2016年3月5日(土)11時20分
カリフォルニア州チノ ヤンクス航空博物館 レストアハンガー
ヤンクス航空博物館にある3棟の格納庫のひとつスターファイターハンガーの内半分をやっつけました。スターファイターハンガーから繋がる第3の格納庫がレストアハンガーです。
ここは文字通り蒐集した航空機の復元作業を行っている区画です。修復中の航空機が所狭しと何機も並んでいます。なんちゅう空間だ・・・と。
復元中のグラマンTBF-1アベンジャー(69機目)。
アメリカ海軍の雷撃/爆撃機です。詳しいことは今回は割愛。
TBFにはグラマン製の他にゼネラルモーターズでライセンス生産された機体もあって、それはTBMという型式番号が与えられています。現存機はほとんどがGM製のTBMなので、グラマン製TBFというのは貴重なわけです。
復元にあたってどの程度原型を維持するのかというのはよく分からないのですが(この日は復元は休みのようだったので話も聞けなかったですね)、このTBFの場合外板はほとんど作り直されてるんじゃないかな?
エンジンカウルの一部はネイビーブルーの色をしていて、ここはもしかしするとオリジナルの部品かもしれません。
セスナUC-78ボブキャット(1939年・70機目) キャットだからグラマンだろうと思ったら実はセスナ製だったでござる。
セスナの初期のヒット作で、初めての客席5席の民間双発機だったそうな。セスナでの呼称はT-50。
軍も目をつけて、アメリカ陸軍が練習機としてAT-17の型式で採用。爆撃機用の練習機でしょうね。その後どうやら連絡や輸送にも使えそうだと気づいてUC-78としても採用されました。
骨組みに金属と木材を混用しているのが特徴の機体です。主翼に至ってはどうも全木製です。ちょっと設計が古いかなと思わんでもないです。こういう機体なので外板はもちろん羽布張りです。
この機体は1943年10月11日にアメリカ陸軍に納品されましたが、なんでか翌日にアメリカ海軍に転属してしまいます。型式も海軍式にJRCに改名します。1945年10月に退役して、1991年にヤンクスが購入したとか。そして今復元中というわけですかね。機体の収集後も修復してきれいになるまでにはかなりの順番待ちがあるようです。
ノースウェスタンGC-4A(1942年・71機目)
前前前回くらいに文字だけで説明した使い捨て輸送グライダー。C-47などの輸送機に曳航されていました。
これもまだまだ復元途中という感じ。
外に出てみます。あらゆる飛行機が置かれています。あるものは完全体だったりまたあるものは一部だけだったり。宝の山、でしょうねぇ。
翌日訪れる鉄道博物館でも感じたことですが、アメリカ人にはこれは価値のあるものだと思ったら、ちゃんと整備されていない機体でも蒐集してしまう癖があるようです。そしてまだぼろぼろの状態でも意外とすんなり見せてくれます。
ここら辺は「物さえ残っていれば、あとは何とでもなる」という考えがあるように思えます。後から価値が出てきても物が無くては意味が無いので、こうしてひたすら蒐集してくれる人たちというのはありがたいです。
あんまり奥まで入れない雰囲気だったので出入り口周辺でウロウロ。
セスナT-37ツイート(1954年・72機目)
ジェット練習機です。これでも初等練習機なのじゃ。
胴体だけ2機分置いてありました。主翼や尾翼はごっそり欠けているんですが、どっかに発生品があるだろうなという謎の安心感があります。
シコルスキーHH-3Fペリカン(1961年・73機目)
SH-3シーキングの派生型でアメリカ沿岸警備隊仕様の機体でごわす。これもローター周りの部品が外されている状態。
これら格納庫のそばに置かれているということはそのうち復元の順番が回ってくるということでしょうか?
ロッキードEC-121Tワーニングスター(1949年・74機目)
これは復元待ちではなくてちゃんとした展示機。ただしデカすぎて格納庫に収まらんので外に置かれているのかと。
スーパーコンステレーションかな?と思ったらちょっと違うやつだった・・・。
ロッキードの40人乗り旅客機L-1049スーパーコンステレーションを原型とした早期警戒機です。胴体の上下に巨大なレーダーを搭載していました。特に上部のレーダーは現在のようなレドームではなくラクダのコブのように機体に直付けされていたので中々異様です。
ただし上部レーダーはこのT型のように後期型では撤去されています。
下部レーダーは機体の重心点に大型のものが取り付けられています。写真だとちょうど影が出来ているところ。
シーキングとシコルスキーS-55(75・76機目)
グラマンHU-16アルバトロス(1947年・77機目)
前々回くらいに見たアメリカ海軍のグラマンJRFグースの後継機として開発された飛行艇です。主任務は海上に不時着した飛行機パイロットの救出です。なので外洋でも着水できる能力を持っています。主脚の構造がなんだか独特なだと思います。エンジンの下からアームが伸びています。
なかなか使えたようで、米海軍の他にも空軍や沿岸警備隊でも運用、また輸出もされています。日本でも海上自衛隊や研究目的で新明和工業にも輸出されとります。
これはもうほとんど復元を終えたという感じで、これから展示・公開へ向かうのだと思います。ただ置き場所が既に無いよな・・・。
再び格納庫内。
カーチスP-40Eウォーホーク(78機目)がいました。P-40は常設展示されているはずなのに見かけなかったので変だなと思っていたんですが、ここでばらされているとは。
注目は機首が分解されているところで、特にP-40名物のクソデカい顎の中が見えます。あの顎の内側には空気取入口のフィルターがあり、そこには3本の空気取入口が通っているのだというのが分かります。
主翼。手前の無地のやつはF6Fのやつだそうです(そうメモ書きしてある
奥のプライマー塗布済みのやつは分かりましぇん。
チャンスボートF4U-4コルセア(1940年・79機目)
アメリカ海軍の艦上戦闘機。最初は使えない子扱いされて主力の座をグラマンの性悪女に奪われたけど、その後改良を重ねてそのポジションを奪還した苦労人。
大出力エンジンの馬力を活かしたいからプロペラは長めにして、空気抵抗も減らしたいから胴体は細めにしていったら最終的にこうなったって感じのやつ。
エンジンとコックピットの間の空間がやたら長いのが気になります。ここに過給器やら何やらを詰め込んでいます。F6Fあたりだと胴体が太い分前後の長さを圧縮できるんでしょうけど、胴体を絞ったF4Uだとこんだけの長さになったということでしょうか。
F6Fの胴体。ちゃんとリベットを打っているのだというのが分かります。
使い捨てグライダーGC-4A。
あまり大きくないなという印象で、こりゃジープを収めるのがやっとというところです。
どこから貨物を出し入れするんだろうと思ったんですが、機首の部分がガバチョと開きます(リンク先参照)。ボーイング747の貨物機とかC-5輸送機なんかと似たような感じです。
骨組みは金属と木材の混合で、外板は羽布張り。空気抵抗なんか知ったこっちゃないという四角い胴体で、割り切っていますねぇという感想。
胴体側面の木の枠は、右の台形のやつは窓で左の五角形の枠は扉です。これの機内には兵員輸送用の長椅子が置かれていますが、座布団などは見当たらないです。
尾部。まさに鋼管骨組み。
一方で形状が複雑になる尾翼は木材の削りだし(?)でちゃんと使い分けがされているのかな?と。
カーチスSB2C-3ヘルダイバー(80機目)。これ初めて見るやつだ。
アメリカ海軍の急降下爆撃で、SBDドーントレスの後継機。でもクソ野郎と呼ばれる程度の性能だったそうな。
エンジンマウント部。
とまあレストアハンガーはこんなところでした。
これだけの修繕体制が整っているのには驚かされるばかりでした。というか、戦後70年経ってもまだレストアする当時の機体が残っているもんなんですね。
次回からまたスターファイターハンガーに戻ります。
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