉とは別に “ありのままの事実を ありのままに受け止める” を1日1回念ずるようにしています。
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「私たちは、自分がいつもどんなふうだったか、そして何が起こって、いまどうなっているのか、おおよそのところをはっきりさせる。・・・(中略)・・・
自分の古い考え方にしがみつこうとしている仲間もいたが、完全にその考えを捨てないうちは結果は何も生まれなかった。・・・(中略)・・・
ここに一つどんな力でも持っているものがある。それは神である。・・・(中略)・・・私たちは思い切って神に保護と配慮を願った。」(『アルコホーリック・アノニマス』第5章より。下線部筆者)
まず、二番目の一文の解釈から始めます。この一文がAAの勧める飲まない生き方の前提条件だろう、というのが私なりの解釈です。
当初、“自分の古い考え方” とは潜在意識に根ざした考え方では(?)と薄々察してはいたのですが、具体的に何を意味しているのかわかりませんでした。助け船を出してくれたのは専門クリニックの主治医の言葉 “認知のゆがみ” でした。そして、“認知のゆがみ” による典型的な考え方が、何かにつけ “(自分は / で)~(で / し)なければならない” とする思い込みだと知ったのです。思い込み、即ち固定観念のことです。アル症者は大なり小なりこの “認知のゆがみ” を抱えている人々です。
“自分の古い考え方” を知るには、過去から現在に至る自分の思考パターンを知ること以外他に手段がありません。その手っ取り早い方法が自分の酒害体験を語ることであり、自分史を綴ることだとは容易に理解できます。最初の一文はこのことを言っているに過ぎません。
かつて勉強のできる子だった私には、「自分は何でもできるハズだから、自分でなんとかしなければならない」という思考パターンが今でも染みついています。この思考パターンでは、どうしても自由な発想が縛られて選択肢の乏しい窮屈な考え方になりがちです。こんな考え方でいると、解決すべき課題が増えるばかりで身動きできなくなるのも当然なのです。主治医のお陰でそのことに思い当たりました。
AAの言う “自分の古い考え方” が “(自分は / で)~(で / し)なければならない” という思考パターン即ち “認知のゆがみ” だと解釈すると、回復への第一歩はそれを捨て去ることから始まることになります。固定観念に囚われさえしなければ自由な発想で選択肢の多い生き方も自然にできるようになる、そういうふうに解釈できるのです。
後半に出て来るのが固定観念に囚われないためにはどうするかです。ここでは “神” が出て来ますが、自分の将来はすべて自分の意のままにしなければ・・・と執着する代わりに、自然の成り行き(神)に “お任せ” するという緩くて気楽な生き方を勧めていると解釈できます。どうなるかわからないのが将来です。そんなわからないことをクヨクヨ悩むのは “下手な考え 休むに似たり” なのです。
“認知のゆがみ” は長年色眼鏡を通して培われた見方・考え方です。極端に言えば幻想に囚われている状態とも言えます。幻想から抜け出すには色眼鏡を外せばいいだけの話なのですが、偏った見方・考え方を矯正するのはそう簡単ではありません。ともすれば “なんとかして・・・を直さなければならない” となりがちですが、無理に矯正しようとすると元の木阿弥になりかねないのです。
それではどうするか? ことがある度また色眼鏡で見ているのでは(?)と自覚してさえいればそれで十分。「♪ ケセラセラ~、なるよ~うになる~」と気楽でいればそれでいい。これだけで自然に変われるはず。やっと、こう考えるに至りました。
AAには “神” に祈願する言葉があります。願い事は次の3つからなります。
● 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
● 変えられるものは変えてゆく勇気を
● そして、2つのものを見わける賢さを
これらの言葉はお祈りの体裁をとっていますが、無理にしなくて済むよううまく配慮した言葉になっています。AAでは、これら3つをアル症者の目指すべき達成目標としているようです。
私はこの言葉の意味に気づくまで3年掛かりました。ちなみに私は、この言葉とは別に “ありのままの事実を ありのままに受け止める” を1日1回念ずるようにしています。
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