今日は法事。久しぶりに親族数人が集いました。
母方祖母『私のおばあちゃん』は去年の夏、99歳という人生をまっとうしました。
老衰でした。
誰もが理想とする『ピンピン・ころり』ではなく『寝たきり』。最後は自力で食事は出来ずチューブを直接胃につないでの栄養補給・・・。
『私のおばあちゃん』が亡くなる数日前、ふいに「お見舞いに行こう。」と年休をとって母と二人で会いに行きました。
4人部屋の窓側に横たわってる『私のおばあちゃん』。
ほとんど眠ったまんま。
同室の方々は、お昼ごはんの最中でした。
食事って至福の時!一日のうちで本当に楽しみな時間。副交感神経がはたらいて消化液が分泌され、脳が「美味しい」と喜ぶ瞬間・・・だと信じて疑わなかった私。
でも、隣のベッドに少し身体の角度を上げて寝て薄目を開けてうつろな状態の女性は、子供が乳児の時に食べさせた離乳食より、その中身が不明な流動食を合計スプーン3杯、看護師の手を借りて口から流し込まれる。
その向かいの男性は自力で何とか食事という行為が出来ているものの、嚥下運動がうまくいかず途中で何度もむせ返っている様子。
部屋の入り口のベッドの女性。家族(多分、お嫁さんか娘さん?)に手伝ってもらいながらの食事。食器に沢山残っている食事を「食べないとだめ。」と叱られながらそれを拒否。
拷問だ・・・。
食事がこんなに過大なエネルギーの要するものだったなんて。
私の知らなかった世界。決して他人事ではなく、生きていけば必ず誰もが経験する老化。
『私のおばあちゃん』は殆ど眠っていました。意識は無いから見舞いに行っても分からないよと聞かされてました。
ベッドの横に立ち、そして目線の位置までしゃがみこみ、眠っている顔を眺めました。
少しづつ、おばあちゃんの頬や目の周りの表情筋が動き始めて目を開けました。どう話しかけて良いか分からない私の顔に視線を向け、そしてさらに力いっぱい目を見開き私を見ました。
何か訴えようとしているように見えました。
しばらくして力尽きたのか、再び両瞼を閉じて眠りに入りました。
私は同室の方たちの食事風景を眺め、何となく視線を感じて再びおばあちゃんを見たら、さっきと同じように力いっぱい目を見開き私を見ています。
「意識が無いわけじゃない。」
私のことを、孫の『M見ちゃん』と確信してくれたのか、他の誰かと勘違いしていたのか、それは分かりませんが、懸命に生きようとする大きな生命エネルギーを感じました。
それから2週間もたたないうちに、おばあちゃんが亡くなったという知らせ。
遺影の写真を見て
「ごくろうさまでした。」と心から思いました。
最後のお別れの時の顔は物凄く綺麗でした。本当に綺麗でした。
諸行無常・・・その日その日を大切にしっかりと生きなさい!
『私のおばあちゃん』はそう教えてくれたのかな・・・。
母方祖母『私のおばあちゃん』は去年の夏、99歳という人生をまっとうしました。
老衰でした。
誰もが理想とする『ピンピン・ころり』ではなく『寝たきり』。最後は自力で食事は出来ずチューブを直接胃につないでの栄養補給・・・。
『私のおばあちゃん』が亡くなる数日前、ふいに「お見舞いに行こう。」と年休をとって母と二人で会いに行きました。
4人部屋の窓側に横たわってる『私のおばあちゃん』。
ほとんど眠ったまんま。
同室の方々は、お昼ごはんの最中でした。
食事って至福の時!一日のうちで本当に楽しみな時間。副交感神経がはたらいて消化液が分泌され、脳が「美味しい」と喜ぶ瞬間・・・だと信じて疑わなかった私。
でも、隣のベッドに少し身体の角度を上げて寝て薄目を開けてうつろな状態の女性は、子供が乳児の時に食べさせた離乳食より、その中身が不明な流動食を合計スプーン3杯、看護師の手を借りて口から流し込まれる。
その向かいの男性は自力で何とか食事という行為が出来ているものの、嚥下運動がうまくいかず途中で何度もむせ返っている様子。
部屋の入り口のベッドの女性。家族(多分、お嫁さんか娘さん?)に手伝ってもらいながらの食事。食器に沢山残っている食事を「食べないとだめ。」と叱られながらそれを拒否。
拷問だ・・・。
食事がこんなに過大なエネルギーの要するものだったなんて。
私の知らなかった世界。決して他人事ではなく、生きていけば必ず誰もが経験する老化。
『私のおばあちゃん』は殆ど眠っていました。意識は無いから見舞いに行っても分からないよと聞かされてました。
ベッドの横に立ち、そして目線の位置までしゃがみこみ、眠っている顔を眺めました。
少しづつ、おばあちゃんの頬や目の周りの表情筋が動き始めて目を開けました。どう話しかけて良いか分からない私の顔に視線を向け、そしてさらに力いっぱい目を見開き私を見ました。
何か訴えようとしているように見えました。
しばらくして力尽きたのか、再び両瞼を閉じて眠りに入りました。
私は同室の方たちの食事風景を眺め、何となく視線を感じて再びおばあちゃんを見たら、さっきと同じように力いっぱい目を見開き私を見ています。
「意識が無いわけじゃない。」
私のことを、孫の『M見ちゃん』と確信してくれたのか、他の誰かと勘違いしていたのか、それは分かりませんが、懸命に生きようとする大きな生命エネルギーを感じました。
それから2週間もたたないうちに、おばあちゃんが亡くなったという知らせ。
遺影の写真を見て
「ごくろうさまでした。」と心から思いました。
最後のお別れの時の顔は物凄く綺麗でした。本当に綺麗でした。
諸行無常・・・その日その日を大切にしっかりと生きなさい!
『私のおばあちゃん』はそう教えてくれたのかな・・・。
昨日新ブログを作ろうと色々やっていたら、気が付いたら登録していました。
これからは第2のブログとして、更新していくか、このまま終わってしまうかはわかりません。
いずれにせよここは、大奥(奥座敷)としてひっそり、続けていきたいと思っています。
M見ちゃんの祖母は99歳までとは、大変長生きされていたんですね!
私の母方の祖母も亡くなりましたが109歳と当事は長野県1位の長寿でした。
私も体はガタが来ていますが、まだまだ人生は続くのかもしれません。
鍛えられる間は体を鍛え続けていきたいなと思っています。
ではでは!
コメント有難うございます。
人生山あり谷あり・・・。
まるでトレーニングと同じですね。
とにかく、何があっても諦めない、それと開き直れる強さが欲しいです
人生そのものが、トレーニングなんですかね