黒鉄重工

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再訪のBC航空博物館 その3【2016/3/24】

2020-04-10 22:06:29 | バス・航空機撮影記
オーニソプターを前から見た写真。ところでどうやって操作するんだという疑問ですけど、ダ・ヴィンチの図案を再現しただけでそこらへんの実用性は考えてないのかしら。どの道飛行や滑空は無理そうだし。


シャヌート型グライダーのレプリカ。矩形の翼面を持つ複葉グライダーのことをそう呼びます。
オクターブ・シャヌートが考案したもので、1890年代から飛行に関する研究をする上で考え出されたもの。つまりまだライト兄弟が有人飛行する前のものです。


ピエテンポール エアキャンパー。1928年初飛行のホームビルド機、つまりキット形態で販売して購入者が自作する飛行機です。
エアキャンパーは操縦性が優しくて扱いやすかったんだそうな。


この博物館では一番異形な飛行機だろう、ギブソン ツインプレーンのレプリカ。手前側が前方です。1910年9月8日に初飛行したカナダで最初に設計、製作された飛行機です。ギブソンという人が開発しました。
ギブソンはまず6気筒の航空機用エンジンを開発して、それから飛行機の機体設計に着手しました。
前方に配されたホームベース状の翼は昇降舵を担うカナード翼になっています。方向舵は後部の2枚の尾翼で操作します。
初飛行時は7mしか飛びませんでしたが、同年9月24日の2回目の飛行では60m飛んだものの横風に煽られて木に衝突、操縦していたギブソンに怪我はありませんでしたが機体は破壊されてしまいました。


操縦系統は正直分からんなというところです・・・(._.)


エンジンは中央に1基あって、両端にプロペラを配置しています。推進力を確保したかったんだろうか。


試行錯誤の時代だなぁというお気持ちです。


横から。


アブロ アンソンMk II。1935年初飛行のイギリスの多用途機。輸送、連絡、偵察、沿岸哨戒、練習、爆撃なんでもござれ。
第二次世界大戦はもちろん戦後まで生産が続いたので1万1千機以上も造られました。カナダでもライセンス生産されて(アブロカナダ製だろう)、カナダだけでも4,413機造られて、多くはカナダ空軍で使用されました。パトリシアベイ基地にも配備されて、イギリス連邦航空訓練計画 (Commonwealth Air Training Plan) で運用されていました。練習機ですな。
この個体はBC州のフォート・セント・ジョンから寄贈されたものなのだそうな。


イギリス初の単葉、引込脚装備の航空機でした。
左に写っているエンジンはジェイコブスL-4MB 7気筒空冷エンジン。またの名をR-755。が、アンソンには使われていないはず。


胴体は鋼管羽布張りなのか。


機首はなんだか変な形をしていますな。風防の窓割りがなんだか独特。
機首の先端には窓が有りにけり。爆撃機の爆撃手の練習用かしらね。
床に置いてあるスキー板はアンソン用なのかは不明。見た感じちょうど良さそうですけど。


機内。通信士の席がよく見えます。


機首の窓から機内を見る。よく分からん。


あー、日本軍のビックリドッキリメカ、風船爆弾ですね。初めてここに来た時にまさかここにあるとは思わずびっくりしたので、よく覚えています。
端的に言えば、爆弾を付けた風船を日本本土から飛ばして偏西風に乗りながら北米大陸まで到達、ちょうど到達したところで時限的に爆弾が落とされてアメリカ本土を直接攻撃するという兵器です。
どこへ向かうかは偏西風任せの気まぐれな兵器であり、爆弾搭載量も20kg程度だでは攻撃力もたかが知れているので、心理的な嫌がらせ攻撃以上のものにはなりませんでした。

アメリカを狙った兵器ですが、気まぐれである以上隣のカナダに流れ着いた風船が900発くらいあり、カナダ空軍もこれの迎撃に追われることになります。後方の訓練基地だったパトリシアベイ基地は警戒レーダーと迎撃戦闘機も配備される前線基地になりました。はた迷惑な話です。


爆弾と重りの懸架装置。気圧計とかも含まれているはず。これで高度調整します。
打ち上げられた風船の中のガスは徐々に抜けていってすると高度が下がっていくわけですが、それを気圧計が検知すると重りの一部を切り離して重量を軽くします。すると高度が回復するわけですね。この動きをアメリカに辿り着くまで続けるのです。よく考えついたなと思います。


リンカーン スポーツというホームビルド機。1920年代のホームビルド機全盛期に発売されていた複葉機です。リンカーン社は、自動車のリンカーンとは接点ないようです。
キットの中にエンジンは入っていなかったようで、購入者が別途選択する方式だった模様。別途購入部品の必要な鉄道模型みたいだな。
エンジン以外にもこういう別途購入部品が多かったらしく、その煩雑さから完成した機体は少なく、かつ現存するものは数機しか残っていないのだそうな。
この個体は数少ない完成品で飛行もしていましたが、その後博物館に寄贈されるまで長年放置されていたので荒廃してしまいました。寄贈後は博物館の手で主翼と胴体を作り直しています。



第二次世界大戦後のホームビルド機は製作の簡素化やキットの中に必要な部品が全て含まれている等で、できるだけ完成に近づける工夫がされているのなーと思った次第。

今日はここまで。