黒鉄重工

プラモ製作、旅行記執筆をやっています
同人誌通販始めましたhttps://603kurogane.booth.pm/

廃線跡に残る鉄橋を探し出す 後編【2015/09/23】

2017-10-11 21:46:19 | 日常記

鉄道の廃線跡を転用して造られた遊歩道ギャロッピンググース・リージョナルトレイルに残るティンバートレッスルという種類の木造鉄道橋を探しに行くというもの。
ちなみに前回の郷土資料館でトレッスル橋のことを聞きましたが確かにあるということで、いよいよ後に引けなくなった感じ。



観光案内所兼郷土資料館を出発し14号線に出るとスーク川を渡ります。次に最初の交差点のスークリバー・ロード Sooke River Rd. へ入り、さらにカービィ・ロード Kirby Rd. へ曲がると、ギャロッピンググース・トレイルが姿を現します。
ほぼ43km地点からの開始です。路面はビクトリア側だとアスファルト舗装されているんですけども、こちらは未舗装ですね。



ここです。ここから北へ向かってチャリを走らせます。



森の中を遊歩道が突っ切るという感じの道が続きます。
廃線跡という先入観のせいもありますが、道幅はちょうど線路が1本敷けるような広さです。
それと、道は上り勾配ながらその傾斜は緩やかです。周りの地形はややアップダウンしている箇所もあるのですが、そこには掘割や築堤が設けられていてスムーズに漕げるのです。
これも鉄道の路盤を再利用しているからなのだと思います。



43km地点から10分ほど走っていると、急に前方が開けてきました。
あ~、あれはきっと橋があるんですねぇ~。よっしゃよっしゃと少しずつ進み、その興奮を高めていきます。



キタ━━━━━!!
橋ですよ、橋!こんなあっさりと見つかってよかったのか!?



ここです。最初の場所からおよそ2.5km。



この橋はチャーターズ川 Charters Creek に架かるチャーターズ・トレッスル Charters Trestle です。
下を覗いてみると小川が見えますね。秋になると鮭が遡上してきます。

・・・ってあれ?橋脚が、あれ?あれれ?



て、鉄橋やんけ!

う~ん、マジですか・・・?ちょっと前に建て替えたのかなぁ?でもそれにしては橋の構造が古いよな?
橋は2本あるって言ってたし、もっと奥へ進めばお目当ての橋があるのかもしれません。

ところで、これの橋桁は遊歩道整備時に敷かれた角材の歩道だと思うのですが、その橋桁の下に不規則に敷かれている角材は、当時の鉄道の枕木なのでは?と思わんでもなく。



とぼとぼと橋を渡りきる。
とはいえ廃線後も鉄道橋が残っていてその上を自分で渡れるなんていう体験ができる廃線跡というのは多くないので、珍しい経験だったなと思います。
この先にもうひとつの橋があることを、それがティンバートレッスルであることを信じてチャーターズ橋からさらに進出すること2km。



!!!



よし勝ったな、風呂入ってくる。

間違いない、これが2本目の橋だ。
そして欄干の隙間から見えるあの橋脚は・・・。



!!!
おおっ・・・。ティンバートレッスルだ・・・。これがトッドクリーク・トレッスル橋 Todd Creek Trestle だ。
瞬間私は息を呑みました。本当にこの光景に遭遇できるなんて・・・。
規則正しく組み上げられた材木が織りなすこの構造物には人工物だからこその美しさがあります。
成長し続ける木々に負けず、その存在感を示しています。
いや、すごいなこれは。



トレッスル橋は八の字に組まれた縦材を短間隔で多数使用して橋桁を支持する橋のことです。木造の他に鉄材を使用したものも当然あり、日本だと兵庫県の山陰本線に架かる旧余部鉄橋なんかが有名です。
あれも迫力あるものですが、木造橋だと橋脚の本数がそれ以上になるので、密度感が凄まじいことになります。ていうかもう橋脚しか無いですからね。

どうにか降りられないものかと橋の袂をうろちょろすると、左側からいい感じに降りられそうな獣道があるではないですか!
これは!もう!降りるしか!無いでしょう!人として!!



よく見える!素晴らしい!しかし地面から結構高さがあるね、これは。
さすが現役の橋だけあって橋脚の欠損や破損は見受けられず。補強材などは部分的に補修はされているんでしょうけども、縦材なんかは古そうな感じもしけり。構造材の内数%くらいは蒸気機関車時代から橋を支え続けてきたものが残っているのかもしれませんね。



内向きのカーブなため、橋の横に寄って望遠レンズで圧縮を掛けるといい感じの橋脚写真が撮れます。材木だけの空間だ。



地面を見てみる。
谷間を流れる川を越えるための橋でして、橋の両端は斜面になっています。
橋脚を建てる部分は地面を水平に均しているのが分かると思います。さらに、地面が段々になっているのにも注目です。これはこの手の谷を越えるティンバートレッスルに見られる特徴です。



今回驚かされたのは橋脚の土台部分。
枕木を介しているとはいえ、ただ地面にポン置きしているだけでしょう、これ。
当時の土木技術はもとより、多脚橋で負荷が分散されるので、これでも問題なかったということでしょうか。



最下層に行きたかったのですが、これより先は地形が険しく、またこの日の地面は濡れていたこともあり途中で引き返すことにしました。ここで事故ったら助け来ないからね・・・。
なのでこの写真が一番下から見た写真になるのですが、これだけ見られればもう十分でしょうというほどの成果でした。



上に戻って橋を渡ります。トッド川からの高さは26mあるんだそうで、やはり結構高い橋だったのですね。
なお建設されたのは1918年で、資材はベイマツとのこと。強度対重量比に優れ、高負荷、強風、暴風雨、地震に耐えられる素材であったこと、一帯に自生していて調達が容易だったことが挙げられています。



当時の鉄道に思いを馳せながら・・・。



チャリと記念撮影。

みんなにもこの橋を訪れてほしいのですが、いつものようにだらだら調べていると、この橋は2017年8月から一時閉鎖されているのだそうな・・・。3本の橋脚がダメになっているようで、修理する必要があるとか。ソースはこちら
執筆時点では再開したという情報は無く、再開時期もまだ未定かと思われ。事前によく調べてくださいね。



トッドクリーク・トレッスルの場所はここ。
遊歩道以外から到達しようと思うと、横を走るスークリバー・ロードからトッド川を伝って行くしか無いでしょうね。行けるか知りませんが。



さて、ここからトレイルの終点まで走ってしまおうかと思ったのですが、めんどくさくなったので止めにして戻ることにしました。なにせここからランフォードまで数十kmのサイクリングですからね。
トレイルの道路との交差点にはよくこんな感じのトレイルの立て札が立っています。ここに描かれている車両の絵がギャロッピンググースですね。この絵がここで使われていた車両なのかは分かりませんでしたが。



こんな感じで進みます。



海沿いに戻ってきてハイウェイ14号線と並走するとこまで来るとよく道路と交差するようになるのですが、その中でこんなものが!
これは!廃線跡あるあるのひとつ、「撤去されず埋められたものの年月とともに再び露出してきたレール君」じゃないですか!
この遊歩道をかつて鉄道が走っていたというなによりの証拠です。これにも感動を覚えましたね。確かに昔の鉄道の上を走っているのだと。



踏切だったんだろうなぁというところ。



程なくして14号線を渡り海岸線沿いを走ります。
いい景色だなと思いながら走っていたら、急にペダルが重くなる・・・。

げっ、パンクだ・・・。

・・・。
・・・・・・。

えー、今回はここまでです。
次回の挑戦をお楽しみに。

はぁ、がっかりだ。



不幸中の幸いだったのは、パンクした箇所が14号線に近い場所だったことです。ここからバスに乗って帰ることができるのですね。
自転車を引きながら14号線に出てバス停まで歩き、帰りのバスを待つことにしました。パンクした時もバスに乗せてしまえば楽勝なのでやはり自転車ラック付きバスは便利ですねと実感したのでした。

写真はバス待ちの間に通ったBlue BirdのAll American。特に意味なし。

これでおしまいです。

廃線跡に残る鉄橋を探し出す 前編【2015/09/23】

2017-10-06 22:54:00 | 日常記
今回はギャロッピンググース・トレイルに残る木造トレッスル橋を見に行きますが、予備知識が必要なのでちょっと付き合ってもらいますよ。


図は1910年代のカナダ ブリティッシュコロンビア州はバンクーバー島のビクトリア周辺の鉄道の路線図です。現在は全て死んでしまっていますが100年位昔はそこそこ鉄道が通っていたんですよ。
右から順に簡単に説明していきましょう。

オレンジの線がビクトリア&シドニー鉄道 (Victoria & Sidney Railway; V&S) です。名前通り、ビクトリアとサーニッチ半島の町シドニーを結ぶ鉄道でした。
途中で線路が二股に別れていますが、右に伸びるのがシドニーの町への線路。左手に伸びるのはパトリシア湾の港へ続く線路です。ここから鉄道連絡船で本土と行き交いしていました。
1892年設立、1894年開通でしたが、経営が振るわず1919年までにカナディアンナショナル鉄道(CN)に買収されてしまった短命な鉄道でした。
V&Sに関してはビクトリア在住時はほとんど関知していなかったため、ろくすっぽ調査していませぬ・・・。ビクトリア側のCN引継ぎ区間は次の年に一度その痕跡を辿ってみましたが、また別の話です。
ただし廃線跡は、路線の大部分が遊歩道のロックサイド・トレイル Lochside Trail に転用されて残っているはずですので、訪れた際にそこを辿るのも良いと思います。

次に青色の線がエスクイモルト&ナナイモ鉄道 (Esquimalt & Nanaimo Railway; E&N)です。ビクトリア近郊のエスクイモルトには海軍の軍港があり、バンクーバー島第2の都市のナナイモには本土からの鉄道連絡船の基地がありました(本土のバンクーバーからバンクーバー島へ直線距離で一番近いのはビクトリアではなくナナイモなのだ)
3社の鉄道の内最後まで生き残った鉄道で、2011年までVIA鉄道の旅客列車マラハット号が走っていました。放置状態ですがまだ線路は残っていて、どこまで本気なのか知りませんがいずれこの鉄道を復活させる動きがあるらしいです。
開通は1883年で、1905年には保有者がカナディアンパシフィック鉄道に移っています。
その後所有者はコロコロ変わって、現在では地上設備はアイランドコリドー財団が所有し、サザンレイルウェイ・オブ・バンクーバーアイランド(SVI)が列車の運行をする形になっています。ただし、上記の旅客列車はもちろん、貨物列車も現在は1本たりとも運行されていません。唯一、本土から連絡船で航走されてきた貨車をナナイモのヤードで入れ換えする事業だけは続いているようです(これも関知していなかったので未調査)
上記の通り線路はまだ残っていますが、この線路に沿うように遊歩道E&Nレイル・トレイルがビクトリア~ランフォード間で整備されていて、気軽に廃線跡巡り・・・もとい休止線巡りができます。



もう一度貼ります。
そして今回の主役となるのが、緑色の線のカナディアンノーザンパシフィック鉄道 (Canadian Northern Pacific Railway; CNoP) です。
1910年に設立されまして、ビクトリアからスーク、ヨーボーを経由してポートアルバーニに至る鉄道として建設される予定でした。が、1928年にヨーボーの少し先のキッシンガーまで延伸したところで計画は凍結されてしまいました。結局鉄道が通ることはなく、道路も繋がってはいるものの好き好んで走りたくないなぁという道です(印象としては林道みたいなものだ
CNoPはカナディアンノーザン鉄道(CNo)の子会社なのですが、この親会社が財政難で1918年に国有化されてCNの一部になります。さらに1919年にCNはV&Sを買収します。

当初は貨物鉄道として建設されましたが1922~1931年の間は旅客輸送もしていました。
貨物輸送と森林鉄道運行は引き続き行われましたが、1957年にキッシンガー~ヨーボー間の廃線を皮切りに路線縮小していき、1990年までにCNはバンクーバー島から消え去ります。最後まで残存していた区間はビクトリアの港湾施設の短い引き込み線等の路線だったはずでして、本線が全廃になったのは1979年だと思われます。



さてそんな歴史を辿ったCNの線路ですが、廃線跡はやはり遊歩道に転用されて、1987年に供用開始されたギャロッピンググース・リージョナルトレイル Galloping Goose Regional Trail という遊歩道に生まれ変わりました。
地図の赤い線の部分、ビクトリアからスーク湖の手前のリーチタウンまでの全長55kmです。終点は何もなくただの行き止まりになっています。このまま線路沿いに行けばスーク湖を抜けてショウニガン湖に出てそこからハイウェイ1号線に合流できればビクトリアまで一筆書きができるのにもったいない・・・。

この遊歩道も廃線跡の線形を忠実になぞっていて、当時を偲びながらウォーキングやサイクリングができます。
中でも私が注目したのは、遊歩道の終盤に登場する2本の鉄道橋です。この橋は木造の橋脚を多数短間隔に配置したティンバートレッスル橋なのです。19世紀の北米の鉄道橋でよく用いられた方式で、丸太が何十本何百本と組み合わさって建てられた幾何学的な光景はとてもアメリカ的で雄大なのです。
たしかネットを徘徊していたら探し当てた記憶でしたが、近所にそれが残っているとあらば行かない訳にはいかないでしょう!人として!

そういうわけなので今日はこれを探し当てることを主目的とし、さらに遊歩道すなわち廃線跡を自転車で走り抜けることを副目的とします。
しかし全線55kmの走破はトーシロにはキツイものがあることから、行きは遊歩道を走らずスークまでバスに乗り、トレッスル橋を見聞後、帰りに遊歩道を走ることにします。
ただし自転車で走るのは途中のランフォードまで。そこからビクトリアまでは別の日に挑戦することにして、ランフォードからはバスに乗って帰ります。それでも約30kmの私にとっては大行軍です。まあその野望は砕け散るんですが後のお話


余談ですがギャロッピンググースというのは直訳すると「駆け回るガチョウ」という意味ですが、アメリカの鉄道に詳しい人ならこの単語の鉄道車両を知っているかと思います。
これはトラックや自動車を改造して線路上を走れるようにした車両のことで、リオグランデ・サザン鉄道が1930年代から使用したものが有名です。
CNでも1920年代に同様の車両で旅客輸送していました(リオグランデ・サザンよりも先!)
ただし細かいことを言うと、当時のCNではギャロッピンググースという呼び名ではなかったそうです。それでもギャロッピンググースはこの手の車両の代名詞になっていることから命名されたのだと思います。



というわけでスーク Sooke まで行きます。
スークまではBCトランジットの#61系統(ビクトリア~ランフォード~スーク)のバスに乗ります。ダウンタウンからだいたい80~90分間くらい乗ります。
ビクトリアからスークまでは道路で40kmありますので路線バスに乗って行きます。しかし調査箇所はバス停から遠く離れているので、自転車も必要です。こういう場合はバスの正面にある自転車用のラックに自転車を載せてバスに乗ります。ちょうど今先客が載せていますね。
路線バスのBCトランジットでは全てのバスに自転車用ラックが付いていて、このような乗車が可能です。
ある所でサイクリングを楽しみたいけど自宅からそこまで自転車行くのは大変だ・・・という場合に、バスを自転車のトランスポーター代わりに使うのです。輪行袋とかそういう手間がないので本当気楽に乗れます。


余談ですが自転車ラックは2台分あるのですがこれが仮に2台とも埋まっていた場合どうなるのか。私も一度そういう場面の当事者になったことがありましたが、その時は次の便を待つように促されました。
この時乗ろうとしたバスは運行頻度の多い系統だったので待つのもアリでしたが、本数の少ないローカル系統だったらどうなるもんなんでしょうかね・・・?
ただ、そんな頻繁にラックが埋まっているのは見かけなかったです。殆どの場合はそもそも自転車が積まれていませんでした。あくまでレジャー用で、通勤にこのラックを使う人というのはあまりいないのかもしれないですね。
この自転車ラックは日本にも普及したらいいんですけど、日本だったら通勤手段として使われて本来想定していた目的が果たされずにあっという間に制度崩壊しそうでどうもね・・・。



移動経路はこんな感じです。



ハイウェイを飛ばしたり山間の幹線を走ったり、変化の多い車窓でした。
とりあえずスークのダウンタウンっぽいところで降りました。この時既にお昼時でしたので、道沿いにあるA&Wでハンバーガーを食べます。この頃になるとルートビアにも慣れたもんでして、半分これを飲みにこの店に入るようなもんです。
食べた後はスークの町の散歩はしないでそそくさとギャロッピンググーストレイルを目指します。



道路を走っていると観光案内所の看板を見つけるので寄ってみることに。
トレッスル橋が本当にあるのか確度を高めておきましょうか。



移動はこう。



スーク郷土資料館・観光案内所 Sooke Region Museum & Visitor Centre というところで、観光案内所と郷土資料館が一緒になった施設です。
せっかくなので軽く見ていきましょうか。



スークにはトゥソーク族 T’sou-ke という先住民がいて、これがスークの語源になったのだと思います。
1843年に毛皮交易社のハドソン・ベイ社がビクトリアに進出し、この時期に先住民とヨーロッパからの移民が接触したとか。
これはその時の人たちが使っていた道具類です。



鉄道関連の展示。
線路、鐘、汽笛、保線用具などなど。
貼られていた路線図によれば、本線以外にも森林鉄道の支線が何本か別れていたようです。



林鉄のレイアウト。



背の高いティンバートレッスル橋。かつてのベアー川橋梁(熊川である)を再現したものですが果たしてどこらへんにあるやら。
正直あまり真剣に見ていなかったので書くこともあまりないです・・・。



屋外展示もあります。
これはベイマツ(タグラスファー)の断面。年輪の数は1,227本あるので、その樹齢は推して知るべし。
ブリティッシュコロンビア州の沿岸やバンクーバー島に自生する樹木でして、建材によく使われます。



年輪図。生え始めは745年とされています。あとは、人間の歴史の節目の時にこの松がどのくらいの太さだったのかが書かれています。
843年に後のフランスとドイツとなるウェルダン条約が発効されたとか、1000年にバイキングがニューファンドランドに上陸したとか、1707年にイングランドとスコットランドが合併して大英帝国が爆誕とか。



灯台もあります。
スークの灯台かと思いきや、バンクーバー島の北端のさらに外れにある小島、トライアングル島に建てられていた灯台でした。
19世紀後半、バンクーバー島西海岸は険しい海岸とサンゴ礁により「太平洋の墓場 Graveyard of the Pacific」と呼ばれるほどで、一説には500隻もの難破船が相次ぐ海域でした。
この対策としてカナダ政府は島沿岸に西海岸救命道 West coast lifesaving trail を整備します。これは難破した船の人間が避難する時に通行するよう整備された道です。5mile(8km)ごとに避難所を建て、そこにはサバイバルグッズや難破を通報するための無線通信装置も置かれていました。
今でも全長75kmの長大な遊歩道として現存していて、夏にはハイカーが多く訪れるといいます。

で、この避難道と並行して建設されたのが灯台でした。この灯台は先の通りトライアングル島に1910年に建てられたものです。この島は小高い山形になっていて、その頂上海抜210m地点に建てられました(まん丸の地球では高い位置にあるほど遠くから見えるので
ただ、標高が高いので雲隠れしやすく、おかげで灯台の光が見えないという本末転倒な時もあったらしく・・・。
絶海の孤島の灯台守はあまりに負担が大きかったらしく、10年後にはこの灯台は廃止されてしまいました。

といったところで今日はここまで。後編ではトレッスル橋を探索します。


後編へ→

【1/700】大日本帝国海軍 駆逐艦島風【ギャラリー】

2017-10-03 21:04:44 | 模型ギャラリー

<使用キット> タミヤ ウォーターライン 1/700島風(旧キット)
※製作記はありません



以前からタミヤの旧キットの島風を積んで寝かせておいたのですが、今年になって島風が完全新規でリニューアルされるとの話を聞きまして。
こりゃ旧版になる前に作らなきゃな・・・と思っていたのですが、ずるずるズレてとっくに新版が発売されてから作ることに。



完全に消化試合だったので、完全素組みです。張り線も今回は省略してしまいました。こんな感じの低姿勢だったので製作中の写真もなしです。



赤い船底の部品が金属製なのが旧島風の特徴でありました。WLシリーズには錘が付属するのですが、船底と錘をこの文鎮によってひとつにまとめたのです。
ただこれを採用したのは後にも先にも旧島風だけだったようです。新版の島風でも船底はプラスチックになっています。



何十年以来のベテランキットなので彫刻は必要最低限。組合共通部品の主砲や内火艇が浮いて見えます。さすがに近年の彫刻の精密化の潮流には合わないでしょうね。



主砲、機銃、内火艇はある程度彫刻の細かい組合共通部品(キット付属)が流用できるのですが魚雷発射管だけはそれが出来ず。島風専用の5連装発射管はそれにははいっていないからです・・・。



船尾のリノリウム甲板の範囲間違えてましたね。うっかり。



以上、駆逐艦島風でした。

超久々のエアフェスタ浜松へ 最終回【2016/10/16】

2017-10-01 22:14:35 | 旅行・イベント記

浜松基地でのブルーインパルスの飛行展示の後編。
これはレター・エイト。
まず後方からダイヤモンド編隊で進入。右旋回しますが後ろの4番機だけは左旋回します。



1~3番機はゆっくりと右旋回します。
この間4番機は最小旋回半径で360度旋回します。この時4番機にかかるGは凄まじいとか。



360度左旋回を終えた4番機はその後右旋回に移行。4番機は1~3番機よりも小さい旋回半径で飛行してこれらに追いつきます。



4番機が追いついて1~3番機の前に出ます。



4シップ・インバート。ダイヤモンド編隊で進入して、滑走路上空を飛行中に2機ずつ背面飛行に入ります。



名物キューピット。
大きなハートを描いてそれを矢で射抜くというもの。矢が貫いているように見せるために矢のスモークを一度切っているのが芸が細かいです。スモークを再点火させる位置がちょうどハートの背後にぴったりなのも見事だなと。



ラインアブレスト・ロール。
3機のアブレスト編隊でロール旋回する課目。



ワイド・トゥ・デルタループ。
後方からデルタ編隊で進入して前方でループ機動を行います。



ループしている間に徐々に機体同士を密着させていきます。



オポジット・トライアングル。
6機の内3機だけ背面飛行しながら航過。



デルタロール。
6機のデルタ編隊でバレルロールします。



サクラ。
6機で桜の花を描くやつ。あまり見かけないやつですね。



ローリング・コンバット・ピッチ。
エシュロン編隊(先頭を基準に斜め後方に並ぶ隊形)からロールを行いながらブレイク。



1機ずつタイミングをずらしながら行います。



綺麗な弧を描いています。



最後に前方から後方へ向けて6機編隊で航過したのを最後に演目は終了。
久々に生のブルーインパルスの飛行を見ましたが、相変わらず技術が高く大変満足しました。



この後着陸態勢に入りますが、それを見ずにソッコーで会場から撤退します。帰りのシャトルバスに並ばずに乗るためですね。
静浜基地ではこれに成功しましたが、浜松基地では既に手遅れで結構並ぶ羽目に。
バスに乗った後も道路が大渋滞でして、駅に着くまで1時間位かかったような気がしました。

エアーフェスタ浜松はこのような感じでした。また気が向いた年に行ってみたいなと思います。
おしまいです。