夢・つれづれに

何時も夢とロマンを持ち、思いのままに綴りたい

東京は震度4 その時舞台では~

2009年08月12日 | 舞台鑑賞

東京が揺れましたね。
関西人は地震に対して鈍感になっているものの(私だけかな?)内心はびっくりしましたよ
だって、客席は「わぁ~!」、上からつるしてあるセンターのマイクか照明の一部が大きくブランコ状態なのです。
横にいた女性は思わず私の腕を(見ず知らずの人)つかみ「大きいですよね」と小声で~
そんな状態の中、舞台は何事も無いように大きい澤瀉屋さん(段四朗)が熱演『忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)』の真っ最中。
そのセットの一部がはがれ(まあ、このあと屋台崩しがあるのだが)板の上の人亀治郎の”瀧夜叉姫”が光圀(段四朗はお父さん)の舞台を見入っていたというか、段四朗さんの見せ場であったので、それは驚いたことと思うけど、なに事もなかったように平常心に見えましたね。
そして、大掛かりな屋台が崩れ蛙に変身した瀧夜叉姫と光圀との所作を宙乗りを加えた大スペクタルに役者魂を見たようだった。

この演目は幕が開くまで誰にも(観客)知らされていなくミステリーだったのである。
  

と言うわけで8月7日、8日、9日の三日間恒例の《亀治郎の会》第7回目を開催。(今回は舞踊一色)

演目は、常磐津『お夏狂乱』 切なく、哀れな物語なのだが、花道から登場したお夏は本当に綺麗でしたね(少し痩せたかな?)


恋人の手代・清十郎が無実の罪で処刑された事から物狂いになりその面影を求めてうら寂しい晩秋をさまよい歩きます。
小道具の傘は、清十郎が市中引き回しをされた時にかぶっていたと言われこの話の重要な持ち物となっているし、子供たちや(これが又上手)、馬子や巡礼の登場によって一層ふくらみを持たせ、ドラマティックになっていたように思う。


次の演目は、恐妻を上手くだまし、花子に逢いに行くのだが家来の太郎冠者に自分の身替りを頼み出かけるが、上機嫌で帰って来た本人はすっかり家来だと思っていて、花子にもてなしを受けた様子を話して聞かせるのだが、太郎冠者と思っていたのが奥方に替わっていたという軽妙で面白みのある常磐津『身替座禅』の山陰右京。これは叔父様である猿之助丈のアドバイスがあったと本に書いてあった。(なかなか~♪)

女形、立役、荒事の所作事、全てご自分の演出、出演と出ずっぱりの2代目市川亀治郎精一杯頑張った姿は感動ものでした。


私は何時までも余韻に浸っているのであるが、きっと彼はそのいとまもなく次の引き出しを求め飛躍の旅に出かけたに違いないと思うのである。(貴方はすごい!)